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2007年6月 3日 (日)

どうしても理解できない(光市母子殺害事件弁護)

 これは、私だけではない、ほとんどの人たちが思っているのではないだろうか。理解できる人の方が少数派だろう。

 私は平和主義者だが、死刑廃止論者ではない。犯罪によっては死刑やむなしの考えである。それに、犯罪に年齢はないとも思っている。根っこが腐ったヤツは何歳であれ犯罪を犯す。

 だか、死刑反対を主張している方たちの意見もわかる。第一に刑罰とはいえ、人をひとり殺すことには変わりない。すなわち、仕事とはいえ誰かに手を汚させることになるのはどうしようもない。もちろんその人に負担を与えないような工夫がしてあるとはいえ、気持ちのいい仕事ではないだろう。法の下で行われる国家による殺人で野蛮であると批判されるのも仕方がない。そういえば、昔は「首切り役人」とかそれ専門の人がいたんだよね。

 だが、何の罪もない人を殺し、遺族を悲しみのどん底に突き落とした犯人に対して、相応な罰は「死」以外にはないと思われるし、もし、私が遺族になった場合もおそらくそれを願うだろう。出来ることなら自分が殺してやりたいとすら思うに違いない。だから、本当は死刑執行のボタンを押すのは遺族に権利がある。
 法廷は復讐の場ではないという。しかし、遺族にとってはそうであるに違いないのだと思う。そもそも裁判という制度は直接被害者が復讐した場合、感情が強すぎて公平な判断が出来ないし、勘違いで関係ない人に仕返しをしてしまう可能性もある。また憎しみが連鎖して秩序も守れなくなるので、公的な期間が間を取り持つようになったのではないかと思う。罪を憎んで人を憎まずというが、それが出来る人はよっぽどの聖人でないかぎりむりだろう。そういう言うわけで死刑執行を遺族にさせるのも問題だということで、公的機関が代理でやるようになったんだろう。仇討ちが禁止されているのも同様な理由だろう。

 だから、大量殺人を犯したと確実な凶悪犯でも弁護士がつき、出来るだけ極刑を免れるよう努力するというのも理解できる。

 だけど、光市の事件の被告Fに対しての弁護はあまりにも奇妙だ。不条理ギャグの作家でさえああいうことは思いつかないのではないか、という程のひどい内容だ。逆に被告を貶めようとしているのではないかと思ってしまうくらいである。

 私はあるブログの管理人さんから、光市の事件は被告がまだ警察に言ってない犯行理由があって、それを本人から聞き、あまりにも警察の調書と隔たりがあるので弁護を引き受けたのだ、というようなことを教えていただいた。それで、ああそうなのかとある程度納得しておりむしろその理由がなんなのか知りたいと思っていた。まさか、ひょっとして、その理由ってのが「被告は、自分が中学1年のときに自殺した母への人恋しさから被害者に抱きついた。甘えてじゃれようとしたので強姦目的ではない(以下リンク先のソース参照)」というものではないよね。ちゃんとした理由があるのなら、遺族を憤死させるような妙な理由の列記はやめて、さっさと真相を言ってほしいと思う。あれでは他の死刑廃止論者の面汚しと言われても仕方がない。犯人を守ることは法治国家として当然のことだ。しかし、遺族を鬼畜化させかねないような弁護をしてまで殺人犯を庇う必要があるのだろうか。
 それに、安田弁護士が被告から「真実」を聞いたのは、犯行後数年経ってからであった。人の記憶というものは時が経つ間に改竄されることが多い。被告が数年間の間に自分に都合の良い理由を無意識(あるいは意識的)に作り上げた可能性だってある。

 被害女性には殺される理由なんてなにもなかった。ましてやその子どもは・・・。被告が何の罪も落ち度もない女性を殺しその幼い娘をまるでものを壊すようにして殺したという事実は、どう言い訳をしても消すことは出来ない。それが未成年者の犯行であれ、減刑の理由にはならない。昔なら車引きの刑(手足の骨を折って車輪にくくりつけ、野ざらしにして死ぬまで放置)に処せられても文句を言えない犯行だと思う。せめて子どもだけでも殺さずにいたら、本村さんもあそこまで鬼にならずに済んだことだろう。そもそも首にちょうちょ結びをしたくらいで死ぬのだったら、うちの猫などとっくに全滅しとるわ! 殺すつもりで首を絞めない限り、人はそう簡単に死ぬものではない。

 死刑廃止。人権を守るために殺人犯を擁護。これらは理解は出来る。しかし、理解は出来るが、支持は出来ない。

 殺されてしまった人は、遺族が復讐の念にかられたり鬼のようになったりして、残りの人生を使ってしまうのを見るのは忍びないだろう。ましてや自分のために遺族が相手を殺してもおそらく喜ばないだろうと思う。しかし、死んだ人のために何とかしたいと思うのは人として当然な心情なのだ。
 F被告は死と隣り合わせになって、少しは被害者の気持ちを知るべきだと思う。自分が死刑を恐れるように、殺された人だって死にたくなかったのだということを。そして、自分の犯した罪の重さを理解し、死ぬほど後悔して欲しいと思う。

■追記:無期懲役について
 一般に言われているほど甘いものではないらしい。
  参考:無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ

■アーカイブ 

●この事件について  
 私にはとても辛くてコピーペーストすらできません。なので、ご存じない方や再確認したい方は、この「クソガキ共を糾弾するHP」でお読み下さい。 

●痛いニュースブログ
   http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/979079.html

●2ちゃんねるスレッドより●

【光市・母子惨殺】 「遺体の強姦は、生き返らせるための魔術的儀式」…弁護士21人、遺族の前で新しい主張(ソース:J-castニュース)

1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2007/05/29(火) 00:39:08 ID:???0
  主婦を殺害した後、「強姦」したのは、「死者を復活させるための儀式だった」。こんなとんでもない主張を、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で弁護団がした。ほかにも死刑回避を狙った独自な見方が示され、遺族は「怒りを通り越して失笑した」と批判している。弁護団にはどんな意図があったのか。

「(同じ)弁護士として恥ずかしい」と大澤氏

審理を広島高裁へ差し戻した最高裁判所   山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審の公判が2007年5月24日、広島高裁で始まった。2審判決などによると、事件は1999年4月、26歳の元会社員(当時18)の男性被告が、作業員を装って本村洋さん(31)宅に入り、本村さんの妻と生後11カ月だった長女の首を絞め殺害した。妻殺害後に遺体を姦淫した。検察側は一貫して死刑を求刑したが、1審も2審も無期懲役の判決だった。最高裁は2006年6月、「殺害の計画性のなさや、少年だったことを理由とした死刑回避は不当」として、審理を同高裁へ差し戻した。

 
   新たに21人もの大弁護団を形成した被告側は、主婦殺害後の遺体を犯した行為などについてこのように主張した。
   被告は、自分が中学1年のときに自殺した母への人恋しさから被害者に抱きついた。甘えてじゃれようとしたので強姦目的ではない。騒がれたために口をふさごうとしたら誤って首を押さえ窒息死させた。死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった。どちらも殺意はなく、(殺人より罪が軽い)傷害致死罪に当たる。

   「(同じ)弁護士として恥ずかしい」と弁護団を切り捨てたのは、5月25日朝のTBS系「みのもんたの朝ズバ!」のコメンテーターで元検事の大澤孝征弁護士。大澤弁護士によると、「不可解で不合理な話をして被告の精神がまともではない。だから責任能力は少ない。当然死刑は適用すべきではない」という論理につなげるために、弁護団は事実を曲げようとしている。死刑を回避するための捨て身の戦法、というわけだ。

  以下はここで→ http://www.j-cast.com/2007/05/25007937.html

※事件概要・識者らの怒り動画(2分35秒~11分10秒あたり):
 http://nicopon.jp/video/player/sm358616

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