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2008年1月28日 (月)

本当は怖い「水からの伝言」

 今更「水伝」のことを取り上げるのもどうかと思ったが、まあこれも勢いである。

 水伝はトンデモのなかのトンデモである。一見綺麗な外装に包まれているが、内容は偏見と無知とこじつけの、良くある疑似科学系トンデモ本である。しかも、笑えない。

 容器に入れた水に、「ありがとう」「ばかやろう」など書いた紙を貼り付けて「見せる」。そして凍らせる。 
 すると、良い言葉を見せた水は美しい結晶を作る。しかし、悪い言葉を見せた水は結晶を作らない或いは形の崩れた「汚い」結晶を作る。だから良い言葉を使いましょう。
 ふぅん、水は日本語が「読める」んだ。ああ、メルヒェンだなあ。

 ところで「美しい」ってなんだ。

 整った結晶は美しい。アタリマエだ。人は秩序ある形を美しいと感じる生物だ。さらに透明感のある美しい「水の結晶」画像満載で、人を(特に女性を)ひきつけるには充分な効果があった。しかし、あのカタチは皆始めてみるものではないだろう。初めてだという方は、小学校の理科を真面目に勉強していなかったことになる。そう、雪の結晶の顕微鏡写真、まさにあれとそっくりである。冬将軍という存在はさぞかし言葉が綺麗と思われる。
 冗談は置いといて、水伝に使われているあの美しい「水の結晶」たちは、何回も何回も繰り返し水を凍らせ、その中での出来のいいものを「美しい言葉に水が反応して作った結晶」として使っているようだ。それが意図的か無意識かはわからないが、都合よく使われているのは確かだろう。
 ただし、水伝で言う「水の結晶」は、雪の結晶ではなく、実は氷が解けるときに出来るチンダル像、或いはアイス・フラワーというもので、結晶ではなく氷の内部が解けて出来たものではないかという指摘もある。チンダル像の詳しい説明はリンク先を読んでもらうこととして、だとすれば、水伝に使ってあるあの美しい「水の結晶」は、結晶ですらないことになる。
 それはともかく、水伝の主張のキモは、「良い言葉を見せると水は美しい結晶を作る」ということだ。

 では、美しくないものは良くないのか。

 美人は三日で飽きるという。極端な例で申し訳ないが、グレース・マクダニエルズという女性は、病気による顔面の奇形で見世物小屋でラバ女と呼ばれるほど醜い顔をしていた。しかし、彼女は3人の男にプロポーズされ、その中で一番ハンサムと結婚したという(実際は結婚はしていなかったようだ)。しかし、きっと見かけなど気にならないくらい聡明ですばらしい女性だったのだと思う。

 ではでは、そもそも良い言葉ってなんだ?

 「ありがとう」という言葉は良い言葉であることに異論は無い。「ばかやろう」という言葉があまり上品でないことにも異存は無い。しかし、言葉というものはそのシチュエーションによっても感じ方が変るものである。美辞麗句で人を貶めることも出来るし、乱暴な言葉で人を元気付けることも出来る。渋い顔や怖い顔で「ありがとう」と言われても嫌な感じがするし、自ら危険に飛び込んでいって九死に一生を得て、驚いて駆けつけた恋人から「ばかやろう」などと涙目で怒られた場合は逆にすごく嬉しいだろう。そこには感情がある。まさに心がこもっている。言の葉とは、そこに人間ありきのものであり、それは人同士が使用してこそ意味があるというものだ。だから、紙に書いて水に見せる(しかも日本語で!あ、日本の水だから日本語がわかるのか・・・。んなアフォな)
、そういう行為そのものに意味があるとは思えない。
 もし、美人のおねえちゃんが、水に向かって指先で軽くコツンとやって「バカね!」とモンスリーばりにはにかみながら言った場合、水はどういった結晶を作るのか、あるいはキュートな女の子に「あ、あんたなんかに本気で『ありがとう』って言ったんじゃないんだからねっ!」とツンデレで「ありがとう」と言ってもらうとどうなるか、是非知りたいところである。

 ダイコンとゴボウとニンジンがお風呂に入りました。ゴボウは風呂に浸からず身体も洗わず風呂場で騒いでいたので真っ黒なままでした。ニンジンは身体を洗わずひたすらお風呂に浸かっていたので、のぼせて真っ赤になりました。ダイコンは程よく風呂に浸かり、身体もよくこすって洗ったので真っ白になりました。

 そういう童話があった。多分今もあるかもしれない。
 世の中にはこういう寓意もよくないという人がいる。子どもに偏見を植え付けるからだという。確かに日本国内だと問題になるケースは少ないだろうが、ここに黒人やネイティヴアメリカン(REDMANと呼ばれる)がいるような場合、ちとまずいことになるかもしれない。
 しかし、私的にはなんとか許容範囲だと思う。「例える」ということは、言葉をしゃべるに当たって必要なことだからだ。あまりに規制すると日本語のボキャブラリー自体が壊滅的な打撃を受けるだろう。ネットの規制と同じで過剰な締め付けは良くないと思っている。さらに、普通大人になれば、いや、子どもでさえ、野菜が風呂に入るなんて本気で信じたりしないだろう。そういうレベルである。余談だが、「『障害者』に含まれる『害』の字は障害者を害であるようなイメージを作るから『障がい者』と記述しよう」というような、その言葉の語源や漢字の全体の意味を考えず単に字面で排除しようとするような言葉狩りには断固反対する。障害者は害と障りのある者という意味ではない。「身体に障害を持ってしまったが、がんばっている者」のことだ。この場合の障害は人を指すのではない。その人が置かれている状況を意味しているのだ。また、「片手落ち」は片手が落ちた人が語源ではない。片方に対する配慮が欠けることすなわち不公平のことで、この場合の「手」は手段であって人間の手を言っているのではない。こういうヒステリックな行為が何の罪もない「ちびくろサンボ」やカルピスの黒人のマークなどを絶滅に追いやったのである(「ちびくろサンボ」は一部で復活したようだが)。問題なのは、こういうことで騒ぐのは、当事者よりも周りの騒音たちだ。まるで「臭いものには蓋」ではないか。これでは、どっちの態度が子どもに偏見を植えつけているかわからない。

 と、話が脱線した。

 では、寓意は良いのになぜ「水伝」はイケナイのか。

 この「水からの伝言」は以前エントリーに書いた「ムーンホークス説」と同等な問題の多いトンデモである。他にもまあ、ゲルマニウムとかマイナスイオンとか血液型性格判断とかも同等ではあるが、特にこれが問題なのは、この「お話」に感動した大人たちが、子どもの道徳の時間に教えようと考えたことである。いや、実際少なくない学校で授業に使われた。

 水は言葉がわかる。人体の約60%は水である。水は言葉に影響を受ける。だから悪い言葉を使うのは止めよう。

という趣旨の授業を水伝の写真を見せながら行うのである。良い言葉、きれいな言葉を使えという趣旨はすばらしい。間違っていない。しかし、そんな常識を教えるのにわざわざ「水の結晶」の写真を見せながらやる必要があるのか。言葉の美醜と見かけの美醜は違う。道徳の時間にわざわざ美人は善で不細工は悪だと教えているんとちゃうんかと、小一時間(以下略)。
 まあ一番の問題は、水素分子と酸素分子の簡単な化合物である水に言葉がわかるなんてぇことを子どもに教えることになるからなのだが。

 そういえば、私がいつも乗る通勤バスで一緒になる女性が、以前熱心に本を読んでいた。チラと横目で見ると、どっかで見た写真がズラリ。「水伝」だった。彼女はずっとその本を読んでいた。多分シリーズを読破したに違いない。しかし、実際にそういう本を読んでハマッている人にリアルに出会ってちょっと驚いた。
 って、まあ、それだけの話なんだけど。

 日本人の科学力が落ちている。けっして勉強が嫌いなのではない。最近テレビでの「教養番組」の増加は著しいし、でんじろう先生の実験も大人気だ。だが、その反面スピリチュアルブームも最盛期を向かえ、そのせいで霊感商法にだまされる人も急増した。

 日本人の科学リテラシーは世界最低レベルらしい(リテラシーのもともとの意味は「読み書きの能力」)。ようするに科学知識に興味が無い。科学知識自体が乏しい。詰め込み的に覚えていても応用力が無い。だから、簡単に疑似科学を科学的と思い信じ込んでしまう。マイナスイオンに至っては、大企業ですら競って関連商品を出したりした。
 まあ、私もあんなに一所懸命覚えた「解の公式」なども、今ではすっかり忘れているので人のことは言えないのだが。

 とりあえず、疑似科学かどうか見極めるキーワードがある。

               波 動

 まあ、話にこれが出てきたら疑似科学と思って間違いないくらい、疑似科学ではポピュラーな言葉だ。物理学にも波動という言葉はあるが、疑似科学でいう「波動」とはまったく別物だ(下記参照)し、やたら使う用語でもない。とりあえず、「波動」という言葉が頻繁に出てきたら、疑似科学と疑い近寄らないことが騙されないひとつの方法である。因みに「水伝」の著者、江本勝氏は「波動の第一人者」といわれる人で、出版社も「波動教育社」である。
 まず騙されないこと。それが、疑似科学から身を守り、ひいては二束三文の品物に大枚を払って詐欺師に貢ぐような危険から守ることになる。詐欺師は人が汗水流して稼いだお金を容易くため込んでウハウハ言っているのである。

【参考】

 お勧め本:左巻健男「水はなんにもしらないよ

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波動(ウィキペディアより)

  • 物理学で使う「波動」(正しい波動の意味)

     物理学における波動(はどう、wave)とは、たんに波とも呼ばれ、何らかの物理量の周期的変化が空間方向に伝播する現象であり、媒質が進行方向に平行に単振動する波を縦波、垂直に単振動する波を横波という。音波や水面の波、あるいは地震波のように物質の振動が媒質を通して伝播する現象のほかに、電磁波のように媒質がない空間を伝播するものもある。

  • 疑似科学的「波動」

     波動(はどう、英:Vibration)は、サイエンス・フィクション(SF)、オカルト、疑似科学のラジオニクスなどで使われる生命力エネルギーの概念のことである。
     サイエンス・フィクションにおける波動は、人類には未知の、原子力を超えたテクノロジーを表す場合が多い。(例:波動砲) 一方、疑似科学における波動は、英語のVibrationの訳語なので、「振動」「エネルギー」などといわれる。

 

 オカルトマンガなんかで使われると楽しい言葉なんだけどなあ。「波動」。

 

参考:グレース・マクダニエルズについて(英文:閲覧注意)

 最初本文中にリンクしていたが、やっぱまずいかなと思い、ここにリンクすることにした。彼女の顔は凄まじい。さらに女性であることから彼女がどんな辛苦を舐めてきたのだろうかを思うが、もう想像すら出来ない。リンク先を読むと、彼女の一生が幸せだったとはいえないようだ。
 彼女の全身写真を漠然と見ていると、彼女の本来の顔がなんとなく想像できる。美人ではないが優しい穏やかな顔をした平凡な女性、そんな姿が見える。

 

 ※このエントリーは当初「魚ごごろ・・・」の後半部分に書いていましたが、「水伝」批判として独立させました。

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