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2007年4月23日 (月)

朽ちていった命~放射線被曝とはどういうものか

※福島第一原発事故関連で来られた方へ

 大内さんの症状は、特殊な状況においての致死量をはるかに超えた、主に中性子線による被曝によるものなので、この症状が原発事故による被曝にそのまま当てはまるものではありません。過剰反応しないようにしてください。
 放射能は怖いです。しかし、必要以上にあるいは間違った恐れ方はせずに、正しい知識を持った上で恐れてください。風評に踊らされたり発信したりしないように気を付けてください。

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 震災から1年経った今でも、この記事へのアクセスが絶えません。もっとも1年前に比べるとかなり少なくなっていますが。
 上にも書いていることとつながりますが、ふくいちの事故とこのJCOの臨界事故はまったく性質の違ったものです。今回の原発事故は規模も深刻さもJCOの比ではないくらい大きいですが、それでも今のところ重度の被曝者や(被曝が直接原因と思われる)死者も出ていませんし、これから致死量の放射性物質を撒き散らすに至る確率もかなり低いと思います。まだ予断は許されませんが、これを読んでいたずらに怖がらないようにしてください。(2012年3月11日) 

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朽ちていった命-被曝治療83日間の記録-

 これは、2001年5月に放送されたNHKスペシャル「被曝治療83日間の記録~東海村臨界事故~」の書籍化されたものの文庫版である。

 1999年9月30日午前10時35分。茨城県東海村の核燃料加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所」内でサイレンが鳴り響いた。放射線が出たことを知らせるエリアモニターのサイレンだった。

 それは、安全無視の裏マニュアルが引き起こした、最悪の臨界事故だった。この事故で3人の作業員が大量の中性子線を浴び、内2人の作業員の被曝量は致死量であった。沈殿槽の一番近くに居た作業員の大内さんは後に20シーベルトもの中性子線を浴びていると推定された。20シーベルトとは一般人が一年間に浴びる許容量の実に2万倍という途方もない被曝量だ(一般人は生涯で3~500ミリシーベルト程度の放射線は浴びているらしい)。8シーベルト以上の被曝での致死率は100%。やや沈殿槽から離れていた篠原さんの被曝量は6~10シーベルト。大内さんは被曝から83日目に篠原さんは211日目に亡くなった。両者とも手厚い治療を受けた故の延命であった。別室にいた上司は致死量には至らなかったが、相当な量の中性子線を浴びており、現在は表面に出てこられることはないが、色々な障害に苦しんでおられるのではないかと思う。

 大内さんも篠原さんも青い光(チェレンコフ光)を見た瞬間、すでに肉体は「死んで」いたのである。中性子線によりほぼ体中の染色体がズタズタに破壊されてしまい、修復不可能な状態に至っていたのだ。本にはバラバラに破壊された大内さんの染色体写真が載っているが、それは放射線の恐ろしさに心底ぞっとさせられる代物である。
 細胞の設計図である染色体を破壊されると新たな細胞が作れなくなってしまう。生物の細胞は常に古い細胞から新しい細胞に入れ替わっている。その新しい細胞が作れなくなってしまうということは、いずれ全細胞が死滅してしまうということなのだ。

 最初大内さんは、顔と右手が赤みを帯びているくらいで、とても致死量の放射線を浴びているようには思えなかった。そのため前川医師は「ひょっとしたら治療可能ではないか」と思い治療を引き受けることにした。しかし、それはとんでもない勘違いだった。その後前川医師は、登頂不可能な登山に挑むことになる。
 はたして、前川医師の延命しようとする行為は正しかったのか。この本を読んでも私には判断が付かない。100%の死が確定している放射線被曝の場合、延命を続けるということは患者に想像を絶する苦痛を与えるだけなのだ。しかし、家族の願いは一日も多く生きて欲しいということだと思う。実際大内さんのご家族は最後まであきらめなかった。それを思うとその治療も無駄ではなかったのだろう。結果的には人体実験のようになってしまったが。

 最初、血液の異常が見られ、次に一番細胞の入れ替わりの激しい皮膚の壊死が始まった。その後27日目に激しい下痢が彼を襲った。腸粘膜が全部はがれてしまったからだ。
 広島・長崎の被爆者が最初無傷で元気だったのに、何日か後に急死するという人が多くいたというが、おそらく大内さんと同じような状態だったのだろう。さすがに大内さんのようなすさまじい例は少なかったようだが、それは一度に大量の放射線を浴びるような場所にいた人たちのほとんどは爆死してしまったからだ。急性原爆症の症状に激しい下痢がある。これは大内さんと同じように、腸粘膜が剥がれ落ちそれと共に出血、さらにそのために腸が消化機能を失ったことによっておきた症状だ。

 中性子爆弾というものがある。これは水爆の一種なのだが、爆発による破壊よりも大量の中性子線を出して人間(生物)のみを殺すことを目的とした、戦略核兵器である。通常の水爆に比べ建物の損壊が少ないので後に市街を占拠しやすくなるため、皮肉にも「綺麗な水爆」と呼ばれている。どうやら薄汚い実態を隠すために「綺麗」とか「美しい」とか形容したがるのは今に始まったことではないらしい。
 しかし、このJCO臨界事故の場合からもわかるように、人間は致死量の放射線を浴びてもある程度の線量であるならば即死しない。20シーベルトの中性子線の場合、少なくとも数日は激しい倦怠感を感じてはいるものの比較的元気な状態なのだ。しかし、確実に死は忍び寄ってくる。まず血液に異常が現れリンパ球がなくなり白血球も減少する。身体に抵抗力がなくなり、健康な人ならまったく問題のない病原体に感染してしまうのだ。その後血が止まらなくなり、傷も治癒不能になる。それから徐々に皮膚が壊死してぐずぐずの状態になり、腸粘膜がはがれ皮膚を失ったからだの表面と内臓から大量の血液や体液を流失させ、何日もかけてじわじわと死んでいくのだ。だから、中性子爆弾の場合、通常の熱核兵器と比べ建物の損壊や爆死焼死する人間は少ない。もちろん大量の中性子線を浴びる中心部の人たちは即死するだろう。しかし、致死量でも即死出来ない線量をあびる周辺部の人たちは、元気であっても大内さんや篠原さんのように確実に無残な死を迎える。さらに彼等が受けたような手厚い治療や看護は全く期待できないのだ。そんな人たちを大量に作ってしまうのである。これほど非人道的な兵器があろうか。 

 話を元に戻そう。
 この本は、単に治療を追っただけのドキュメンタリーではない。大内さん本人や医療スタッフや家族の勝ち目のない戦いを描いたヒューマンドラマである。医療チームのリーダーである前川医師の苦悩、看護婦達の献身と葛藤、最後まであきらめない家族、絶望的な中それでも生き抜こうとする生命の力。そしてこの治療から彼らは何を学んだか。それはこの本を読んでから確認して欲しい。少なくとも大内さんの死を背負ってしまった彼らは、自分達の使命を見つけたようである。少なくとも大内さんの死は無駄ではなかったと思う。

 それにしても、恐ろしいのは核を扱う仕事をしていながら、核エネルギーの恐ろしさを認識していなかったことである。大内さん・篠原さんと共に中性子線を浴びた上司は刑事責任を問われたが、彼は「臨界を防ぐ教育は受けていなかった」と証言し、裏マニュアルの危険さは認識していなかったことを伝えた。しかし、核物質を扱う仕事に就いているのであれば、独学でも勉強するべきあった。もっともその危険さを認識した時点で恐ろしくなって作業を続けられなくなるように思う。
 安全神話は本当に「神話」だったようだ。最近でも原子力施設の耐震偽装や過去の事故が明るみになった。これからもこの手の事故は起こるだろう。そしていつかどこかでJCOの臨界事故など比べ物にならない重篤な事故を起こすだろう。チェルノブイリ原発事故の場合、大陸内でおきた事故であるが、信じられないくらい広範囲に渡って放射能汚染が広がった。日本の場合、もしどこかの原発でチェルノブイリレベルの事故が起こった場合、逃げ場がないのだ。

 この本でもあとがきで触れているが、中性子被曝は付近の住民にまで及んでいる。例の沈殿槽は放射線を出し続け、JCOの決死隊が臨界を収束させる作業を行い臨界はどうにか収束した。決死隊はこれから子どもを作る可能性の少ない既婚者の中年以上の男性から作られた。だが近所の浮浪者を雇って作業させたというウワサもある。しかし、一刻を争う状態でそんな余裕があったかどうかわからないが。いずれにしても、彼らにも何らかの障害が現れる可能性があるだろう。
 それからこれは友人から聞いた話だが、大内さんの治療をしていた医師にこっそりと「髪の毛一本でいいから分けてくれないか」という依頼をしてくるバチアタリな医師や学者が大勢いたらしい。気持ちはわからんでもないが人間としてどうかと思う。異例の大量被曝した人間は科学者にとって魅力的なサンプルだったに違いない。

 この本には貴重な写真がいくつか掲載されている。特に、カラーページに載っている大内さんの被曝26日目の右手の写真は、まるでずくずくの腐乱死体のようで放射線被曝の恐ろしさを何よりも語っている。背中以外の全身がこのような無残な状態に変わり果ててしまったのである。また大胸筋の筋繊維が破壊されて細胞膜しか残ってない状態なのに心臓だけが破壊されていなかったという。それは心臓という臓器の特性なのか投薬のどれかが効いたのか謎であるが、解剖を担当した医師はそれを大内さんの生き続けたかったというメッセージと受け止めているようだ。だが、胃と腸には大量の血液が溜まっており、体中の粘膜もなくなっており、本当に見たこともないような壮絶なご遺体だったらしい。

 繰り返すが、この本は絶望的なほど大量の放射線を浴びた患者と家族と医療チームの戦いを描いたドラマである。放射線被曝の恐ろしさを大内さんが身をもって教えてくれた貴重な記録である。原発への賛否はともかく、是非多くの人に読んでもらいたい一冊だと思う。

 この事故で亡くなられた大内さんと篠原さんのご冥福を祈ると共に、二度とこのような悲劇を繰り返さないでほしいと思います。神話で安全は守れないのだから。

※このブログの感想用アンケートを作りました。よろしくお願いいたします。

 震災そしてそれによる原発事故から4年半。未だにこのエントリーへのアクセスが絶えません。
 私は原発反対の立場ですが、必要以上にあるいは明らかに間違った情報で恐怖を煽るつもりはありません。
 震災以来、トンデモ系のサイトから勝手にリンクされたり、また、まるっと文章をコピペされた上に転載元のこちらの情報は文末のURLのみという困った引用のされ方で目点になったこともありました。リンクフリーと明記してますし、リンクしてくださることはとてもありがたいのですが、転載はご一報くださいとも明記しておりますし、サイト名を明記するなどの最低限の礼儀は守って欲しいと思います。(2015年9月13日)

■アーカイブ■ 

治療経過

以下は、再放送時にたった2ちゃんねるの番組実況スレッドである(私もこのとき初めて見たのだが)。視聴者の衝撃が伝わってくる。

●●東海村臨界事故の被曝治療83日間の記録●●
http://ton.2ch.net/news/kako/989/989753615.html

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コメント

このような中性子爆弾の地獄を繰り返してはいけません。

http://gray.ap.teacup.com/123ja8119/

類似で説明しますとレントゲンを思い浮かべていただければと思います。発明されたころは鉱石板等で強い放射線をつかっていました。同じ原理で中性子線が飛行中の機のそばで発せられると水分や油分を多く含む乗客が放射化というかたちでプリントされます。

放射化されたものから放射線が発せられ、20年以上経ってから影響が次第に顕著化してきました。特に木や岩、電柱やコンクリート構造物で顕著です。

投稿: このような中性子爆弾の地獄を繰り返してはいけません。 | 2007年5月23日 (水) 21:13

このような中性子爆弾の地獄を繰り返してはいけません。さん

「中性子爆弾に反対」については激しく同意します。
私は全ての核兵器に反対いたします。

このコメントやHPに対してどうお返事しようかとかなり迷いましたが、マジレスします。怒らないで。

日航機123便は中性子爆弾の攻撃は受けていないと思います。もしそうだったら、生存した4人の方たちは、一晩も事故現場にいたのだから程度の差こそあれ大内さんと同じような症状で亡くなっていると思います。
さらにいうと、中性子爆弾は曲がりなりにも水爆ですから、使用された場合、あの程度の被害ではすまされなかったと思いますし、(「きれい」なんて形容されてますが、実際はかなり放射能で汚染されますから)救助するにも二次被爆が怖くてしばらくは近づけなかったのではないでしょうか(救助に向かわれた方達の放射線障害も無かったと思います)。また、ご遺体を運んだ小学校も相当汚染されると思います。
広島や長崎の原子爆弾レベルでも、昼間であったにも関わらすかなり遠くの方まで閃光が確認されています。ましてや日航機事故は夕方起こっています。中性子爆弾であるなら、相当遠くまで閃光が確認されたはずですが、そう言う記録はありません。

それよりも、乗客の安全より儲けを優先し整備を怠ったボーイング社や日航の責任を追及すべきではないでしょうか・・・。ボーイング社は未だにあの事故が自分たちの整備不良のせいであったことを認めていません。
見当違いの追求は、責任の所在をうやむやにしてしまいます。

人の身勝手な欲望で、いとも簡単に地獄は出現します。
核しかり、事故しかり・・・。

投稿: 黒木 燐 | 2007年5月24日 (木) 11:11

っていうか、アクセス解析見たらそれらしい足跡がなかったんで、どうやらマルチポストみたいですね。
丁寧に返事書いて損した。

ってことで、IPをアクセス禁止にいたしました。
コメは面白いから残しておきます。
で、まあ、貼ってあるリンク先は超大作だけど、見事なこじつけですわ・・・。勇気ある人は面白いから見てごらん。

投稿: 黒木 燐 | 2007年5月24日 (木) 19:50

あの時の治療にあたったスタッフ達は私を含めて後の医療の為に何かを残そうと考えたが、年月がやがてそれを、心の隅においやってしまう。これではいけないと思いつつも。もしまた事故がおきたら私達は対処できうえられるか不安だ。染色体の分断は人間そのものを、生きながら殺すようなものだ。そこには苦しい痛みとその痛みに耐えようとする心がやがて自分を殺してくれと言わんばかりになってくる。彼らは、尊い犠牲者だ。もう二度とこのような事故を、おこしてはいけない。合掌

投稿: 前川 | 2009年9月24日 (木) 18:17

あの日、テレビ画像の東海村は記憶の風景と違っていた。
勝田の射爆場から東海村までは人家も疎らで、農地と林の混在するような漁村と松林に囲まれた原研の補助金で作られた近代的な学校や街並みが僅かに国鉄駅前と国道沿いにあっただけ。
テレビ映像は見たことの無い街を撮していた。
そこが田を埋め畑を潰して出来た住宅街だと気付いた時、戦慄した。恐らくだか元はJOC工場ぐらいしか無かったであろうその街はその工場周りにまで宅地化していたからだ。
“地価が安いからって、何もあそこを開発しなくても”
私の姉夫婦は再開発中の射爆場近くに居を構えていた為、二十キロ圏内の屋内避難指示を受けていた。
実家の両親は圏外ではあるが、主要道路とJRが東海村を通る為迂回路が殆ど無い。只指示の解除を待つしか無かったそうだ。
しかし、“作業員が手作業なんて危険な”“バケツで扱うなんて杜撰な”などと言う意見には賛同出来ない。機械任せより、人が作業する方が効率的だし安全なのだ。作業員の知識と認識がまともに働けばだが。
酷な言い方かも知れないが、作業員に原子力に対する知識があったのか疑問である。
理解していないマニュアルを使う慣れと、ノルマと納期に振り回される焦りが事故を起こしたのではないか。
想像だが、“うちの会社の社員だからこの程度の事は知っている”“長年勤めてるから判る筈”“単純作業だから安全”等の心理的陥脆があったのだろう。
アメリカの原爆製造工場の臨界事故やスリーマイルの事故、チェルノブイリはマニュアルを無視するようなミスを機械が増長させた。
劣化ウラン弾頭、劣化ウラン装甲からの被曝の可能性が高い湾岸症候群、バルカン症候群やイラクの発癌多発もエゴと無知の生んだ悲劇なのだろう。

投稿: 何処 | 2009年9月26日 (土) 05:40

前川先生、コメントありがとうございます。

当時、実際に治療された治療チームのリーダーであられた先生からコメントを戴き、感無量です。

あの東海村臨界事故は、起きてはならない事故でした。本来なら起こるはずのない事故でした。
大内さんと篠原さんは、身を以って放射線障害の恐ろしさを教えてくれた尊い犠牲ですが、あってはならない犠牲でした。

この本を読んで、悪化する症状の壮絶さに驚き、治療スタッフの苦悩と葛藤、そして努力に感銘し、ご家族の辛さや大内さんの想像を絶する闘病に何度も涙しました。

苦痛面ではもちろん大内さんが一番辛かったと思いますが、精神面では治療スタッフの方々、特にリーダーである前川先生が一番辛かっただろうと思います。
後の治療のために何かを残したいと思うのは、大内さんの犠牲が少しでも報われるからですね。しかし、年月と共に過去は遠くなっていくのは仕方がないことだと思います。

先生も書かれているように、人が大量の放射線を浴びるという、生きながら確実に死んでいくこんな残酷な事故は、二度と起きてはならないことです。


あれから10年、もうすぐ9月30日が近づいています。

JCO決死隊の方たちや近隣住民の方々のその後も気になるところです。別室にいて、大量被曝したものの致死量には至らなかった上司の方、今頃体調不良で苦しんでおられるのではないでしょうか。

2度とあのような愚かな事故を起こさないこと、原子力発電の安全性を確実なものとすること、起こるはずではないではなく、もし起こった場合どうなるか、そうならないためにはどうするかと、とことん考えること。
それが大内さんや篠原さんの犠牲に報いる唯一のことだと思います。


本当は、原発を無くすことが一番だと思うのですが。

投稿: 黒木 燐 | 2009年9月26日 (土) 14:10

何処さん

本来なら原発の周囲やJCOのような核燃料を扱う施設や会社の周辺は、住宅地にすべきではないでしょう。
根本的に『原発』は安全。事故なんて起こるはずが無い。その類の根拠の無い自信から出来た住宅街でしょう。
まさか、近所の会社でこんな信じられない臨界事故が起こるなんて夢にも思っていなかったでしょう。しかも、大抵の物は突き通ってしまう中性子線ですから、住宅内非難しても意味がありませんでした。事故の規模がもっと大きかったら、住民達は避難するまで知らずに許容量を越える大量の中性子線を浴びていたかもしれません。
実際、この事故でも通常の人が浴びる自然放射線の何倍もの中性子線を浴びていたのかもしれません。その量自体は許容量範囲内でも、長期的に見るとリスクが上がります。

チェルノブイリの場合は、実際原発を操作していた作業員のミスのせいにされましたが、実際は、無理な実験をしようとしたためで、彼らは命令どおりやっただけで操作は誤っていません。その辺り、JCOの臨界事故に近いものがありますね。
作業員の青年は、瀕死の床で母親に「僕はマニュアルどおりに操作してたんだ。ミスなんかしてないんだよ」と言いながら、ずっとボタンを押す仕草をしていたそうです。
酷い話ですね。

手作業はともかく、バケツを使って工程を省いていたことは、非常にまずいと思います。まあ、バケツと言っても掃除に使うそこら辺のポリバケツじゃないですけど、10リットルのステンレスバケツ。う~む。

おそらく大内さんたちも3人目の被曝者の上司も、そういう教育は受けていなかったと思います。実際、その上司の人はそう証言しています。
しかし、そういう危険な仕事をさせるには、何も知らない知ろうとしない命令に忠実な『兵隊』が便利なのは言うまでもありません。

核ってェものは、兵器にしても、発電のような平和利用にしても、なんとなく嫌ァな影が付きまとっているものでございます。
 

投稿: 黒木 燐 | 2009年9月26日 (土) 15:15

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» NHK取材班『朽ちていった命』 [cooの読書録]
NHK「東海村臨界事故」取材班 『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』 新潮文庫、2006.10、221p、438- 初出:『東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録』岩波書店、 2000.10 被曝 一九九九年九月三〇日 邂逅 被曝二日目 転院 被曝三日目 被曝治療チーム結成 被曝五日目 造血幹細胞移植 被曝七日目 人工呼吸管理開始 被曝一一日目 妹の細胞は…… 被曝一八日目 次々と起きる放射線障害 被曝二七日目 小さな希望 被曝五〇日目 被曝五... [続きを読む]

受信: 2009年5月29日 (金) 17:13

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