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2011年3月27日 (日)

遺体無き報道について

「この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると被害者のことを全く理解できない」「そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」 (ビートたけし) ※数字は発言当時。 

 凄まじい津波の映像。がれきの山になった、あるいは何もかも消失したような廃墟。彷徨うように身内を探す人々。

 しかし、その数多の映像の中には、一つの遺体も写っていない。死者が3万人越えするだろうという程の、とんでもない災害なのにである。

 残酷だから写さない。あるいは人権ってのもあるだろう。しかし、何万人もの死者を出した災害だということは、映像から実感が得にくい。被害状況から推測あるいは想像するしかない。
 映像から推測あるいは想像する。それは、個人の想像力によってまちまちだろうし、そういうものを(写真ですら)まったく見たことない人には、想像も不可能だろう。しかも、怪獣や怪人がどんなに暴れても、死者が出ないようなドラマで育った人間には、なおさらだと思う。

 夜12時過ぎになったら、多少の遺体映像は写っていても構わないように、規制を緩くすべきだ(いや、ひょっとしたら放送規定ではなくて、クレームを恐れた自主規制かもしれないが)。損傷の激しいものや、アップは避けるしにしても、遠景で写っているものくらい、やむを得ずとすべきだ。

  

 下のリンク先では、亡くなった私の祖母によく似た方のご遺体映像があった。それだけでも、ご遺族の気持ちの幾分かは理解出来るように思う。

 臭いものには蓋をしろ? そうじゃない。 同胞の身に何が起こったのか、私たちは知る義務がある。3万人分の人生すべてに思いをはせることは不可能だが、一部でも知ることが出来るのとまったく知らないのではその重さが違う。痛かっただろう、冷たかっただろう、苦しかっただろう、怖かっただろう、悔しかっただろう、生きたかっただろう、と。
 その上で、3万人の死を悼み、皆が力を合わせて復興に向かうことが出来るのではないか。

 百万の言葉よりも、1枚の映像にはかなわない。

 心して見てください。
 損傷の激しいご遺体の写真はないですが、やはり、ショックな映像や見ただけで涙を禁じ得ない映像があります。
(小学生以下は見ないように、見せないようにしてください)

タイトルはあれだが、ほとんどの人の反応は真摯だ。
(横の広告映像は、無視してください)

http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1375.html

 今回の災害の映像を見て強く思ったのは、原爆被災写真との共通点だった。人々の呆然とした途方に暮れた表情・・・。やりきれないです。

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