「チフスのメアリー」のこと
かつて、「チフスのメアリー」と呼ばれた女性がいました。彼女は、自分でも知らないうちに、腸チフスの感染源になっていました。彼女は全くの健康体にも関わらず、体内にチフス菌を宿していた無症候性キャリアでした。
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【登場人物】
ギルフォード教授
ウイルス学者でバイオテロの専門家として日本政府から招かれたはずが、色々あって、Q大(九大ではない)客員教授をしている(当時の厚生労働大臣と大喧嘩をして飛ばされたという説がある)。由利子
リストラで会社を辞めた後、ギルフォードに拾われ助手をしている。顔音痴のギルフォードのフォロー役でもある。
由利子: 「で、『ムショーコーキャリア』って何?」
ギルフォード教授: 「無症候性キャリアですよ。感染はしたものの症状がほとんど現れず、感染力だけ持つ患者のことです。有名な人物にメアリー・マローンと言う女性がいました。彼女は”Typoid Mary(タイフォイド・メアリー)"、『チフスのメアリー』という通称で呼ばれています」
由利子: 「うわあ、嫌な二ツ名だなあ」
ギルフォード: 「彼女はタイフォイド…腸チフスに感染したものの発症はせず、胆嚢に腸チフス菌の病巣を持ったまま料理人として働いていました。もちろん彼女にその自覚はありませんでした。しかし、胆嚢に巣食った腸チフス菌は胆汁と共に腸管に侵入し、生涯排泄物と共に排出され続けました。それが手に付着した時に自覚の欠如で手洗いを怠れば、他者に感染させてしまうことになります。料理人であればなおのことです。
そういう訳で彼女の周囲で腸チフス患者が多く発生したことから、彼女が腸チフス菌の健康保菌者であることが判り、一旦は隔離されましたが、それまでに22人の感染者と一人の死者を出したことが判っています。その後、彼女の人権も考慮されて料理人はしないという条件で自由を得ました。しかし、彼女は最初はそれを守ったものの、姿をくらまし、再び腸チフスの感染源として見つかった時は、あろうことかニューヨークの産婦人科で料理人をしていました。そこでは25人の感染者と2人の死者を出しました。
彼女は自分が腸チフスに感染しているということを信じていませんでした。むしろ、自分が不当な差別を受けていると考えていたようです。自分自身は全くの健康体なのですから、それは仕方ないことかもしれません。また、彼女が禁止されたにも関わらず、偽名を使ってまで料理人を続けたのは、他の使用人よりも料理人が優遇されていたという背景もあります。また、彼女は無症候性キャリアと言うこと以外は、頑固ではありましたが善良な女性で悪意は全くありませんでした。しかしその結果、彼女は累計47名の感染者と3名の死者を出すに至りました」
由利子: 「悪意がないだけに、タチが悪いなあ」
ギルフォード: 「そうかもしれません。人に感染させないように注意を払っていれば…彼女の場合は自分が保菌者であることを認め、食品関係の職に就くことなく、手洗いを怠らずにいれば、感染者を出すこともなく普通の生活が出来たのです。彼女をHIVの無症候性キャリアと置き換えて考えてみるとわかりやすいかもしれません。彼女が無症候性キャリアになってしまったことは、彼女の責任ではなく、彼女にとっても不幸なことだったのです。彼女は2度目の隔離から解放されることはありませんでした」
由利子: 「そっか、時代と言うこともあるし、気の毒な女性でもあるんだ。でも、やっぱり彼女に感染(うつ)された人にとっては、たまったものではないと思うけどな」
ギルフォード: 「それに近いことは日常でもよく起きてますよ。例えば、風邪を引いているのに人中でマスクをせずに口もふさがずに咳やくしゃみをしたり、インフルエンザなのに無理して出社したり、トイレに行ったあと手を洗わなかったり…」
由利子: 「そうだね。最近そういう意識は高まってきたけど、それでもそういうことに無頓着な人はまだまだ大勢いるよね。そういえばこの前、有名なコメディアンがテレビでトイレの後手を洗わないと公言していたなあ」
ギルフォード: (すごく嫌そうな表情をして)「Oh, F**kin' damn it !! ソレは許せません!!」
由利子: 「うわあ、私に怒るな!!」
ギルフォード: 「Oh、失礼シマシタ。でも、それくらい手洗いは重要だということです」
由利子: 「はい、よ~くわかりました」
拙小説「朝焼色の悪魔」より抜粋加筆しました。
参考文献
金森修「病魔と言う悪の物語~チフスのメアリー」
(ちくまプリマー新書)
因みに、うちの母も手洗いに無頓着で困っています。(黒木)
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コメント
ブラックライトを、手洗いしたあとの手に当てて
きちんと除菌されているかどうか確認すると、
ほぼ100%の人がどこかに洗い残しがあります。
人に移さないようにするのは、最低限のエチケットですね。
投稿: MM21 | 2016年3月28日 (月) 23:49
ネイルや指輪は論外としても、皺や爪の間なんかも鬼門ですね。あと、意外と手荒れに汚れが残ったりするようです。
私の手はガサガサだから、けっこうバイキンさんたちが潜んでいるかもしれません。
まあ、100%は無理ですが念入りに洗えば感染もかなり防げますね。
投稿: 黒木 燐 | 2016年3月30日 (水) 01:56