« 引き続き小説館更新しました。 | トップページ | 【緊急行動】チベット人僧侶に拷問と虐待の恐れ! [チベット] »

2008年3月24日 (月)

サタディ・アコースティックの夜

 2月。JJ師範が、空手で来日している間、3月8日と15日の土曜に計2回単独ライブをするという情報が入った。
 実に嬉しいことだが素直に喜べぬ。3月といえば年度末で、一番忙しい時である。その上去年サマーソニックに出かけて、破格の散財をしたばかりだ。金も暇もない状態のこの時に、鼻先にニンジンぶら下げられても素直に走れない。しかあし、迷っていたのは数日間、だんだん会社でのストレスが蓄積され、壁を殴って(以前のJJじゃあるまいし、本人殴るわけにはイカンやろ)数箇所皮の剥けかさぶたになりかかった右手の中手指節関節部分の傷を見ながら(って、ええ歳こいてやることではないがな)、15日の観戦もとい鑑賞を決心した。

 イラッとする度、15日~15日~と呪文のようにつぶやき、8日9日と土日も連続で仕事に出、ようやく迎えた3月15日、派手に空港の検査ゲートで例の如く派手に警告音をぶち鳴らし少し手間取ったが、無事に機上の人となれた。飛行機に乗るのはもう十数年ぶり、国内線に至っては二十数年ぶりのことであった。飛行機は耳が痛くなるから嫌なのである。特に国内線は上空の気圧に慣れないうちに着陸するので、特に着陸のため高度を落としはじめてからの痛さがたまらない。特に窓側がアカンらしい。それでも、15日の昼間は天気もよく上空から見るわが町福岡は美しかった。しかし、大地に足が着いてないということは、こんなに不安なものなのか。海外に行く時は、飛行機を利用するしかないので腹もくくれるが、国内となると時間はかかるが新幹線というものがある。しかし、新幹線よりも飛行機の方が安いとはどういうことだ? そうこうするうちに、飛行機は着陸態勢に入った。今までも耳が半分聞こえない状態になっていたが、例の痛さも襲ってきた。さらにピキピキいう右耳を抑えながら、じっと着陸するまで耐えるしかなかった。
 さて、そんなこんなで羽田に着いたがやっぱ早い。新幹線だとまだ大阪にすら着いていないだろう。乗るときに比べて気が抜けるくらいすいすいと空港から出られた。こんなで良いのかテロ対策? まあ、危険度が高まると色々な機器が置かれて出る方の検査も厳しくなると思われるが、新型インフルエンザ発生時に潜伏期の患者を止めることは、やっぱ無理だな、と思った。非常時にはやはり人の異動を止めるしかないだろう。しかし、現代ではそれは不可能に近い。
 などと、羽田で何を考えているんだ、こら。
 さて、モノレールで浜松町まで行き、新宿までは山手線である。とりあえず来た電車に乗ったら反対方向であった。まあ、ぐるり回って山手線、何れにしても新宿には着くだろう。急ぐ旅でもない。そう思ってあせりもしなかったが、結局福岡駅から久留米駅まで普通電車でかかるくらい時間がかかってしまった。座れればそれなりに楽しい旅だったかもしれないが、さすがにきつかった。とりあえず新宿に着いたので降りる。もう少しで山手線を一周するところであった(帰りに新宿から浜松町に行ったから、結局一周したな(笑))。
 新宿駅東口を出ると、例の人の多さにくらくらした。とりあえずホテルまでの地図を見る。地図を見た後実際の町並みを確認する。だぁ~ッ! ごちゃごちゃしてさっぱり地図と合致しない。とりあえずアルタ前まで行くが、ランドマークを地図上に当てはめても地図とリアルが合致しない。さんざ悩んだ挙句、道に立っていた警官のひとりに尋ねた。おまわりさんは親切に教えてくれた。何のことはない、靖国通りをまっすぐに歩いて最後に目印の建物を左に曲がれば良いだけのことだった。しかし、私はそもそも靖国通りを説明されるまで知らなかったのだから仕方がない。ホテルまで徒歩20分と書いてあるが、間違いなかった。なかなか目指すところまで着かなかったがようやくたどり着いた。コンタクトケース等家に忘れたので途中薬局で旅行用を買った。
 ホテルに着いたら、取り合えす休むことにした。コンタクトを取り簡易保存ケースに入れる。眼鏡も忘れたので何にも出来ない。とりあえず風呂に入る。よく見えないので何かといろいろよくわからない。何とか風呂から出ると、ベッドで横になり仮眠する。今日は久々に徹夜になりそうだから。そう、ライブが始まるのは深夜12時から。それも先に前座の遠藤ミチロウがやるから、師範のライブは夜中の1時なのだ。そんな時間にライブを聞いたことは、正直一度もない。もともと夜遊びもしない真面目人間だった。あまり真面目だと歳を取ってからはじける典型だな。まあ、今でも真面目だが。
 7時過ぎに起きて、久々に化粧をする。しかし、この時間から化粧するって「ご出勤」みたいだな。サマソニの時は真夏だったので、日焼け止めを塗るくらいしか出来なかった。顔面汗っかきなので、汗ですぐにまだらになってしまうからだ。まあ、化粧と言ってもほとんどわからないくらいのものだが。しかし、鏡を見ると、久々にファンデを塗ったせいか、旅行用コンタクト保存液が合わなかったのか、京劇の役者のように目のふちが赤くなっていた。げっと思ったが、特に後に問題になるようなことはなかったので良かった。
 8時を過ぎたので、お食事会の待ち合わせ場所の新宿プリンスホテルに向かう。さすがに夜はやや冷える。ホテルに着くと、中年パンクさんとキヨさんがもう来ていた。
 しばらく待つとみんなそろった。少しだけ参加するYukaさんとアルタ前で会い、予約したなかったのでお店を探すのに手間取ったが、Yukaさんが上手い具合にお店と交渉し、なんとか一軒に入り込めた。
 そこでしこたま料理を注文して、Yukaさんと入れ替わりに来たMM21さんも加わりみんなと色々話していたら、あっという間に時間が過ぎていった。参加したSISメンバーは他に、京都から来たSISスタッフ(休眠中)Aちゃん、神戸から来たIさん、そして名古屋から参加のGPZさんの延べ8人。
 時間が来たので店を出る。お勘定は間違ってねぇかってくらい、どえらい安かった。まあ、みんなライブに備えてあまり飲んでいないってのもあっただろうけど。

 しかし、飛行機は早いのはいいが、ライブに行くには向かない。少なくとも私には。何故なら、まだ右耳の難聴状態は続いていたからだ。こんなんでちゃんと聴くことが出来るんだだろうか・・・。

 新宿ロフト前に着いたら、8日のライブでも話題になった、ロフトの整理係のにこにこお兄さんから、並ぶように指示された。本当ににこにこして感じのよいお兄さんだ。今は無き友人まねき猫屋のKちゃん(って、縁起でもないスペインで生きとるわい(K))が、この場にいたら、確実に飲み会に誘うなってな感じだが、一見軽そうで優しそうだが、こんなとこで仕事してんだから、きっと色々修羅場を切り抜けているんだろうなあ。

 なんだかんだとあって、一番最後にロフト入りをし、ようやくほっとしていたら、中年パンクさんから「Yukaさんが楽屋に来てって言ってたよ」と、思ってもないことを言われた。「え?いいの?」と、なんかスリムクラブの持ちネタ、フランチェンみたいなアホ面になった。喜んで楽屋に入ると、先にAちゃんが入っていてJJと話していた(彼女は留学経験もあり英語が話せるのだ)。JJは私に気がつくと立ち上がって迎えてくれた。
「リン、ゲンキデシタカ?」
「はい、元気です」
ご存知のように私は英語はからっきし駄目である。そんな私なんかにわざわざ~、ウレシイわ、と、気分は相変わらず教祖に会った信者である。さらに、いつの間にか右耳の難聴は気にならない程度になっていた。
 私が、脱いだコートや荷物を空いた椅子に置いていると、所定の椅子に座った師範はまたなにやら言い出した。
「ボクは、イマ、ニホンゴタクサン覚えてマス」
そういうや、いきなりトンデモナイことを言い出した。
「XXXXXXXXXX(自主規制、文字数はいい加減です)」
おそらく、先発隊(3月8日組)が聞いて驚いたってのも同じだろう。おい、そりゃセクハラだろうと思いながら、師範の顔を見ると実に嬉しそうであった。私が怒ったふりをしてツカツカと師範に近づくと、怒られた子どものように頭を低く怯えたふりをしたので、頭を軽くぺしッとはたいて「めっ!」と言って差し上げた(教祖じゃなかったのか?)。すると、今度は自分の各部分を指差し、「メ、ハナ、クチ・・・」と言い始めた。何となくオチはわかったが、やはり最後は「キン○マ」で締めてくださった。覚えたてのニホンゴって、今更目・鼻・口はないやろ。まあ、それがジョークなのはわかっているけども。しかし、オマエはエロ小学生かと小一時間(以下略)
 さて、持って来たお土産を渡さねばと、バッグをごそごそ探しブツを師範に持っていった。まず、師範が欲しがっておられたという、SISJAPAN会員用に送った、ライブのお知らせのポストカード。それからウケ狙いの辛子明太子キャラボールペン、そしてもっとウケ狙いの∞(無限)プチプチプチ萌えメイドさん変、じゃない、メイド編(個人的にはツンデレのほうが良かったと思う)。Yukaさんがどういうものか説明すると、師範はいきなりすごい勢いで封を切って中身を出し、プチプチし始めた。しかし、何も言わないのでYukaさんが電池は別売り?と聞いてきた。こういうもので電池別売りはありえない。多分押してたら声がするはずだ。で、Yukaさんがプチプチしていると、何か言った。師範も試してみるとやっと声が聞こえたらしい。
「日本人はホントにクレイジーだ」とあきれていたが、どうやら気に入ったらしい。道場ではひとりなのでよい暇つぶしになるよと言ってくれた。

Loft001ss  その後、楽屋で許可を得てみんなの写真を取り捲る。傑作なのがARBのキースさんと、ブルースハープでJJのライブに特別参加の鹿志村さん とJJのスリーショット。これにはみんながカメラを向けて撮っていた。キースさんも鹿志村さんもとても良い方で、さらにキースさんは、以前ストラングラーズ日本公演の楽屋裏でお会いした時と全く変っていない。

 そんな中、待機していた遠藤ミチロウさんが出番のため楽屋を出て行った。あいにく私はミチロウさんの顔を知らなかったので、出て行くまで誰かわからなかった。アブナそうな細いオッサンがいるな(この時点で気づけよ)とは思っていたが。わかってたらドラちゃん、いえ、drac-obさんのためにサインをお願いしたのにね、あはは、残念。まあ、もらえたかどうかは置いといて。
 で、ミチロウ(以下敬称略)が出て行くと会場から拍手が沸いた。するとMCが聞こえギターの音と共にいきなりS○Xがどーのという歌が聞こえた。ひえ~、いきなり飛ばすかミチロウ。2曲目は曲も歌詞も良く、落ち着いた感じでこれは好きだった。これならdrac-obさんが好きってのもわかるなあと思った。しかし、3曲目はまたとんでもないのが来て、叫びまくり、後半は延々「あ~~~~~あ~~~~~」とスキャット(っていうのかな、あれ)が続いた。それもケダモノが首を絞められているような凄まじさ。すでにアングラ劇の様になっている。楽屋に居るから演奏の様子は見えないが、ミチロウを知っている人で、その上ファンならともかく、全く知らない人はどうしていいかわからんだろうな。ていうか、JJのソロが目当てなのだから、そういうお客の方が多いだろう。その上で、まったく観客に媚びず、今の自分を精一杯表現するところがミチロウらしいのだろう。次の曲も締めは「あ~~~~~~」。ギターの曲はロジャー・ウォータースのソロみたいですごく良いのに。演奏は終わったようだが、やはり観客は圧倒されたかドン引きしたか、拍手に勢いがなかった。演奏を終えてミチロウが楽屋に帰って来た。熱演のため、汗だくだ。さあ、遂に師範のソロライブである。外野である私たちは、「ジャン・ジャックがんばって!」と声をかけて楽屋を出た。師範は手を振ってくれた。

 楽屋を出ると、一緒に出たはずのAちゃんが行方不明だ。暗いので(最近トシのせいか、特に暗いと目が見え難いのだ)他のみんなもどこにいるか判らない。仕方がないので椅子の間の通路になったところの最後部席あたりでJJのまん前に位置するところを立ち見で陣取った。後ろにも人がいたが、私は小さいので見逃してくださいね~、とずうずうしく居座った。
 しばらくすると、会場が沸いた。JJが出てきたのだ。「おはよう」彼は先週と同じように皆に挨拶した。私の後ろに居たタレントでもとずうとるびの山田隆夫に良く似た声の男性が言った。
「ジャンジャックだ~。あ~~~、太ったなァ~」
いえ、あれはほとんど筋肉ですから。多少の脂肪は格闘家のアーマーというか緩衝材ですよ、と心の中で訂正する。JJはギターをかかえると、椅子に座ってチューニングを始めた。”エクササイズだよ”と言いながら、そのままインストルメンタルの曲に入る。巌窟王からの悲しくも美しい曲「sorrow(宿命)」だ。もともとアコースティックのギターがメインの曲なので、このソロライブにはうってつけなのだが、ここで聞けると思わなかったので嬉しい。しかし、何度聴いても心が締め付けられるような悲しさと、それ以上に何故か遠い昔の懐かしさを感じさせられる曲だ。多分、アニメのシーンも影響しているのだろう。
 演奏が終わると、JJはビールを飲んで言った。"エビスビール、僕のお気に入りだよ”「オイシイ!」
小手調べのインストが終わると、JJの軽快なMCが始まった・・・って、え?
「僕は、イマ、ニホンゴタクサン覚えてマス。XXXノ、XXXヲ~、XXXX(再び自主規制、文字数は適当です)」
おい!楽屋と同じこと言ってるよ。さらに、
「メ、ハナ、クチ(省略)・・・オッパイ・・・キン○マ」
だから、いくら深夜とはいえ、いきなりシモネッタさん連発はどうかとおもうぞ。
会場の皆さん、お付き合いどうもありがとうございました。

Loft004s イントロが終わって第一曲目はアルバム”Feline”より"European Female"邦題「ヨーロッパの女」、ストラングラーズのライブでも定番の曲だ。キターだけでもけっこうイケルではないか。次はアルバム”Aural Sculpture”邦題「音響彫刻」"Skin Deep"皮膚の厚さだけ、つまり上っ面という意味だ。アルバムではヒューが歌っているが、もともとはJJ作で、バラード曲らしい。静かに、時に激しく歌い上げる。JJが言うだけあって、ストラングラーズヴァージョンとは全く違った印象だ。例の山田隆夫似の声の人の「あ~、こっちの方がいい~」という声がする。彼は盛んに日本語と英語でJJに声をかけてくれて、ライブを盛り上げてくれた。そしてアルバム「10」から、"Never To Look Back"前奏のキーボードの旋律を「パーパパーパーパパパパ・・・」とスキャット(これは間違いなくスキャット)で歌った。 そして”JellyFish"「くらげ」だ。これはJJの初ソロアルバム「ユーロマンカメス」からのコミカルな曲だ。好きなレゲエバンドの曲から思いついたという。因みに、この「ユーロマン・カメス」は今のEU(ヨーロッパ連合)を予言したとも言えるアルバムである。そして、次はガラリと曲調が変ってめっちゃ暗いけどちょっと懐かしい銘曲アルバム”Coup de Grace”より"In the End"である。暗いのはさもありなん、これは離婚について歌った曲だ。これも是非聴きたかったのでとても嬉しい。さて、次の曲は思いもよらなかった"Outside Tokyo"、パンク時代の名盤「ブラック・アンド・ホワイト」からの曲だ。まあ、曲名から想定できないこともなかったが、アルバムではヒューが歌ってるし、ライブでもずぅ~~~っとやってない曲だからだ。うわぁ~すごいと思って聴いていたら、JJがいきなり間違えて、会場のみんなもずっこけた。
”ごめんごめん、でも、この曲はソロでは初めてなんだ”
この曲は、先週でもやらなかった、ホントにホントの初演奏だったらしい。きっと先週はまだ準備万端じゃなかったんだね。この曲はワルツなので、特に演奏が難しいようだ。演奏再開したJJは、今度は無事に演奏を終えた。
 ”君たちはフランス語は出来るかい?”とJJはいきなり聴いてきた。左手側の外国から来たファンがフランス語で答える。ちょっとだけ会場がおフランスのライブハウスな雰囲気になった。それか演奏されたのが”Waltzin Blue”。やはり、巌窟王の挿入歌で使われた曲だ。これでワルツが2曲続くことになる。もちろんフランス語である。1曲で良いからフランス語の歌が聴きたいと思ってたから、もう嬉しいったらない。続いて”We Were Lovers ”。巌窟王のオープニングテーマに使われた曲だが、もともとショパンとその愛人ジョルジュ・サンドのことを歌った曲で、元となった曲はタイトルからもわかるように、ショパンの「別れの歌」だ。これは、JJのソロでは定番となっている曲である。続いてはガラリと雰囲気を変えて、ハードで軽快な”Unbroken”だ。これはお馴染み、アルバム"SuiteXVI”の第一曲目である。これをやるのは先週やったと聞いていたので想定していたが、あのバリバリのロックな曲をどうアコースティックでやるのだろうと思っていた。しかし、何の違和感もなく聴けた。先週いまいち上手く合わなかったらしい、”I need nothing from you!”の後、会場が「Ooh!」と合いの手を入れるところも、今回は上手く行ってJJも嬉しそうだった。
 この曲間のMCでは、チベットの暴動や宇宙ステーションのニュースについて語っていたが、残念ながら、私には聞き取れなかった。そしてまた、”Aural Sculpture”より"North Winds"。最初前奏では何の曲かわからず、(え~、私の知らない曲がある~)と焦ったが、メロディがはっきりしてくるとすぐにわかってほっとした。多分この曲を選んだのは、チベットに今起こっていることを憂えてのことだと思う。

 さて、次は"Where I live"、これも「10」からの曲だ。この曲が演奏されると違う意味でドキドキしてきた。実は楽屋で、Yukaさんが私たちにこう提案してきたからだ
「"Where I live"で、曲調が変ったところでね」
「うんうん」
「"I'll have another drink to see me through the day"その後に、"Thank you, JJ"ってあるよね」
「うん、あるあるある」
「そこ、言ってあげたら良いと思うんだけど」
「うん、わかった!」

 それで、その時ワクワクドキドキ、某所風に言うならwktk(ワクテカ)で待っていたのだ。しかし、なかなかそこまでたどり着かなかった。何故なら、最初の方の歌詞に"I got two big balls, A cap and a bat,  And I play with them all of the time,"ってのがあるのだが、そこでまたJJが「キン○マ」を連発し始めたからだ(何故だかは歌詞を読めばわかるね?)。私は苦笑いをしながら、「わかったわかった、もうわかったから・・・」とつぶやいていたが、JJはどうにもそこが気に入ったらしく、針の飛んだ蓄音機のように連発している。

キャンタマ袋なんかもうどーでもいいから、

とっとと先に進まんか~~~!!」

いい加減にそう思ったところで、ようやく歌が先に進んだ。その後は滞りなく例の歌詞まで進んだので、心置きなく「Thank you, JJ!」と叫ぶことが出来た。他にも数人の声が聞こえた。JJは嬉しそうだった。
 さて、次は"I Hate You"、これも”SuiteXVI”からの曲で、ウエスタン調のゴキゲンな調子の曲だが実は色々な要素のからんだ曲である。そのひとつはブッシュとブレアを揶揄しているということである。ここでブルースハープの鹿志村さんの出番である。JJに紹介されて出てきた鹿志村さんはJJの右手側、会場からは左手に立った。演奏が始まった。ハーモニカが入るところ以外は、鹿志村さんはびょ~んびょ~んと音のする民族楽器を演奏し、コーラスにも参加していた。うまやらしい、もとい、うらやましい限りである。
Loft009s_3 そして、最後は"Dagenham Dave"セカンドアルバム「ノー・モア・ヒーローズ」からの曲で、ストラングラーズに出来た初めてのファンであり、若くして自殺してしまった黒人青年のディヴ~キーボードのディヴ・グリーンフィールドと区別するために「ディゲナム・ディヴ」と呼ばれた~のことを歌った、曲調こそ明るいけれど悲しい曲だ。JJはこの曲を歌い上げると、ストラングラーズでは最後のシンセの演奏が入るところで、また「プァッパラッパパラッパパラパパ」とスキャットで歌い始めた。今度は会場のみんなにも一緒に歌えという。って、ここのメロディ、すっごく難しいんですけど? はい、みんながんばって歌ってましたとも。もちろんワタクシも。
 無事に全曲が終わって、「ドウモ、アリガトウ」と言ってJJは楽屋に引っ込んでいった。もちろんみんな席を立つ気配はない。もちろんアンコールだ。
 少しすると、JJがまた戻ってきた。会場に歓声が上がる。聞き覚えのあるギターのフレーズ、「ノー・モア・ヒーローズ」から"Something Better Change"だ。私の座右の銘でもあるが、未だかつて、なかなか変われない。そして、JJが15歳の時にもう作っていたという曲、"Go Buddy Go"だ。これがまた、ご機嫌なブギで、”Go buddy go buddy go buddy go buddy go go go!"のところは会場大合唱となった。

 そして、楽しいひと時は終わった。JJが帰ろうとすると、みんなのブーイングが鳴り響いた。後ろの方で「ゴールデン・ブラウン!」と叫ぶ人たちがいた。JJはちょっと困ったような顔をしていた。私も聴いてみたい(特に間奏のギターソロのところ)ような気もするが、選曲的にどうよ?と思った。何故なら、その曲はストラングラーズのライブでは定番の曲になっているが、反面、脱退したが未だ一部のファンの間では絶大な人気の元ヴォーカル、ヒューの持ち歌というイメージも強いからだ。しかし、もし、この曲もJJが深く関わっているのなら、いずれやってくれるだろう。
 みんなに名残惜しまれながら、JJは今度こそ楽屋に消えて行った。私は、やや明るくなった室内で、仲間達を見つけ、傍に座った。みんな、JJが楽屋から出てくるのを待って、帰ろうとしない。まあ、時間的に交通機関もないのだが。もちろん私も待った。
 だいぶ待ったが、ようやくJJが出て来た。あっというまにファンに囲まれ狭い通路に人が埋まった。こうなったら私も近づけない。仕方がないので、遠巻きにして様子を見る。いや、好きなミュージシャンがファンに囲まれるのを見るのは嬉しいことだ。一時期の低迷が夢のようである。今まで支えてきて良かった。頼りない柱ではあったけれども。バルサ材のような柱だけれども、これからもがんばって支えていこうと、改めて思った。ようやくJJは戸口までやってきた。去っていくJJにAちゃんと私は「バイバイ、ジャン・ジャック!」と叫んだが、あいにく届かなかったようだ。次回は持ち前の大声で叫んでみることにしよう。隣のマンションのクソガキを怒鳴りつけたあの大声である。JJが驚くかもしれんけどな。その後にYukaさんを見つけ、なんとかお礼と挨拶を言うことが出来た。さて、パーティは終わった。帰りに階段あたりで例のにこにこお兄さんと出会ったので、ご挨拶をした。
 交通機関がない仲間達の為に、今夜は新宿の街で徹夜なのである。しかし、こんなにストラングラーズの話が出来ることは滅多にないので、この機会は貴重である。それで、次の場所の相談をしていると、またにこにこお兄さんからにこにこした顔で注意されてしまった。
「最後まで注意されてしもうたなあ」
MM21さんとキヨさんが、笑いながらお兄さんに言った。大阪弁っていいね。で、仕方がないのでそぞろ歩きながら場所探しだ。しかし、土曜深夜の不夜城新宿は、やはり怪しかった。やっと終夜営業の喫茶店、「ルノアール」を見つけて入る。 すると、ここもいわゆるワーキングプアな人たちのねぐらとなっていた。実際に見るのは初めてだ。自分らはただの不良おじさんおばさんである。ちょっと申し訳ないような気がした。
 メニューを見ると、深夜料金で馬鹿高い。しかし、その料金で世が越せるのだからありがたい。みんなそれぞれが注文した。そして我々は夜明けまで心行くまで話し明かしたのであった。 

 6時近くになって、ルノアールが閉店しそうになり、開店を聞いたら8時だったので、私たちは仕方なく店を出た。すでに夜は明け切っていた。通りには大量のゴミがあふれ、これまた大量のでっかいカラスがゴミをあさっていた。ほとんどがハシブトカラスのようだ。これが華やかな繁華街のもうひとつの顔だった。私は皆とわかれ、頭上をカラスが飛び交う中、疲れ果ててホテルまでの道をとぼとぼと帰っていった。そして9時まで仮眠を取った。日曜は、東京内をいろいろ観光するつもりだったが、さすがに疲れが取れず、寝不足も祟って、せっかくの観光日和なのに早々と空港に向かった。羽田に着くとまだ2時台である。出発は5時12分。大量に時間が余った。仕方がないので、展望台で飛行機を見たり撮ったりしていたが、やはりキツイので、飲食店に入って遅い昼食をとり、そのまま居座って途中購入した本を読むことにする。
 ようやく時間が来たので、今度はゲートの鐘を鳴らさないように、危険物は外し通った。さすがに通れたのでほっとした。しかし、行きも帰りも右耳側が窓だったので、せっかく直りかけていた右耳がまた痛くなった。しかし、到着するまで我慢するしかない。いい加減学習しろよ、私。因みに飛行機は10分遅れで飛び立ち、5分遅れで到着した。要するに、5分早く飛んだ訳だ。飛行機も急ぐらしい。いや、10分くらいどってことないですから、安全飛行してくださいお願いします。

 行きと同じく母と妹が空港まで来てくれた。とりあえず、無事に家につき、現実にもどった。明日からは、また会社である。タイヤキ君の気持ちがよくわかるような気がした・・・。

 

 因みに一週間経った今も右耳の調子が悪い。困ったもんだ。

15日ライブ演奏曲目
http://kuroki-rin.cocolog-nifty.com/stranglers_live/2008/03/15_d4f1.html

 

 ロフト内で、つい、写真一枚のつもりが興に乗ってしまい、何枚もフラッシュを焚いて撮ってしまい、JJはじめ、近くの皆さんにご迷惑をおかけしました。この場においてお詫びいたします。

|

« 引き続き小説館更新しました。 | トップページ | 【緊急行動】チベット人僧侶に拷問と虐待の恐れ! [チベット] »

ストラングラーズ情報」カテゴリの記事

コメント

本当にお疲れ様でした、皆さんもそうですが・・・

まるで昨日のように思い出されますね。
仲間とストラ談議できて楽しかった~ o(^▽^)o
ホテルをとってらしたのに私達に朝まで付き合って頂いて
申し訳ないと思いつつ嬉しかったです♪

私も いつも思っている事ですが、ここの SIS-Japan が
途切れる事なく、The Stranglers を支えて下さってる事に心から感謝しています。遅まきですが私も これからの
彼らを支えられたらなぁって思っています。


投稿: kiyo | 2008年3月24日 (月) 18:12

あっという間に一週間が経ってしまいましたね。
今でも夢のようです

SISをずっと続けるのは大変じゃなかったかと
思います。
これからも微力ではございますが
応援していきたいと思います

投稿: MM21 | 2008年3月24日 (月) 22:58

kiyoさん、MM21さん、こんにちは。

まとめレスで失礼します。

お疲れ様でした。
特にkiyoさんとMM21さんは2回とも参加されたので、後々けっこうキツかったのではないかと思います。
私も大阪くらいの距離なら2回とも行けたんですが、なにぶん倍以上距離があるので・・・。
福岡にも来てくれんかな?

私もみんなとお話出来て楽しかったです。日曜は時々気がついたら夜明けまで書き物をしていたりするので、まあ、なんとか朝まで持ちました。

私はなんとなく行きがかり上でSISやってたんで、頼りなくて、あまり力になってなくて申し訳なかったです。今はYukaさんがついていてくれますから、助かってます。

本当にストラングラーズを支えているのは、過去の逆境に於いても、ずっとファンで居てくれたみなさんですよ。
これからも、一緒に応援していきましょうね。

早くバンドとして単独公園しに来ないかなあ。


投稿: 黒木 燐 | 2008年3月25日 (火) 12:37

熱血ルポお疲れ様でした。一気読みしましたよ。特にミチロウの話のところは、燐先輩の優しい心遣いに滂沱の涙がこぼれて、我が家で溺死者が出るのではないかと懸念されたくらいです(白髪が三千帖になるという某国の真似です。チベットいじめるナ)。

しかし、真剣に読んでいたら後半「キャンタマ」のお話が再度出てきて大爆笑、いやー燐さんの切れっぷり相変わらず豪快ですな。もう少しして仕事のピークが過ぎたらまた自分のエントリーも頑張って、某所でのひそひそ話も頑張る予定です。

投稿: drac-ob | 2008年3月27日 (木) 00:46

drac-obさん、こんばんは。

レス遅くなってすみません。
私もちょいと疲労気味です。さらに今日、会社でもっと疲労する話をされて、ほとほと疲れ果てました。やっぱあいつらアフォですわ。

さて、師範のライブですが、想像以上にすばらしいライブで、お客さんも深夜ながら満員で、すごく盛り上がりました。
ミチロウさん、やぱり、選曲を考えたほうが良かったんではないかと思います。でも、drac-obさんには嬉しい選曲だったかも。

師範は、日本語でファンとコミュニケーションをとることが楽しくて仕方ないようでした。近いうちに、ひょっとしたら私の英語力より師範の日本語力の方がアップするかも。しかし、キXXマはやめて欲しい。
今度、もっと楽しい九州の言葉を教えてあげましょう。

GPZさんのレポートです。併せてお読みください。
細部は私より詳しいです。
http://kuroki-rin.cocolog-nifty.com/stranglers_live/2008/03/jj2_996f.html

投稿: 黒木 燐 | 2008年3月29日 (土) 02:50

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: サタディ・アコースティックの夜:

« 引き続き小説館更新しました。 | トップページ | 【緊急行動】チベット人僧侶に拷問と虐待の恐れ! [チベット] »