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2013年8月11日 (日)

第68回原爆忌

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 68回目の原爆忌が終わった。
 太宰府は、両日の原爆投下時刻にサイレンを鳴らす。今年も例外なく鳴ったそうだ。
 今、どれくらいの自治体が、鎮魂のサイレンあるいは鐘を鳴らしているだろうか。以前アンケートを取ってみたが、かなり少なかった。

 被曝者の高齢化、広島や長崎の原爆投下への無関心。
 8月6日 8月9日と聞いて原爆忌と答える人も減り続けている。

 広島1945年8月6日午前8時15分(正確には16分らしい)
 長崎1945年8月9日午前11時2分
 初めて人々の頭上で原子爆弾がさく裂した。

 その人々のほとんどは非戦闘員だったのに。老人や女性や子供だったというのに。合わせて数十万の人たちが投下当日に亡くなった。いや、惨殺された。
 その投下後の惨状は、想像をはるかに超えるまさにこの世の地獄であった。私は子供の頃の平和授業で原爆被害について教えられ、かなり恐ろしく、そして悲しい思いをしたが、それすら万分の一だろう。
 小6の修学旅行は長崎で、資料館に行ったその夜はなかなか寝付けなかった。しばらくの間、目を閉じると見た写真が、惨状をつづった文章が鮮明によみがえった。
 中学の時、体育館で「ヒロシマ・ナガサキ」という、米軍から取り戻した記録フィルムを見せられた。子供にはかなり耐え難いレベルの悲惨な映像の数々に、あちこちから悲鳴が上がった。
 しかし、知らされたことに関しては後悔していない。むしろ、知って良かったと思っている。

 被爆者の方たちは謝罪や賠償を求めてあの日の惨状を訴え続けているのではない。
 2度と自分等のような思いをする人たちを作ってはならない。生きながら焼かれていった、原爆症で生きながら朽ちていった数多の人たち。あの地獄を再現させてはいけない。

 そんな思いから、老骨に鞭打って辛い体験を語り続けているのだ。

 今後、核兵器が人々の頭上、否、地球上で炸裂することがあってはならない。

 8.6と8.9は、人類への戒めとして語り継がれねばならないと思う。

 

【アーカイブ】

英、原爆使用に同意 広島投下の1カ月前 公文書で裏付け
2013.8.4 17:38
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130804/amr13080417430002-n1.htm

 米国が広島に原爆を投下する約1カ月前の1945年7月、英政府が米側に対し、日本への原爆使用に同意すると公式に表明していたことが4日、機密指定を解除された米公文書で裏付けられた。原爆投下に米国の同盟国である英国が深く関与し、両国の「共同決定」として対日使用された側面が浮かび上がった。

 日本は唯一の被爆国でありながら、こうした事実は一般にはほとんど知られていない。

 英国が政府として日本への原爆使用に公式に同意したのは、第2次大戦末期の45年7月4日にワシントンで開かれた原爆開発協力をめぐる合同政策委員会(CPC)の会合。

 議事録によると、英代表のウィルソン陸軍元帥は冒頭、原爆開発計画を監督するスティムソン米陸軍長官や計画責任者のグローブズ米少将らを前に「英政府は日本に対する原爆使用に同意する」と言明した。(共同

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