土田よしこ『ザ・ブー』
子供の頃読んだ話で、ほとんど覚えていないのに部分的にだけキョーレツに覚えていたりすることがある。この、土田よしこの「ザ・ブー」という漫画がそうだ。
この漫画は、ここを見るとわかるが、『りぼん』の1970年9月号から同年12月号までの4か月間に掲載されていた、短期連載漫画である。
まあ、もともと短期連載ではなく、打ち切りだった可能性もある。
と、言うのが、その終わり方が実に永井豪的(豪ちゃんの場合は打ち切りと言うよりも自然とストーリーがカタストロフに向かってしまうのだが)展開だったからである。
とはいえ、ストーリーはほとんど覚えていない。
覚えているのは、ブタvs人間が戦う話だったということだ。しかも、最初からドンパチやっていたのか、小競り合いが大戦争に向かったのかすら覚えていない。最後は全面戦争になっていたのは覚えている。
同年7月にハレンチ学園第一部が、ハレンチ大戦争を以て完結している。ということで、この漫画の連載はハレンチ学園の終了後と言うことになる。ちなみにあのきみどりシリーズが連載されるのは、1971年7月の「海は青いなドギツイな」で成人したきみどりが、甘い新婚生活を送る弟あおみどろを再び不幸に陥れた後、8月号(多分)から『きみどり みどろ あおみどろ』で、いとこの眼鏡ッ子みどろ(もちろん優等生であり、当然メガネを取ると可愛いを)を迎え、子供に戻って帰ってくる。(「海は~」の前にきみどり初登場の漫画があるはずなのだが、タイトルは内容と共に全く記憶にない)
なので、ヒト対ブタの全面戦争がハレンチ学園の影響かどうかはわからないが、全く関係ないとは言えないとは思う。
内容も、覚えている部分はかなり永井豪的展開で、クライマックスはブーの親友が殺されて悲しみにくれながらも、かつて優しくしてくれた少女(名前失念)を思い、まだ人間を信じようと彼女の元に向かったブーだが、彼が目の当たりにしたものは、ブタを憎んで女戦士となり、ブーを罵倒し牙を剥くかつては優しくも可憐だった少女の姿だった。
で、絶望したブーは少女と闘った・・・と思う。よく覚えてないけど。
そして、戦争終結後、夕日(朝日かも)に映える崖っぷちで武器を海に投げ捨てるブーのロングショットでこの話は終わる。
改めて断わるが、これは土田よしこのギャグ漫画なのだ。
ギャグ漫画で4回連載となると、ページ数もエピソードも限られている。ギャグ漫画なら、ページ数が多くても8枚程度、従って総ページは長くて32ページ、表紙も入るし、ページ数はおそらくもっと少ないだろう。なので、今実際に読むと、しょーもない話かもしれない。
しかし、未だにその断片的なシーンをおぼろげながら覚えているということは、子供心にかなり衝撃を受けたのだろう。
ところで上にもリンクしている「くだん書房」さんのページを見ていると、ああ、この漫画はこの頃だったんだとか、あれ、この漫画とこの漫画は同時期連載だったんだとか、おや、この漫画とこの漫画ってこんなに掲載年が近かったんだとか、ああ、あったあった、こんなマンガとか、ああ、こんな人(特に少年誌・青年誌の男性漫画家。昔は少女漫画家が少なくて、青・少年誌の男性漫画家がよく駆り出されていた)とか、色々発見があってなかなか面白い。
それと、成人前の10年と成人後の10年の時間の進み方の違いをつくづく思わされた。
一条ゆかりの『こいきな奴ら』って、1974年1月号掲載だったのか。『ザ・ブー』の最終回から3年しか経ってなかったのか・・・。げっ、山岸涼子の『アラベスク』って、1971年10月号新連載?( ってことは山岸さんってそんな早く(実際はアラベスクより少し前からあの絵になってました)からあの独特な劇画調の絵になってたんだ~。編集よく許したなあ。さくらももこの発掘といい、りぼんってやっぱりすごい少女雑誌だったんだなあ)
子供の頃の10年はかなり長く感じるが、年齢を重ねるごとに短くなり、最近では1年どころか10年がすぎることの早いことと言ったら、冗談だろとしか言いようがない。
ミルクちゃんが時計のネジを巻きすぎた・・・んな訳ないか。
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コメント
リンク先の「くだん書房」のページを見ていたら、思い出したマンガ家が沢山いました。77年から8年あたり、僕はりぼんを結構定期的に勝っていた時期があります。陸奥A子、小椋冬美なんか好きでしたね。現実にはあり得ない話ばかりですが、そのウソっぽいロマンティシズムが何とも甘美で(笑)。ギャグは土田よしこはもちろん大好きでしたし、金子節子のコメディタッチのストーリーものも好きでした。しかし、一条ゆかりの「こいきな奴ら」が、一番面白かったかな。
余談ですが、りぼんを買いだしたのは付録に惹かれてです。ちょっとオサレな文房具とか大きな紙袋なんかがついてて、大変重宝しました(笑)。
投稿: drac-ob | 2012年8月23日 (木) 22:27
drac-obさん
「りぼん」は、祖母がとってくれた雑誌で、子供の頃は毎月購読していました。『横山光輝が「魔法使いサリー」を描いている頃からだったと思います。キャー! 先生』で初めて原子爆弾の恐ろしさを知ったと思います。井出ちかえの描くヒロインの眼は、未だに少女漫画のパロディとして色んな漫画に出現しています。現在少女漫画のああいったキラキラ眼は絶滅状態で、わずかに長期連載のカラスの仮面や呆けの紋章もとい王家の紋章で見られるくらいです。あと、少年漫画の新谷かおるくらいでしょうか。
レディースコミックに行かれてからの井出先生はトホホでしたが(へそが×点で興ざめだったり)、彼女は少女漫画界の冒険もの(秘境物)のさきがけだったと思います。レディコミと言えば、りぼんで社会派漫画を描いておられた汐見朝子先生が、レディスであんなものを描かれていることを知った時、週刊誌で森永奈緒美(宇宙刑事シャイダーのアニー)のヌード写真を見た時レベルのショックを受けた覚えがあります(ただし、私はレディコミはあまりにも欲求がストレートすぎて苦手なので、ちゃんと読んだわけではありません)。
りぼんの付録は豪勢でしたよね。いつも別冊漫画がついていてさらに豪勢。便箋とか探したらまだどこかにあるかも知れません。
しかし、男の子が少女雑誌を買うのには抵抗ありませんでしたか?
投稿: 黒木 燐 | 2012年9月 2日 (日) 23:59
レス遅くてスイマセン(笑)。
>男の子が少女雑誌を買うのには抵抗ありませんでしたか?
僕は当時は髪も長くて、175センチ48キロという体型で、瞳の中に星がきらめいていたので、少女マンガ買っても違和感ありませんでした。
なんちゃって(大笑)。いや、「東大りぼんの会」なんてのが話題になったりした時分でしたし、京都ってのはそういう妙な奴を抵抗なく受け入れる魔界都市だったから、ノープロでした。
投稿: drac-ob | 2012年9月 5日 (水) 23:00
drac-obさん
遅くなってすみません。
そういえば、一時期少女漫画が少年漫画より面白い(実際、ガキっぽいワンパターンな王道少年漫画が多かったですね)といって、大学生が少女漫画を持ち上げてた時期がありましたね。
今では女性が少年漫画や青年漫画を買っても、男性が少女漫画を買っても、あまり奇妙な眼で見られなくなりました。
投稿: 黒木 燐 | 2012年9月16日 (日) 09:57
え〜と、古層の記憶を辿ると「紫電改のタカ」辺りが一番古い漫画の記憶かなぁ…。あれ、後半もの凄い反戦漫画になるんですけど、もう作者の苦悩が滲み出ていて、幼児にもかかわらず読んでて辛いのなんの。まぁ、もっと古層はキンダー・ブックとかになるのかなぁ。もっと古い記憶もあるけど、そこまで書くのも何なので止めますけどw
高校生の頃は、確か「ぶーけ」、「プチフラワー」、「LaLa」辺りを中心として少女漫画も読んでましたねぇ。別マ系ではないんですけど、まぁ朝日ソノラマの「漫画少年」とかの濃い漫画雑誌を色々読んでましたから。ああ、「だっくす」というか「ぱふ」も読んでましたね。「スターログ」とか「面白半分」とかも買ってたし、音楽雑誌も「Rockin f」とか色々読んでたし、「GORO」とか「写楽」とかも買ってたしw ああ、コンピューター雑誌も色々w 月刊誌だけで15冊や20冊は読んでましたねぇ。
そういう合間に哲学書を乱読したり、レコード聴いてギター弾いてましたから、もう学校なんてどうでもいい状態でしたわw
投稿: barrett hutter | 2012年9月22日 (土) 23:48
蛇足
ぼくらマガジンとか冒険王の付録は豪華でしたよねぇ。あ、しんねぇかw
投稿: barrett hutter | 2012年9月22日 (土) 23:53
barrett hutterさん、お久しぶりです。
マンガ少年のお話がでたので、その線で(笑)。
マンガ少年は、わりと初期のころから買っていました。
けっこう異色漫画雑誌として奮闘していましたが、火の鳥と阿素湖素子のダブル攻撃(いっそ超人ロックも連載されていたら最凶だったんですが)で敢え無く休刊(事実上の廃刊)となりました。
その「休刊」は本当に突然だったらしく、連載していた作家さんたちもパニクったのを隠せず、半ばヤケッパチになり内容がエライコトになってしまった作品もありました。
その後、少年誌少女誌の枠を超えたという触れ込みのDUOという雑誌を発刊しましたが、やはり数年で休刊。竜巻竜二や速星七生(双方、マン少の漫画スクールの入賞者)とか、けっこう異色の漫画家さんも書いてて面白かったですけどね。
今はそのマン少の流れをくむ、ネムキを買っております。
出版社の朝日ソノラマもなくなって、今は朝日新聞社刊ですよ。
「ぼくら」とか「冒険王」とか祖母がよく会社にあったのを持って帰ってくれてました。でも、とぎれとぎれでほとんど内容は覚えてません。
「がきデカ」や「ブラック・ジャック」が連載されていたころのチャンピオンは面白かったですね。
投稿: 黒木 燐 | 2012年9月27日 (木) 03:15