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2007年2月10日 (土)

詰め込みか、ゆとりか。

 私が小中学生の頃は、詰め込み教育のほうだった。とはいえ、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた記憶はない。それでも受験戦争とか教育ママゴンとかいろいろ大変であった。

 自慢じゃないが、国語数学科学の偏差値はかなり良かった。常に60以上はあったと思う。特に国語はロボタンが勲章を持ってエッヘンとやれるくらい出来が良かったのだ。英語も人並みには点を取っていた。だけど、高校受験で多分大丈夫だろうと受けた公立から見事滑り落ちた。
 それで、交通費のかからないようにと、近所の私立高校に行くことになった。この高校が、よく言えばのびのび、悪く言えば伸び邦題な高校で、まったりとした高校生活を送ってしまった(校則遵守には厳しかったけど)。まあ、それは良かったのだが、おかげで学力はずるずると下がってしまった。

 で、高校受験の敗因はなにかというと、これが社会科だったのだ。

 私は興味のないことを覚えるのが苦手で、そのせいか、暗記中心の社会科の点数は他の教科に比べてガタ落ちだった。

 たとえば私の歴史認識だが、恐竜時代の三畳紀ジュラ紀白亜紀からいきなりエジプト時代に飛ぶ。恐竜の時代が果たして「歴史」と呼べるかはともかく、エジプトからローマ時代になってキリストが誕生、その後魔女狩りとかあってイスラム教が出来てルネッサンスなんぞを向かえ、王制華やかなる時代を経るがあまりの格差社会に庶民が切れてフランス革命とか起こって前後して産業革命なんぞもおこり、ロンドンはスモッグの都となりそれが霧の都ロンドンというイメージとなったが今は霧など何処へやらでその後世界的な不況に突入して2度の世界大戦があってドイツや日本もがんばったが、先住民をぶちのめして成り上がってきたアメリカが1人勝ちをして現在に至ると。
 日本の歴史では、縄文弥生からいきなり聖徳太子が現れ平安京から戦国時代に飛んで安土桃山から江戸時代が200年ほど続いて黒船が来て開国されて近代となっていきなり西洋文化に染まった挙句軍国主義に走って大戦で散々な目に合い挙句でかい爆弾2発落とされて、未だ敗戦根性が抜け切れず宗主国に頭が上がらないが、科学技術だけは向上し現在に至ると。
 で、これで覚えている年号は794年の平安遷都と1914年の第一次大戦勃発のみという有様である。

 あとは地理では地名を覚えられず各地の代表的な産業も覚えられず、倫理社会とか公民では用語が耳を通過し頭に記録されず全滅。歴史の教科書は読むのは面白かったが、上記のような記憶しか残っていない。

 これでは受験に失敗するわけである。

 しかし、皆さんは学校で習ったことを今どれだけ覚えておられるだろうか。未だ活用していない限り、ゆとりであろうと詰め込みであろうと、かなりの量が忘却のかなたにあるのではないだろうか。まあ、現役が5年とか10年とか前でそれは困るが、20年30年となるとカナリ怪しくなってくるはずである。また、科学や歴史などはどんどん塗り替えられていくモノであり、地理に至っては特にアフリカや旧ソ連あたりではどんどん変化しており、どうかしたら去年の地図すら変わっていることもある。それを考えたらきっちり記憶すること自体馬鹿らしくなってくるというものだ。

 因みに、学校で習って未だに覚えていることを一部つらつらと書いてみよう。

 ブラウン運動、三権分立、連立方程式、解の公式、因数分解、コルホーズ・ソフホーズ、オームの法則、フレミングの左手の法則、チンダル現象、でっこい山芋、行く川の流れは絶えずしてしかもよどみたるためしなし、書かないまああてにするなはイオン化傾向、リヤカーなきK村は炎色反応、水兵リーベ僕の船は元素周期表、化学式、亀の甲はベンゼン環、朕は国家なり、リボゾーム、ゴルジ体、ミトコンドリア、核酸(RNA)、デオキシリボ助さん核酸(DNA)、いがぐり頭を叩いてみればサインコサインと音がする、デカンショデカンショ半年暮らし後の半年ゃ寝て暮らすのデカンショはデカルト・カント・ショウペンハウエルなんてのは学校で習ってないか・・・、と圧倒的に科学用語が多く出てきますな。

 しかし、である。たとえ大人になって使わないから、あるいは忘れてしまうからといって、円周率πをほぼ3などという教え方でいいのだろうか。確かに3.14(後略)だから四捨五入すれば3であるが、それでは円周と六角形の周が同じになってしまう。また、台形の面積の出し方もちゃんと教えないと、将来土木設計に従事した場合、土量の出し方がわからんで困るぞ(笑)とか思ったものである。小学校の時、その台形の公式を教わって、何故「(上底+下底)×高さ÷2」で面積が出るのかを図で教えてもらった時は、子どもながらなるほどと感心したものだ。

 100ccのカップには100ccの水しか入らない。だから許容以上のことを詰め込むのは良くないかもしれないが、100ccカップに70ccの水ではあまりにももったいないではないか。子どもの頃の脳は沢山の可能性を秘めている。もちろん詰め込むばっかりで応用を教えないというのなら問題だが、それを含めて子どもには出来るだけ多くを学ばせてシナプスの回線を増やすべきだと思う。そして、是非与えられた答えだけではなく、自分で答えを導けるような授業もやるべきである。情報に流されドドドと納豆を買いに走らないように。災害やパンデミックの発生時等にデマに流されないように。

 などと昨日の朝、電車に揺られながらつらつらと考えていたのだが、降車駅に近づいたので降りるために回れ右をしたら、今は試験中なのだろうか、数人の学生たちが真剣にノートやプリントを読んでいた。そうか、がんばれよ~と思って近くの学生のプリントの束を一瞥した。

 って、人のノートのコピーかよ!
 

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コメント

僕が大学を受験した頃は共通一次試験というものがありました、と今更な見得をはりまくる国立一期校・二期校世代です(本人は私立文系ですが)。えー、旧課程なんてことも言われました。やれ、詰込みとか受験地獄とか言われていますが、随分前に呉智英が「ゆとり教育ナンセンス、世の中の役に立つものは受験勉強だ」という理論展開をして、大いに納得したものです。うん、しっかり学問せんと怪しい宗教や歴史にからめ取られるし、第一無知は無恥です。ここ最近の子供たちの学力低下の原因は安易なコピーとカラフルな蛍光ペンが原因だとにらんでます。そうそう、それからマンガで受験テクニックを学ぼうという姑息な連中も許さん!!教育を本来の姿に奪還するぞ!あれ、またマジレスだ。

投稿: drac-ob | 2007年2月10日 (土) 23:47

drac-obさん

共通一次って、いったい何浪したんですかって思ったら、見栄だったんですかいwww。

受験地獄も言われてましたね。
私は高校が高校だったもんで、もうそんなものとはまったく無縁で・・・。
でも、本当に頭の良い人は遊んでても東大受かったりしますからねえ(たとえば加藤登紀子とか)。
限界を超えた無理はかえってドロップアウトのもとですが、ある程度自分に鞭打ちながら勉強することも、あとあと大事かとも思います。
やっぱ就職もスタートが悪いと、あっという間にワーキングプアになりますから。
独身で生きるなら、そこらへんもっと計画的にしていればよかったなと。
まあ、給料の良かった前の会社が潰れたのは、私のアウトオヴコントロールだったわけですが。

投稿: 黒木 燐 | 2007年2月12日 (月) 09:58

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