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2008年8月15日 (金)

与市さんの話

 与市さんは、おわんのような或いは深皿のような、自作のボートを漕いで川下りをするのが趣味だった。

 与市さんは、暇さえあればそのボートで川を下った。身近で行ける川は全部行った。流れのある場所では、与市さんはボートに座っていたけど、流れのないところでは、一寸法師みたいな感じで立ち上がって櫂でボートを漕いでいた。
 川を下る与市さんはとても楽しそうだと私は思った。わたしが手を振ると、オレンジのライフジャケットを着た与市さんも。嬉しそうに手を振ってくれた。わたしは大声で「こんどぼくも乗せてねー」と叫んだ。与市さんは、「おおっ!」と答えてくれた。わたしはにこにことして、与市さんが去っていく姿に手を振った。

 ある日、わたしは親父に連れられて小さいヨットで海に出ていた。わたしはまだ小さかったから、3人乗りだったけど、わたしを入れて4人で乗っていた。初めてのヨットで、わたしは大はしゃぎだった。

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2008年8月10日 (日)

「『米国炭疽菌テロ事件』、犯人の自殺で幕」について考える

※これは、テロと分類するには事件の性質を考えると微妙ですが、全米を震撼とさせ一部でパニックを引き起こし、無関係の人を多数殺したということから、私は「テロ」と考えます。

※一部修正しました(8月17日)。


 
 昨日は小説を書き上げてから、原爆忌のことを書こうと思っていたが、ちょっと気になったので、先ず、こっちの方から書くことにした。小説については、今回アップ分の2/3以上を書き上げているので、今日中にはアップできるでしょう。しばしお待ちを・・・。
 この事件は、小説の方でもギルフォード教授に何度か触れさせるつもりで(一度目は終わっている)、今後もその予定ではあるが、内容が被るのを覚悟で(というか、こっちを読んでくれる人の方が多いか)ここに、私の簡単な推理というか意見を書いてみようと思う。

 さて、この事件は、9.11テロから間を置かずに起きたこと(最初にNBCに炭疽菌入り郵便物が届いたのは9月18日)、事件の特異性や、初めて死者を5人出して成功したバイオテロであること(オウムはバイオテロの方は完全に失敗している)、そして、犯人の自殺で幕を閉じるという、いかにも劇的な展開をしたため、すでに出ていた陰謀論に拍車をかけることにもなりそうだ。

 それで、私は陰謀論とは違った、オーソドックスな、クソ面白くも無いような、それでいて真っ当に思われる説明をしてみようと思う。但し、私はあながち見当違いではないだろうと思っている。

 まず、炭疽菌(たん-そ-きん)についてやや詳しい説明をしよう。

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2008年8月 9日 (土)

第63回原爆忌に思う

 今年の広島の原爆忌、平日だったので、私は去年と同じように会社に行く途中のバス停で、8時15分のサイレンが鳴るのを合図に黙祷しようと思っていた。しかし、ちょうどその時他の路線のバスが2台も目の前で停車、エンジン音が五月蝿くて、うわあ、聞こえね~と思っていたら、16分を過ぎていた。焦って黙祷。まあ、実際の炸裂時間は8時16分ごろらしいので、大目に見てくださいねと思いつつ、暑い中、わざわざ日傘を閉じて約一分間犠牲者の冥福を祈った。あの日、突然現れた人工の太陽に焼かれ、苦しんで亡くなった方の熱さを万分の一でも感じられるように。
 結局、今年の久留米はサイレンが鳴らなかったのだろうか。いや、去年鳴らして今年は無いとは思えないので、きっとバスのエンジン音と相殺されて聞こえなかったんだろう。

 長崎の原爆忌は、ちょうど土曜だったので、家で投下時間を迎えた。さすが太宰府、平和授業に力を入れているだけあって、きっちり11時2分には1分間盛大にサイレンが鳴った。私が転勤前に通っていた下関の小学校でもたしか、平和授業があったと思うが、登校日はどちらの原爆記念日でもなく、たしか毎年10日頃だったような記憶がある。
 太宰府は、ずっと8月6日と9日と15日には必ずサイレンを鳴らす。これにはいつも感動する。8月15日に鳴らす自治体はほとんどだと思うけど、原爆忌に鳴らす自治体はどれくらいあるのだろう。しかし、いつまでこれが続けられるのだろうと思ったら、少し不安になった。うるさいからやめろとか、興味のない人が何で11時2分なんて中途半端な時間に鳴らすんだ、とか文句を言い出して、そういう意見が増えたら中止になる可能性はありえないことではない。70回忌100回忌と、いつまで続くだろうか。しかし、これが続くということは、日本が平和であることの証明でもある。

 残念なことに、長崎原爆忌の前日、8月8日にロシアとグルジアが開戦した。すでにグルジアでは民間を含む千人単位の死者が出ているらしい。ロシアとの武力の差が歴然としているのだろう。

 日本は現在平和である。年金問題とか格差の拡大とか色々あるが、やっぱり世界の中では恵まれた国であることに変わりは無い。好きなものを着られる。言いたいことを言っても、ネットでどんな発言をしても、犯罪に関わらない限り、当局が来てどこかに連れて行かれるようなことは滅多に、無い。

 だが、平和ゆえに、人はそれを当然と受け止め、ぬるい平和にどっぷり浸かっているうちに、感覚が鈍り生きることに対する意欲が減っているように思われる。そのひずみから、一部の人間は、簡単に自殺に向かい、或いは大量殺戮に走る。最近よく効く言葉。「誰でも良かった。」そう、殺すのは自分でも他人でも良いのだ。日本人は、生きることに対しての執着が弱くなっている。

 それでも、そんな今の日本でも、紛争地域や厳しい環境におかれた人たちにとっては夢の国だろう。たとえ、それが多くの血の上に立つ、腐りかけた平和であっても。

 日本人は、今の平和な状態にもっと感謝し、この国が世界では特別に平和な国であることをもっと認識せねばならないと思う。そして、その土台には、あの戦争で亡くなった数多の方々が居られることを忘れてはならない。

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2008年8月 3日 (日)

赤塚不二夫逝く

 ああ、また昭和が遠のいちゃったなあ・・・。

 もう、意識不明状態がずっと続いていたので時間の問題だったとは思うけど、やっぱり悲しい。でも、この人、寝たきりになってからの方が稼いでいたらしい。それだけキョーレツなキャラを生み出し続けた人ということで、やはりギャグマンガの神様だった。とうとう本当の神様になっちゃったね。

 それにしても、あっちにすごい面々が揃いつつある。SF作家もだいぶ逝ったしなあ。あっちに出版社があって漫画雑誌出したら、どんなすごいもんが出来るやら。

 まあ、これで奥さんや菊千代、そして手塚先生や石森先生、藤子F不二雄先生とまた会えるのだからら、植物状態を続けるより幸せだったかもしれない。

 謹んでご冥福を祈るニャロメ! あちらでもマンガを描いて欲しいでやんす。他の先生方によろしく言うべし。酒煽りすぎて、神様から追い出されないように気をつけるのココロ。
 シェー! ダヨ~ン。 タイホする~! おでかけですか、レレレのレ~。 ハタ坊だジョー。 北海道のケイコたん~♪ 

 これでいいのだ。

 あ、涙出てきた・・・。

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