同窓会で40年経って思い知らされたこと。
去年の11月に中学校の同窓会があった。
恩師である当時担任S先生の傘寿のお祝いも兼ねてということで、急遽決まった同窓会だったか、男子5人女子8人の13人が集まった。男子はもちろんだが、女子も私以外全員既婚者だった。結婚したら名字の変わるのが一般的な女性は、特にリア充じゃないと来にくいのだろう。
40年もたてば、面変わりした人とあまり変わってない人の差がかなり開いてくるものだが、面変わりした人も良く見れば当時の面影がちゃんとある。ただし、人覚えの苦手な私は、もし全員集まったら覚えてない人も出てくると思う。幸い、今回来た人は全員覚えがあった。
最初、私の席の対面で数人に囲まれていた先生が、しばらくして私のところにやってきた。因みに私はどんな宴席でも絶対に自分の席から離れないことをモットーとしている。まあ、下戸なので飲まされないよう自己防衛が働いた結果だと思っている。少し酔いが回られたのか、先生は少しふらついておられたが、手にはしっかりと卒業文集なるものを持っておられた。黒歴史の集大成で、多くの人にとって自分の書いたものを読まされること=罰ゲームと化すアレである。
「おまえだけ、 原稿用紙が足りずに紙を足して書いとぉぞ」
先生はそう言って私に文集を渡してくれた。これでは読まないわけにはいかない。せっかく持ってこられたので、仕方なく読んだ。まあ、内容は今のブログの文章や内容に通じるものがあった。かなりアホなことを書いていたような気がするが、脳みそが拒否してほとんど内容は忘れた。当時、どちらかというといじめられっ子だった私だが、それらしきことは書いているものの、ほとんどさらっと受け流して書いていた。書いていて興が乗ったのだろう。確かにB5サイズの紙を付け足している。この頃から長文書きの片鱗が伺えるが、残念ながら内容は薄くて無難なものだった。
中学2年の時、クラス替えがあった。その時Cちゃんという子と友達になった。そのクラス2年8組はその面子のまま3年4組となった。なんで組の名まえだけ変えたのかわからないが(気分だけ一新ってところかな?)。因みに2年の修学旅行の行きの電車内で、デビルマン5巻(最終巻)を読んで衝撃を受けた。全然本題に関係ない話だけど。
Cちゃんには脳性小児麻痺という障碍があって、普通に生活は出来るが動いたりしゃべったりする時に人より少し時間がかかった。それでも、彼女は自分に出来ることは何でもやった。幸い、彼女はクラス内でいじめに遭うことはなかった。傍に常に私がおり、一人にならなかったこともあるかもしれないが、やはり、クラスのクオリティもあっただろう。
それでも当時、いわゆる『悪僧坊主(わるそうぼうず・わるそぼうず、単に「わるそう」とも言う。悪戯小僧と言う意味だが、不良のことも言う)』という連中も数人いて、クラス内でけっこうトラブルになっていた。それについて遅くまでみんなで話し合ったこともあった。そんな彼らも社会にもまれて苦労を知ったために、皆それなりに穏やかになり、立派な社会人となっている。
そのCちゃんは、同窓会には欠席していた。十数年前にあった同窓会には出席してたので、多分、予定が合わなかったのかもしれない。先生に促されて、Cちゃんの作文も読ませてもらった。実は、私はそこで、初めて彼女の書いたものを読んだのだった。
作文は、少し控えめな文字で丁寧に書かれていた。悪筆な私よりよっぽど綺麗で読みやすい。そして、驚いた。その文章に全くの障碍を感じさせなかったからだ。そして、私は…、その時まで、彼女の知能はもっと低いと思っていたことに気が付いた。気持ちの上で一つも二つも下に見て、優越感のようなものを持って接していたことを思い知らされた。確かに数学などの理解は若干劣っていたかもしれないが、作文の内容を見る限り、国語力はみんなとほとんど変わらなかったということだ。むしろ、私より出来事をよく覚えており、先に書いた話し合いについても正確に書いてあった。そして、作文の冒頭部分には、私と友達になれたことが中学時代の最大の喜びだったと言うことが書かれていた。不覚にも涙が出た。私も作文中にCちゃんについて書いたが、名前は敢えて書かなかった。読む人がわかればいいと思っていたからで、ほかの人の名前も一切書いていなかったのだけれども。
それでも、思えば中学2・3年の間、彼女とずっと一緒だった。ともすれば孤立しがちだった彼女と出来るだけ一緒にいようと思っていた。もっとも、私も多数の友人とのつきあいが面倒くさい方なので、過去から今までに至って親しくなる友人はいつも少人数ではあった。また、自分から接することは極めてまれで、Cちゃんとも彼女の方から話しかけてきたのがきっかけだった。そういえば、しなさんもそうだったな。まあ、あの高校はちょっと特殊でけっこうみんなとワイワイやっていたような気がする。
しかし彼女とも、高校に進学してからは疎遠になってしまった。ずっと年賀状のやり取りはしているので、お互いの無事だけは確認できている。Cちゃんもまだ未婚のようだが、元気で働いているようだ。
そして、S先生は驚いたことに、今、私の出身高校の中学(私の在籍時には出来てなかった)の副校長をされていた。世間は狭いものである。
次回、また同窓会があれば、出来るだけ出席したいと思う。その時は是非、Cちゃんも元気な姿を見せて欲しい。また、女子の未婚組も来て欲しいと思う。
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コメント
私も、ちょうど去年の今頃同窓会があったので
25年ぶりくらいに参加してまいりました。
ちょっと一言では書ききれないくらい、
色々思い出します。
同窓会で久しぶりに会い、また交流が始まった
友人もいたりして、やっぱり良いものですね。
投稿: MM21 | 2015年1月 4日 (日) 23:52
MM21さん
そうですね。
時が経つと、たいていの人は年月の波にもまれて角が取れ、丸くなって穏やかになります。
何十年経っても会うことが出来るのは、幸せなことだと思います。
投稿: 黒木 燐 | 2015年1月12日 (月) 08:31