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2011年8月25日 (木)

終戦記念スペシャルドラマ『この世界の片隅に』

NTV系 2011年8月5日21:00 - 23:24(予定)
原作:こうの史代(双葉社刊) 
主演:北川景子

公式 http://www.ntv.co.jp/konosekai/

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 この一言に尽きた。「原作を読め!」

 

 まあ、これでは身も蓋もないので、以下、感想を書いてみよう。
 思いが強すぎて、うまく書き表せられず読みにくいと思うし、書きたいことも網羅できていないが、ご容赦願いたい。

 主役などの配役を見て、大丈夫かなと思った。イメージにピッタリなのは夫のツンデレ属性な姉役のりょうくらいで、あとはピンと来なかったからだ。しかも、終戦記念スペシャルドラマと銘打ってあるが、その手のドラマは、だいたい妙な思想が盛り込まれたりして原作を壊してしまうものが多い。

 しかし、見てみると役者さんたちに特に違和感はなかった。軍人の短髪が似合わないとか不細工とか言われていたもこみちも、そんな悪いと思わなかったし、リンさん役の優香は役柄にピッタリだと思った。悲しくて辛い境遇にありながら、それを表には出さず、あっけらかん、ほんわかした人物そのままだったと思う。主役のすずは、もっとおっとりふわっとしていてもよかったと思うが、まあ、欲を言っても仕方がない。

 役者に非はない。これは脚本や演出がダメダメだったのだ。しかも、ドラマの出来はまあ、そこそこ及第点(CGの背景処理等かなりいい加減で、背景の消すべき現代の建物や船がそのまま写っていたりするような不備はあったが)だが、なんか、作者が訴えたかったこととの解離が目立ったドラマだった。

 まず、気に入らなかったのは、ドラマの筋を妙な四角関係に持って行ったことだった。

 原作では、主役のすずと幼馴染の哲は、ひょっとしてお互いに恋心くらいはあっただろうが、元カレなんてものじゃなかったし、すずの夫の周作と娼婦のリンに至っては幼馴染ではなく、周作が(多分上司に無理やり連れて行かれた)娼館で知り合い、惚れ込んで結婚を決意したが家族に猛反対されてあきらめたという感じを匂わせる(当人がそのことを語る場面はなかった)程度のものだった。
 上手く書けないけど、なんか違うんですよね。原作は多くを語らず読者の想像に任せるような表現が多かった。
 逆に、多くを登場人物のセリフで言わせてしまったのが、このドラマだった。

 漫画とドラマは違うので、すべて原作と同じには出来ないとは理解するが、可能なシーンもあったと思う。

 あと、すずの絵があまり生かされていなかったと思う。NHKの水木さんのシリーズみたいに、絵をアニメ化して取り入れたらよかったのに。まあ、これは予算や尺等考えると無理だろうけど、失った右手(=絵が描けなくなった)についてもう少し感傷的に表現してほしかった。

 このドラマのスタッフは、ちゃんと原作を読み理解してこれを作ったのだろうか?
 恐らくそうではないと思う。たぶん原作を利用して自分等の主張にあうようなものにつくりかえたんだろう。何となく、テレビドラマを作る者の奢りが垣間見えるような気がする。

 やってはならなかった改悪がいくつか。

  • すずの兄(鬼いちゃん)の存在が消されていた。
  • 哲さんとすずの妹を死なせてしまった(※)。
  • 玉音放送のあと。さばさばとして立ち上がった義姉が、物陰で空襲で亡くなった娘の名を呼んで泣いていたシーンと、この戦争の現実を知り畑で号泣するすずの頭を(亡くなった)誰かの手がそっとなでるシーン。(ここですずが心の中で叫んでいたセリフを、ドラマでは舅が淡々と語ったので、いきおい思想くさくなってしまった)
  • 広島で出会った孤児が、何故すずに近づいてきたのか。
  • 孤児に会って、すずが彼女に言った言葉を省略、二人のなれ初め話で終始。おかげの孤児はぼうっとして話を聞くだけの立場に。「よう広島で生きとってくれんさったね」のセリフをどこへやったぁ~~~!

 やってほしかったシーン

  • 海をスケッチしていたすずが、スパイの疑いをかけられ憲兵に捕まるが、結局怒鳴り倒されて家に連れて行かれて皮肉言われるだけで大事に至らなかった(北條家の職業が良かったのだろう)。その後の家族の反応(嫁の軽はずみな行動に怒っているかと思いきや・・・)。
  • 家に落ちてきた焼夷弾を、すずが不自由な体で必死に消そうとするシーン(幸い不発だった)。
  • 戦死した鬼いちゃんの遺骨(と軍が帰してきたもの)が、骨壺の中を見たら石ころだったこと。そのあとのお母さんのクールな反応(息子の死を信じていないとも受け取られる)。また、葬式のあと実家から北條家に帰る途中すずが夫と痴話げんかをしていたら、駅員からその話はそこでせにゃならん話かね、と呆れられた場面。

 

 まあ、尺も決まっているからいろいろ削らねばならないこともあると理解するが、四角関係なんぞに尺をさかねばもう少し入ったと思う。私はあの削られたいくつかのシーンにこそ、作者が言いたかったメッセージがあったと思う。
 また、哲は死んではいけなかった。戦後、お互い知ってか知らずかすれ違うシーン(※2)が良かったのに(しかも死に様がプールでタイタニックとは・・・このドラマ最大のトホホシーン)。

 私は人がけっこう死ぬ小説を書いてはいるが、実は必要以上に人を殺す話はあまり好きではない。だから、こういう改悪は許せないと思うのだ。
 原作では、すずの妹すみも被曝して原爆症で臥せってはいるものの、死んではいなかった(多分長くないことは匂わせていたが)。この改悪は、尺の長さよりも福島原発事故を案じて、放射能障害を表に出すことを憚ってのことだろう。原爆投下直後の広島に、救援に行った親戚の人たちが臥せっているというシーンも省かれていた。
 また、秋も深まってから年が明けて傷も癒え、妹に会いに行ったすずが、広島で目の当たりにした現実。妹の原爆症のことはもちろん、数か月たっても行方不明の身内や知り合いを探す人が絶えないことや、未だ犠牲者の骨が日常化したようにそこここにあるとか、壊れた実家に住み着いてひたすらに謝る孤児の兄弟のこととかもなかった。
 あったのは、焼け落ちた実家で海苔屋の看板を抱きしめて子供みたいに泣くすずのシーンだけ。夫の周作と再会した駅(だったと思う)も、廃墟のようで人がまったくおらんし。なんぼなんでもその頃の広島はゴーストタウンちゃうで。
 のちにすずたち養女になるであろう孤児が、すずに近寄ってきたのも、彼女の母親が被曝時に右手を失っていたからだった。母親はそれがもとで死んでしまうが、母と同じ手をしたすずを見て、母親と重ねてしまったのだろう。すずも、自分の右手に触れる孤児の様子に何かを察し、あの言葉を言うのである。

 しかし、空襲や広島の原爆の酷さ・悲惨さが大幅にカットされた「終戦記念スペシャル」ってなによ。

 泣くシーンと言えば、空襲で壊滅した娼館に行ったすずが、その惨状からリンの爆死を察するシーンでもドラマでは号泣していた(夫の周作まで物陰で泣いていた)。原作では、遺体はとっくに片づけられていることもあって、呆然とはするものの、彼女の思い出と寄り添うように廃墟に座り込んで語りかけていた。実際はこういう反応になるんじゃないかなと思った。ただ、泣かせればいいってもんじゃない。泣かなくても十分に悲しみが伝わる表現だってあるのだ。

 原作では、戦争の悲惨さ辛さも描かれていたが、それ以上に戦時中の庶民の日常が描かれていた。戦争中だって庶民はたくましく生きている。それは、終戦直後も同じだ。人々はたくましい。
 もちろん原作者も私も戦後生まれだから、戦争体験者から見ると甘いドラマかもしれない。しかし、それでもこの原作が素晴らしいことには変わりがないと思う。

 これは、2時間ドラマではなく、NHKの朝ドラあたりでじっくり丁寧に作ってほしい作品だと思う。

(※)哲さんは巡洋艦青葉の搭乗員だったので、ひょっとしたらあの時点(※2)では亡くなっていたのかもしれません。

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 余談だが、この登場人物の名前は元素に因んだものだそうだ。スズ、リン、テツ、スミ・・・。なるほど。周作(臭素)、サン(酸素)、徑子(ケイ素)。
 みなさん、名前を考えるのに苦労なさっているようで。

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