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2008年8月 9日 (土)

第63回原爆忌に思う

 今年の広島の原爆忌、平日だったので、私は去年と同じように会社に行く途中のバス停で、8時15分のサイレンが鳴るのを合図に黙祷しようと思っていた。しかし、ちょうどその時他の路線のバスが2台も目の前で停車、エンジン音が五月蝿くて、うわあ、聞こえね~と思っていたら、16分を過ぎていた。焦って黙祷。まあ、実際の炸裂時間は8時16分ごろらしいので、大目に見てくださいねと思いつつ、暑い中、わざわざ日傘を閉じて約一分間犠牲者の冥福を祈った。あの日、突然現れた人工の太陽に焼かれ、苦しんで亡くなった方の熱さを万分の一でも感じられるように。
 結局、今年の久留米はサイレンが鳴らなかったのだろうか。いや、去年鳴らして今年は無いとは思えないので、きっとバスのエンジン音と相殺されて聞こえなかったんだろう。

 長崎の原爆忌は、ちょうど土曜だったので、家で投下時間を迎えた。さすが太宰府、平和授業に力を入れているだけあって、きっちり11時2分には1分間盛大にサイレンが鳴った。私が転勤前に通っていた下関の小学校でもたしか、平和授業があったと思うが、登校日はどちらの原爆記念日でもなく、たしか毎年10日頃だったような記憶がある。
 太宰府は、ずっと8月6日と9日と15日には必ずサイレンを鳴らす。これにはいつも感動する。8月15日に鳴らす自治体はほとんどだと思うけど、原爆忌に鳴らす自治体はどれくらいあるのだろう。しかし、いつまでこれが続けられるのだろうと思ったら、少し不安になった。うるさいからやめろとか、興味のない人が何で11時2分なんて中途半端な時間に鳴らすんだ、とか文句を言い出して、そういう意見が増えたら中止になる可能性はありえないことではない。70回忌100回忌と、いつまで続くだろうか。しかし、これが続くということは、日本が平和であることの証明でもある。

 残念なことに、長崎原爆忌の前日、8月8日にロシアとグルジアが開戦した。すでにグルジアでは民間を含む千人単位の死者が出ているらしい。ロシアとの武力の差が歴然としているのだろう。

 日本は現在平和である。年金問題とか格差の拡大とか色々あるが、やっぱり世界の中では恵まれた国であることに変わりは無い。好きなものを着られる。言いたいことを言っても、ネットでどんな発言をしても、犯罪に関わらない限り、当局が来てどこかに連れて行かれるようなことは滅多に、無い。

 だが、平和ゆえに、人はそれを当然と受け止め、ぬるい平和にどっぷり浸かっているうちに、感覚が鈍り生きることに対する意欲が減っているように思われる。そのひずみから、一部の人間は、簡単に自殺に向かい、或いは大量殺戮に走る。最近よく効く言葉。「誰でも良かった。」そう、殺すのは自分でも他人でも良いのだ。日本人は、生きることに対しての執着が弱くなっている。

 それでも、そんな今の日本でも、紛争地域や厳しい環境におかれた人たちにとっては夢の国だろう。たとえ、それが多くの血の上に立つ、腐りかけた平和であっても。

 日本人は、今の平和な状態にもっと感謝し、この国が世界では特別に平和な国であることをもっと認識せねばならないと思う。そして、その土台には、あの戦争で亡くなった数多の方々が居られることを忘れてはならない。

 

ヒロシマ、学び伝える=「核兵器、廃絶だけに意味」-63回目原爆の日
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jiji-06X171/1.htm

2008年8月6日(水)8時46分配信 時事通信

 広島は6日、63回目の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、被爆者や遺族、市民、福田康夫首相ら約4万5000人が参列した。秋葉忠利市長は平和宣言で「核兵器は廃絶されることだけに意味がある」と強調。子供代表は「何も知らなくて平和は語れない。ヒロシマで起きた事実に学び、伝えていく」と誓った。
 式典は午前8時に始まり、この1年間に死亡が確認された5302人の名前を記した原爆死没者名簿2冊を秋葉市長と遺族代表が慰霊碑に納めた。名簿は計93冊、死没者は25万8310人となった。原爆投下時刻の同8時15分、「平和の鐘」が打ち鳴らされ、参列者が1分間の黙とうをささげた。 

長崎で63回目の原爆忌、「核兵器に『NO!』の意志を」
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20080809-00292/1.htm

2008年8月9日(土)14時54分配信 読売新聞

 長崎は9日、被爆から63回目の原爆忌を迎えた。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園では、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれ、被爆者や全国の遺族代表、福田首相、市民ら約5650人が参列した。

 田上富久市長は長崎平和宣言で、核保有国に対し核兵器の削減、廃棄を求め、「核兵器の廃絶なくして人類の未来はない。核兵器に『NO!』の意志を明確に示そう」と呼びかけた。

 式典は午前10時40分に始まった。この1年間に亡くなったり、死亡が確認されたりした原爆死没者3058人の死没者名簿3冊が、平和祈念像前の奉安箱に納められた。

 名簿は計147冊、記載者数は14万5984人となった。

 この後、被爆者、遺族の代表や福田首相、秋葉忠利広島市長らが献花。原爆が投下された午前11時2分、高校生が打ち鳴らす「長崎の鐘」が響く中、参列者らが黙とうをささげた。

 長崎平和宣言で、田上市長は、米国で核政策を推進した元国務長官ら4人が「核兵器のない世界に向けて」と題し、米国に核実験全面禁止条約(CTBT)批准などを促した論文を紹介。核保有国に「核軍縮への責務を真摯(しんし)に果たしていくべき」と訴え、日本政府にも非核三原則の法制化などを求めた。

 また、今年が生誕100年にあたり、自ら被爆しながら被爆者救護に力を尽くした医師、永井隆博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけ」との言葉を引用し、平和の尊さを訴えた。

 続いて、被爆者代表の森重子さん(72)が「平和への誓い」を読み上げ、核兵器の拡散防止のために「憲法と非核三原則を世界中に広げていくべき」と訴えた。

 福田首相は「我が国は『平和協力国家』として国際社会で責任ある役割を果たしていかなくてはならない」とあいさつした。

 昨年、米国の原爆投下を「しょうがない」と発言し、被爆者らから激しい反発を受け、防衛相を辞任した自民党の久間章生衆院議員(長崎2区)が、2年ぶりに式典に出席した。

<広島原爆忌>平和宣言(全文)
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/mainichi-2008080600e041/1.htm
2008年8月6日(水)11時37分配信 毎日新聞
 平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」---被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰にもさせない」ための決意を新たにする日です。

 しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過小評価され、未(いま)だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2カ年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

 そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生まれた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

 昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

 核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190カ国が批准、非核兵器地帯条約は113カ国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170カ国が支持し、反対は米国を含む3カ国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

 多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

 対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生まれています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

 日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守(じゅんしゅ)し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果たすことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

 また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

 被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽くし行動することをここに誓います。

 2008年8月6日
 広島市長 秋葉 忠利 

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コメント

こんにちは!

仰ること本当にごもっともだと思います。
今の日本人(もちろん自分も)、あまりにも平和ボケし過ぎていると思います。

実際、外を見回すと決して安閑とはしていられません。朝鮮半島情勢、共産国の中華人民共和国の軍拡、ロシアの軍拡など、一歩間違うと日本も火の中に入りかねません。

実際、危険な火種がいっぱいあることを個人個人が認識する必要があると思います。

投稿: 湘南のJOHN LENNON | 2008年8月13日 (水) 16:34

湘南のJOHN LENNONさん、こんにちは。

タダで手に入る平和はないですね。
必ず誰かの血の上で成り立っている。だから、大事にしないといけないのですね。

それにしても、ロシアの動きが急にきな臭くなりました。
火種が大きくならねばいいのですが、なんか嫌な感じがします。

投稿: 黒木 燐 | 2008年8月15日 (金) 10:12

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