ほんとは怖いバスの中でのトラブル

　これは、ごく最近の出来事である。もちろん私の主観で書いているから客観的に見ると事実とは若干違うところもあるかもしれないが、自分としては、決して誇張やオチの付け足しはしていない。そして、これはノンフィクションであるが、カテゴリーをアンバランスゾーンにしているのには訳がある。

　私は朝、いつものようにいつものバスに乗った。いつものように灼熱の太陽光が降り注ぐ暑い朝であった。

　
　私はバスに立って乗っていた。途中数人が降車し席がひとつ空いたが、シルバーシートだったので座るのを遠慮して降りる人の邪魔にならないように運転士の後ろあたりに移動した。まあ、これも日常の行動だ。そして、バスは私が降りるひとつ前のバス停に着いた。そこは若干の会社があるのと、高速バスの乗り場に近いのとで、けっこう降りる人が多い。ところが、前席をぶん取って、真っ先に降りようとした男は、何故か延着証明書を一枚もらった後、運転士にバスカードを見せながら言った。
「これ、機械を通らなかったのだけど」
「とりあえず、ここに通してみてください」
運転士は横のバスカード用機械を指しながら言った。男は言われるままにカードを通したが、やはりエラーが出た。もう一度やってみたが結果は同じ。だが、そいつが出口を塞いでいるために、バスの通路は降りる人たちが完全充填した状態で、降りるに降りれずに困った顔をして待っていた。そんな状態なら、最後に降りるのが常識やろうもんと思ったが、とりあえず黙っていた。
　この辺はバスの本数が少なく、1時間に1本の割合である。しかも、まともに着いても始業時間ギリギリで、だいたいバスは遅れるから、数分の遅刻は仕方がないというのがいつもの状態だった。さらに、このような事態になると、ますます会社に着くのが遅れる。私は内心イライラしながら様子を伺っていた。男は諦め、現金で料金を払うことにしたらしい。今度は財布を出して千円札の両替を始めた。私はそれを見ながら、ちょっと避けてくれたらその間に他の人が降りれるのに・・・、と思った。それでも男は彼なりに焦ってはいたのだろう、何故か両替に異常に手間取っていた。遂に、イライラがピークに達してしまった私は男に言った。
「おじさん、次の人が降りれなくて困ってるから、ちょっと避けてくださいよ」
まあ、私の言い方もアレだったが、男はむっとした口調で言い返した。
「順番ですから」
「でも、あなたのせいで、ご覧のように沢山の人が降りられなくて困ってるんですよ。ちょっと避けて通してくれれば済むことでしょ？」
すると、男は自分のピザ体型を示しながら言った。
「これでどうやって避けろっていうんですか！！」
その声はすでに1オクターブほど裏返っていて、ちょうど「行列の出来る法律相談所」に出ている本村弁護士が、ネタでキレまくっている時の声とそっくりであった。違うのは、彼が恥も外聞も無く、本気でキレてしまっていることだった。あまりにも馬鹿馬鹿しい子どもじみたキレ方だったので、そいつがなんと言ったかよく覚えていないが、彼は出口を塞いだまま、キイキイとわめき続けた。私はまさか、このような激烈な反応が返ってくるとは思わなかったので、最初は反論してみたが、仕舞いには憮然として彼を見ているしかなかった。運転士は、まあまあ、と男をなだめ、他の乗客たちも迷惑そうな顔をしている。私は良かれと思って言ったことが、却って人様の迷惑になってしまったことで、困りきってしまった。このまま男と言い合いをすることは可能だ。しかし、それではバスは永遠に足止めを食うばかりだ。いっそ、ここで降りて外に口論の場所を移そうかと考えたら、横の女性がサッと私を引きとめた。私は立つ瀬がなくて、その人に「すみません」と謝った。すると、『本村弁護士』は「謝るならオレに誤れ！」と裏声でわめいた。運転士はまた「まあまあ」と男をなだめた。私の横に座っていた年配の男性が見かねたのか「あんたね！」と男に何か言おうとしたら、運転士がそれを止めた。男性は、そのまま黙った。男はまたしばらく何かわめいていたが、ついに諦めたのかバスを降りた。ようやく乗客たちは解放された人質の如くバスから降りることが出来た。私は再び降りる人たちに謝った。怖いというよりも腹が立って私の手足は若干震えていたが、とりあえず嵐は去ったのでホッとしながら、降りていく乗客の様子を何の気なしに見た。その時、私は信じられないものを見てぎょっとした。

なんと、その男は降りた後すぐに目的地へは向かわず、バスの前方に立ってデジカメらしきものでこっちを撮影していたのだ。

私は、それこそ心底ゾッとした。すぐに私は、運転士の後ろにある目隠しに身体を隠したが、すでに遅かったかもしれない。何にそれを使われるのかと思うと、あまりいい気はしない。どうせ撮られたのなら、パンクらしく裏ピースで腕曲げファックオフポーズをして差し上げればよかったと、後で後悔した（余計話がこじれそうだが）。

　最近、タバコの煙が煙いというしぐさをされたという理由で鼻の骨が折れるほど殴ったり、ホームでの化粧を注意されたというだけでホームから突き落としたりという、些細なことで逆ギレするニュースをよく耳にするが、まさか、自分がそんなヤツと関わるなんて考えてもみなかった。
　たしかに、私より若いだろうその男をおじさん呼ばわりしたのは不味かったとは思う。言い方ももっと優しく言えばよかったと思う。しかし、私は少なくとも間違ったことを言ったとは思っていない。朝急ぐのは自分も他人も同じだ。ならば、お互いに気を遣って邪魔をしないように、或いは邪魔にならないようにするべきだと思う。降車口を長時間塞ぐなんて以ての外ではないか。

　バスは、なんとかそのバス停を発車した。私は流石に気持ち悪かったので、いつものバス停で降りずに一バス停先で降りることにした。30円高くなるがしかたが無い。実はこっちの方が会社に近いのだが、会社は30円をケチるがために前のバス停までしか交通費をくれないのだ。けっ。
　私は途中、横の男性にも誤り、降りる時に運転士にも謝って降りた。運転士は何も言わなかった。きっと、いらないことを言ったトラブルメーカーだと忌々しく思っているのだろう。しかし、そもそも乗客の乗り降りをスムースに誘導するのは運転士の仕事ではないのか。さっきの男に「済みませんが、後のお客さんが降りれるようにちょっと避けてくださいませんか」と言うべきは、運転士の役目ではなかったか。私は釈然としない気持ちでバスを降りて会社に向かった。

　とりあえず、しばらくの間は背面に気をつけることにしようと思う。