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2014年9月14日 (日)

GODZILLA"ゴジラ"

※若干のネタバレを含みます。あまり映画を見るのに支障のない程度だとは思いますが、未見の方はご注意ください。

 まず、この映画のタイトルだが、英語表記の"Godzilla"と共に日本語の「ゴジラ」までがタイトル。

2014 すごく面白かったです。平成ガメラ以来久しぶりに面白い怪獣映画だったと思います。プロモーション動画を見て以来、ずっと待ってた甲斐がありました。

 とにかく、迫力があった。それと、日本の怪獣映画にありがちなリアリティの欠如はあまりなく(あくまで比較として)、子供だましのようなストーリー展開もあまりなかったので(ストーリーのアラは脳内補正しました)、見ていてあまり現実に戻ることなく没頭して見ることの出来る、大人の怪獣映画に徹していたのも良かった。興行側に「怪獣映画は子供の見るもの」というような固定概念があったのか、夏休みに合わせたために上映が他国に比べて最大2ヶ月遅れだったのはとても悔しい。なんで本家なのに一番最後なのかと。世界に先駆けて、というのもちょっと動員数に不安があるものの、同時公開に何か問題があったのか。上記の「子供映画」ということならば、今一度考え直してほしいものだ。今、ゴジラに思い入れがあるのは子供ではなく、昔子供だった大きいお友達の方が多いのだから(夏休みだとお父さんが子供を連れて見に行きやすいからということはあるかもしれないけど)。

 公開前のプレミアやプロモーションすごかったね。違和感があるくらいでした。国産のゴジラの時よりずいぶんとオサレ。

 何にしろ、怪獣映画というものの常識を覆した、すごい映画なのは間違いない。ただ、いくつか不満や疑問点があったので、感想方々その点にも触れてみようと思う。

 

 まず、感想を書く前にこれだけは書いておきたい。

 一番の不満は、水爆実験をゴジラを倒すためのものだった、という設定にしたこと。
 これは、核実験のもたらした災厄、たとえば第五福竜丸に代表する漁船等への被曝や、実験区域の島民たちの被曝という歴史など米国の責任を考慮してない。
 ハリウッド映画としては、これが限界かもしれない(エメゴジ(※)では、ゴジラ出現はフランスの核実験のせいにされており、どの国より派手に太平洋で水爆実験をしたアメリカのことは一切触れられていなかった)が、他に設定はあっただろう。ビキニの水爆実験の時に姿を現した巨大な生物の非公式記録があった程度でよかったのではないだろうか。「あの水爆実験は、実は奴を殺すためだった」ではなく、「あの水爆実験の時、ヤツが姿を現した」ではだめだったのだろうか。それでも「モナーク」という機関の設定は出来たと思うけど。結局、米軍の水爆がゴジラを強化させてしまったということなんだから、そういうもやっとした設定でよかったやん。ようするに原爆にしても、水爆にしても、正当化しないとハリウッド映画では使えないということなのだと思う。ゴジラは核実験の産物であるという設定を生かすための苦肉の設定と言うことは想像できるが、やっぱりこの事はこの映画で唯一無二の真剣な不満である。
 ただ、米国での核兵器規制を考えると、映画内に8月6日の原爆投下に触れてくれたことは、快挙かもしれない。

 まあ、フィクションの世界にあまり文句を言うのも野暮だけどね。

(後半にこの件についての再考あり)

 さて、本題に入ろう。

 この映画を人間VSゴジラではなく、怪獣とのVSものにしたのは成功だったと思う。ヒト対ゴジラでは間がもたなかったかもしれない。

Photo 対戦する怪獣はムートー(M.U.T.O. Massive Unidentified Terrestrial Organism(未確認巨大陸生生命体)の略)。放射性物質をエネルギー源とする怪物で、体内に天然原子炉を持つゴジラの天敵である。成体のメスは100m以上の巨大生物で、オスはメスより小さいが飛行能力がある。雌雄はエコロケーションを使ってお互いを呼び寄せることが出来る。卵の孵化にも核エネルギーが必要なため、本来はゴジラに卵を寄生させていた。そのため、ゴジラは種を守る本能からムートーに激しい攻撃性を持つ。
 現代に蘇ったムートーは原子力発電所などの核施設を襲うようになる。15年前に日本の雀路羅(じゃんじら)市を襲い原子力発電所を壊滅させた大地震は、実はムートーによる攻撃のせいであった。

 このムートー、見た目が少しギャオスっぽいし、ゴジラがムートーを倒すために上陸するあたりもガメラっぽい。しかし、ゴジラはガメラと違って地球や人類のためなどではなく、種の保存本能でムートーを攻撃するために上陸したので、人(巫女)と交信することなく、やっつけたらさっさと海に帰った。

 現代に蘇ったムートーは、オスが雀路羅市の原子力発電所、メスがネバダの核廃棄物処理場の放射線を「食べて」成長し羽化、それぞれが繭を飛び出し飛翔能力のあるオスがメスのいるアメリカに上陸。2匹は出会うべく街を破壊しながら突き進む。米軍が攻撃を試みるも電磁パルス攻撃により近代兵器を封じられてしまう。電子機器をやられた航空機はなすすべなく墜落していった。
 そんな中、ムートーを追ってもう1匹巨大な生物が海中から現れた。ゴジラだ。米軍はこの新たな脅威にも攻撃をするが、米軍の圧倒的な火力を以てもその怪獣はビクともしない。過去の核攻撃により、皮膚が装甲のように変化したためだが、それ以前に水爆でも殺せなかった生物に通常火器が通用するはずもない。芹沢博士の所属する「モナーク」は、その怪獣たちを調査する組織だった。
 ハワイに上陸したゴジラはオスのムートーと激突するも勝負がつかずムートーはメスを目指して飛び立ちゴジラはそれを追って海中に消える。

20142 軍はメガトン級の核爆弾で3匹を海洋におびき出し、殲滅する作戦に出た。芹沢はそれに反対するが、ビキニ水爆より強力なメガトン級の弾道ミサイルだから殲滅は可能だと提督は自信を見せる。芹沢は父親の形見の時計を見せなおも反対するが、押し切られてしまう。

 フォードは、幼いころ雀路羅市の原発事故で母親を失い、15年後に父親が再び同原発跡地で羽化したムートーが飛び立つ際に破壊された研究所で負傷し命を落とす。原発事故の原因もムートーであることから、フォードは両親ともムートーに殺されたことになる。すなわちフォードにとってムートーは親の仇であり、ゴジラとは共闘関係にあることになる。彼が怪獣の掃討作戦に関わることになったのも運命のようなものだったかもしれない。結果、フォードはムートーの卵を殲滅し親の敵を討ち、2対1で劣勢だったゴジラはムートーが卵に気をとられた隙をついてオスを瞬殺し戦いを有利に持ち込むことになった。

 いろいろ賛否のあるムートーだが、私は嫌いではない。まあ、フィギュアは要らないけどね。
 オスとメスが出会って求愛給餌するところとか、子供を焼き殺されて慌てて戦闘を中断して巣に戻り一瞬呆然としたあと犯人であるフォードに怒りを露わにするところとかね、妙に憎めない。特に子供を殺されたシーンでは可哀相になったくらいだ。悪ではなく単に生存すること自体が破壊を招く、今の地球を終わらせてしまい兼ねない生物。ひょっとしたら人類の負の部分を具現化したらムートーになるかもしれないと思った。ムートーが小さければ、生きたコスモクリーナーとして重宝されるよね。
 ムートーの知能が悪魔的に良いのか、単に食べ物(核物質)の臭いにつられたのか、自分等を倒すために列車で運ばれていた核弾頭をトンネルの中で待ち伏せするシーンでは、きっと殆どの大きいお友達が心の中で「フォード後!」と叫んだことと思います。

 しかし、日本に於いては原発事故・津波、アメリカに於いては操縦不能でビルに突っ込む航空機等、なかなか描きにくいところもちゃんと撮っていた。そういえば、1954年の初代ゴジラも、戦後10年経っていない、空襲や原爆の悲惨な記憶の生々しい時期に作られた作品だった。それ故に救護所の生々しさや三度破壊された東京の街の悲しさが胸に迫るものがあるのだ。とはいえ、やっぱり、被災した人たちは見れないだろうなあ…。

 そして、ゴジラです。溜めに溜めてやっと出てきたゴジラには身震いしました。やっぱりこういう魅せかたは上手い。若干顔がカミツキガメっぽいけど、ちゃんとゴジラでした。最後のほうで2回放射熱線を吐きますが、ちゃんと青いし背びれも光ってカッコよかった。凶悪面はムートーに持っていかれて、結果的に人類を救ってしまうが、ガレキの中で休んだ後、さっさと棲家に戻るゴジラはクールだった。

 去って行くゴジラの姿に、ニュース映像のテロップが重なる。

「怪獣王は救世主か?」

 歓声を上げ勝手に盛り上がる人類のことなどどこ吹く風と、ゴジラは悠々と海に潜り姿を消して行った。

 

 で、いろいろ思うところはあるものの、評価は怪獣としてのゴジラはほぼ満点でした。

 まあ、ストーリーに触れて若干ネタバレしてしまったが、映画を是非観て欲しい。

 好評につき、次回作も制作決定と言うことで、しかも、それにはラドン・モスラ・キングギドラが出るらしい。こんだけ揃うとなかなかシリアスなリアリティ路線も難しくなりそうだ。特にどう転んでもお子様路線になりそうなキングギドラ。いったいどういう風に大人向けに大風呂敷を広げるか、今から非常に楽しみである。

 以下は映画としての矛盾点やツッコミと脳内補正である。

 

●事件の発端となる原発事故の起きた場所の名がジャンジラ(雀路羅)市。って、どこの国の市やねん。

 これは、現実の地名と万一にもバッティングしないためのものだろう。この名前の元ネタはわからないが、JAPANとGodzillaの合成かもしれない。モデルは福島なのは自明である。

●原発事故の時の爆風が走って逃げる人になかなか追いつかない。

 これは、通路がまっすぐで天井も高いため、見た目より距離があるせいかもしれない。

●芹沢博士の父親の年齢。広島原爆投下の1945年8月6日8時15分で止まった時計を見せて父親の形見と説明。父親が原爆投下時に亡くなっていたのなら、芹沢博士はかなりの高齢になるはずでは?

 形見と言ったが原爆投下時に亡くなったとは言っていない。おそらく、若い頃に被爆し生き地獄を味わったものの死ぬことはなかったと考えられる。
(ウィキペディアによれば、映画でカットはされたものの、父親が被爆者ではあるが爆死ではないことが説明rされていたということだ。ちなみに父親の被爆体験を語るシーンもあったらしいが、それも時間の関係でカットされたということだ。実際4時間近いものを2時間に編集したらしく、泣く泣くカットしたシーンも多いそうだ。ノーカット版も見てみたいが、途中ダレそうではある)

●最後の核爆発がしょぼすぎる。最強のメガトン級核爆弾のはずだったけど?

 これは、思うに既にムートーの卵(孵化直前にまで成長している)にエネルギーを吸われていたために、核物質の放射線量が相当落ちていたためと思われる。それでも放射能汚染はゼロではないし、もともとがメガトン級の最強核爆弾であったため、通常爆弾としても破壊力は破格であるために、出来るだけ都市から離す必要があった(実際そういう設定だったらしい)。
 まあ、衰えたとはいえ核爆弾がさく裂したのだから、おそらく死の灰などの核汚染は免れないと思うけどね。

●ゴジラがムートーに勝利し海に帰る時、上手いことビルの間を通った。

 怪獣とはいえ、生物なのだから不要にものにぶつかりたくはないだろう。通れる場所があればそこを通ってもおかしくはない。

●夫(フォード)が行方不明中なのに、スマホを遠くに置きっぱなしで子供とじゃれ合う妻。

 せっかくフォードが無事を知らせようと電話したのに通じなかったじゃないか。子供とじゃれ合うのは構わないけど、こんな時はスマホは肌身離さず持っておくよねえ、普通。

●フォードに助けられた東洋人の子供(吹き替え版だったのでわからなかったが、日本人らしい)、両親と出会ったらフォードをガン無視してさっさと両親と去って行った。

 せめて、あの人に助けてもらったんだよ、くらい言えよ。「礼無しかよ!」と、映画館でつい口に出して言ってしまったよ。一般的な日本人ならちゃんとお礼を言うと思うけど。あれじゃただ迷惑かけただけの無礼者だよ。

●フォード、行く先々で怪獣と遭遇し過ぎ。奇跡的に助かりすぎ。

 主役だから仕方ない。次回はゴジラと交信できるようになっているかも(冗談です)。

●芹沢博士がほとんど活躍していない。

 まあ、主役もあまり活躍してないんで…。

 
 

 (だんだんイチャモンになっとるがな)。

 まあ、多くの人が感想に述べているように、人間ドラマ部分はかなり雑である。ご都合主義が目立つし、米軍に至っては、近代兵器やハイテクを封じられ、結局でかい核弾道を餌におびき出してドカンとやっつけようという目もあてられない作戦に出た。メガトン級を海上とはいえ都市の近くで炸裂させるのかよ。下手するとムートーより被害が出るぞ。ビキニの核実験でこれだぞ。しかも、航空機やミサイルはパルス攻撃で停止や誤作動を起こし危険ということで列車で運んで結果、ムートーに奪われてしまう。責任者切腹ものだな。

 まあ、米軍がモゲラとかスーパーXみたいな武器を出されても引くけど。

 でもまあ、人間ドラマ部分が雑だったりは大目に見よう。だって怪獣映画ですから。ある意味エロビデオのドラマ部分みたいなもんだ。人間側のドラマがないと、ただのウルトラファイトになってしまう。

■ペルム紀(2億9900万年前~2億5100万年前)のこと

 二畳紀ともいう。この映画では大気中に放射線量が多くそれをエネルギーとする巨大生物が跋扈していたということになっているが、実際は気候は確かに今とはだいぶ違うが、そこまで放射能量が多かったわけでもなさそうだ。動物のサイズも巨大でもせいぜい1トン程度だったと思われる。ただ、ゴジラの巨大なヒレは、ペルム紀の生物の名残と言えないこともない。
 ペルム紀は何らかの原因で起きた急激な気候変動により、大絶滅を以て終わった。ゴジラやムートーは地下に潜って生き延び子孫を残したという設定。

 因みにこれはペルム紀のディメトロドンがゴジラに進化した過程を推測したサイト。
   http://www5f.biglobe.ne.jp/~takaki1/tureduregusa/haipa-/0008.htm

 これは2014年ゴジラより前に書かれた記事のようです。先です。すごいね。
  

■ゴジラと核について

 さて、いろいろ書いていて、この映画の核についての扱い方を冷静に考えてみた。
 これにこだわるのは、やはり最初のゴジラが核実験で太古の生物が怪物化したという設定で、反核がテーマの一つだったからだ。  
 これについてはガーディアン誌も「日本のゴジラに込められていた反核の風刺が、この映画では滑稽なほど弱まっている腹立たしいリブートだ」と酷評している。こういうことを書いてくれるのは。本当にありがたいです。
 ビキニ環礁での水爆事件はゴジラを倒すためだった、ということには大きな不満はあるものの、「アメリカ映画」ではやはりあれが限界なのだろう。核攻撃によるミューティーションという設定を生かすための苦肉の策だろうということは先に書いたが、アメリカ人があれほど日本に対する核攻撃を正当化するのは、やはりどこかに何万人もの非戦闘員を殺したという負い目のようなものがあるのは間違いない。正義のアメリカが大義なき大虐殺をすることがあってはならないのだ(実際はあっちこっちで大概やっているのだが)。     
 スミソニアン博物館にエノラ・ゲイを展示する時、広島長崎の被爆写真も要請したが拒否されたという出来事もあった。原子爆弾を投下して戦争を終わらせたという輝かしい戦果の横に、女性や子供の悲惨な被爆写真が展示されるなど彼らにとって直視したくないことだったのだろう。それを考えると下手にゴジラ映画で広島の被害や水爆実験の非道さを訴えなどすれば、上映反対の声があがることは十分にあり得る(ついでにどこかの国も便乗してぎゃーぎゃー言いかねない)。170億円と怪獣映画としては桁違いの製作費をかけた映画がお蔵入りすることだけは避けなければならない。ゴジラファンとしては複雑な思いだが、むしろ、こういうハリウッド作の娯楽映画で一言でも広島の原爆投下に触れたことこそ賞賛すべきかもしれない。また、あの状況でなおも核兵器で敵を倒そうとする米軍という構図で大皮肉をかましたとも考えられる。 
 以上のことを考え、苦言は呈するものの、相対的には頑張ったと思う。

(※)
エメリッヒ版「ゴジラ」
 1998年に公開された、ハリウッド版初めてのゴジラ映画。
 エメリッヒはゴジラに愛着を持っておらず(後にエメリッヒは、実は「原子怪獣現る」のリメイクをしたかったがそれでは製作費があまり出ないのでゴジラのビッグネームを借りた」と白状したらしい)、姿が日本のゴジラをあまり踏襲しておらず、核実験の放射能によるイグアナのミューテーションという設定からか、姿がイグアナもどきだったために、イグアナゴジラとも呼ばれている。マグロを食うわ(ちなみにイグアナはほとんどが草食)、放射熱線は吐かないわ、Tレックスみたく爪立っているわで、当然、ゴジラファンからの批判が殺到した。ちなみに初代ゴジラの設定は、ジュラ紀の恐竜の生き残りであるゴジラザウルスが、核実験の放射能で怪物化したというもの。今回のギャレゴジはゴジラザウルスではないが、古代(ペルム紀)の巨大生物の生き残りが核実験(核攻撃)のためにより強力に変異したものという設定で、初代ゴジラの設定に近い。
 しかし、前半にはゴジラへのオマージュ的なシーンがけっこうあったし、後半のベビーゴジラ大量発生(オスのくせに大量の卵を産むとか、最悪の設定です。産むとしてもせめてミニラだろ)でぶち壊しになったものの、それ以外は悪い出来ではなかったと思う。
 ただ、最後のゴジラの死に方があまりにもリアルで辛かったのと、ベビーゴジラズの件が意にそぐわないので、私はエメゴジはもう見ないと思う。

20143

 

 

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