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2011年7月 9日 (土)

 急行電車の通過を待って、ドアのガラス窓から何気なく外を見ていた。

 すると、ひらひらと儚げな様子で、一頭の蝶が舞い降りて線路の砂利の上に止まった。ツマグロヒョウモンの雌だった。
 最初、単に休むために降りてきたのだと思っていたが、しばらく翅をゆっくりと開閉していた彼女の動きがだんだん弱くなっていった。それでも少しはゆらゆらしていたが、よく見るとそれは風で揺らいでいるだけだった。

 そうしてようやく気付いた。彼女の命が今尽きたのだと。

 何とも言えない気持ちで、私は電車が発車するまで彼女の姿をじっと見ていた。心の中で手を合わせながら。

 電車はそんなことは知る由もなく、いつもの通りに発車した。そして、おそらく彼女の体は、電車の作る風に無情にも吹き飛ばされてしまっただろう。

 しかし、彼女は大往生だったと思う。卵から無事に成虫になれる個体はわずか2%ほどだという。ものすごい生存競争に打ち勝って、命尽きるまで捕食されることもなく、おそらく産卵までこぎつけたと思われるからだ。生命力と運に恵まれた一生だったにちがいない。

 蝶に限らず、昆虫と言うものは寿命が尽きるとまるで電池が切れたようにぱったりと動きを止めるようだ。いままでにも2・3度、さっきまで元気に飛んでいた蜻蛉や蝶が落ちてきて動かなくなったのを目撃したことがある。最初は驚いたが、こういうもんなんだ納得した。

 生物は、次に命を繋げることが目的で生きている。綿々と続く生命の営み。彼女が死んでも彼女の強い遺伝子は生き残る。

 きっとその中の一匹が成虫になって彼女の遺伝子を繋げていくことだろう。

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