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2006年10月30日 (月)

イモちゃんの悲劇

Agehayoutyu2   ぼく、こう見えても、
 いずれはきれいな蝶々に
 なるんだ

 だから、いっぱい食べて、
 はやく大きくなって、
 立派なアゲハチョウに
 なるんだよ♪♪
 

 
 しかし、この子の夢は叶いませんでした。このときすでに寄生蜂が体内に棲みついていたのです。次に見た時は、さなぎになっていましたが、食草の中で不自然な形のさなぎになっており、背中に大きな穴が開いていました。チョウではなく寄生蜂が羽化したようです。普通チョウは羽化するときに翅を伸ばす邪魔にならないように、障害物の少ない場所でさなぎになるそうです。

 しかし、かわいそうだけどこれも自然の淘汰です。殺すほうも殺されるほうも、みんな必死で生きているのです。
 彼らには自殺という選択肢はありません。しかし、無事に成長して子孫を残せる確立はとても少ないのです。しかし、彼らは生きられる限り淡々と生を全うします。

 偶然与えられた彼らのステージで、1秒でも長い時間を。

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コメント

そうですよね。これを可哀想というのは違いますもんね。(思っちゃうけど)
こういうことを知れば何だか自分の悩みなんて(イヤ、大して無いんですけど(笑)。というか、あったかなぁ 爆)ホントちっぽけで、下らないことのような気がします。

私は私のやるべきことを、ちゃんと全うしているのかと。

あれやこれやと言い訳したり、理由をつけるのは人間の悪いとこですね。だから、それが無い動植物等の自然と呼ばれるものは、あんなにも強くて美しいのかもしれないなーって思いました。

投稿: wing | 2006年10月31日 (火) 15:48

まぁ、あれだけの数の卵を産むのだから、成虫になる
確立が低くても、それなりの数になるのでしょうね。

このバランスを人間が壊したらいけないと思います。

実際、保護することも駆除することも、どこまでやって
いいのかって考えてしまいます。人間に害を与えるのが
害虫として駆除され、利益をもたらすのが益虫として
保護される。生活の上では仕方ないのでしょうが、生態系
を乱すようなことは考えないといけないかも・・。

といいつつ、ゴキブリと蚊は殺しまくってます・・。(^^ゞ

投稿: wanwanmaru | 2006年10月31日 (火) 22:28

wingさん、

最近あまりにも簡単に命を絶つ人が増えています。
まあ、流行みたいなものかもしれませんが。
しかし、子どもが自殺ってのもすごいですね。
消防厨房じゃ、生きる事の意味すらまだ完全にわかっちゃいないだろうに。

動物のような「生きろ!増えろ!」という命令の声があまり大きくないのでしょうか。でも「増えろ」にだけは忠実な連中は増えていそうですが。

路傍の虫けらに学ぶということも大切だと思います。

投稿: 黒木 燐 | 2006年11月 1日 (水) 13:05

>最近あまりにも簡単に命を絶つ人が増えています
毎日のようにニュースがありますね。その若さに愕然としてしまいます。ちょうど多感な頃で、生死や自分について迷ったり悩んだりし始める頃だからというのもあるのでしょうか。

それにしても、悲しいし寂しいな。
これから、もっともっと楽しいことたくさんあるのに。
明日という未来は、今の時代では”希望”にはならないんでしょうか。。。

死ぬ前に、人間では無くなる前に、ほんの少しでもイイから自然に触れてみれば気付けることもあるかもしれないのにな。

投稿: wing | 2006年11月 1日 (水) 14:00

コメント<(_ _*)> アリガトォ~♪
以前テレビで変身コーナーってのがあったけど
誰でも変身したいのよね~。
蝶ちょうもてんとう虫も‥全員変身できるんだからいいな~。

結果がすべての世の中です。(爆)
すったもんだの挙句に
いい世の中になってくれないかなぁ~~~。

投稿: ココロ | 2006年11月 2日 (木) 14:07

wanwanmaruさん

彼らは植物食で、食物連鎖の下のほうを担う生き物だから、生存率はとても低いです。
食草の枝や葉が茂る中で蛹化する固体は、寄生されている可能性が高いです。ハチにはそこまで翅を広げるスペースは要らないですからね。
それにしても、家のヘンルーダ(ハーブの一種)につくアゲハの幼虫の生存率の低いことといったら・・・。卵を産みに来る親アゲハが気の毒になります。まあ、私が気がつかないだけで、年一匹くらいは成虫になっているかもしれませんね。
そのヘンルーダも一度大家さんに引き抜かれて根っこが少ししか残らない状態でした。それからよくアゲハを養えるほどに復活したものだと思います。

>といいつつ、ゴキブリと蚊は殺しまくってます・・。(^^ゞ

蚊やローチは、人間の影響下でかなり増えますから、それでかまわないと思います。それと基本的に住居に侵入するものは殺すのもやむなしと思います。ただ、庭で平和に巣を作っているアリなどまで殺すのはどうかと思います。
うちは室内にいても、危害を及ぼすものでなければ(ローチ除く)黙認しています。ただ、猫、特にシャズは黙認してくれませんので、時に犠牲者の残骸を片付けさせられます。食うなら全部食えと。

投稿: 黒木 燐 | 2006年11月 3日 (金) 13:22

wingさん

なんかね、ひどいいじめとかにあって追い込まれて絶望して、というのならわかるんです。でも、些細なことで死んだりするでしょ。あてつけみたいに。そういう場合は死んだほうもしまったって思ってるんじゃないかと思います。
周りの大人も、生きている楽しさや、そんながんばらなくてもいい、逃げていいんだとか、逃げるために死んだ場合は、死後の世界でもずっとそういう状態が続くよとか、うそでもいいから教えていたほうがいいかもしれません。
生き物を飼って生きることと死ぬことをもっと実感させることも必要かと思います。昆虫は誕生から羽化までが早いものが多いので、生命についてよい教材になると思います。

自分も子どもの頃を振り返ると、子どもは子どもなりに死にたいと思うことがあったという記憶もあります。しかし、そんなときも半日もたてば復活していたものです。
でも、表ざたになってないだけで、意外と子どもの自殺ってあったのかもしれませんね。

投稿: 黒木 燐 | 2006年11月 3日 (金) 13:33

ココロさん

どういたしまして。こちらこそ宣伝ありがとうございます。
ココロさんのところはテーマが真面目なので、軽いネタのほうがコメントつけやすいです。

結果がすべての世の中だけど、私はやっぱり経過が大事だと思います。
苦労が多いと打たれ強くなって、多少のことではへこたれなくなります。
その点、順風満帆で障害もなく整備された道を歩いているだけの誰かさんは、何かあった時はすぐに崩れてしまうでしょう。
その点前首相はとんでもないクワセモノだったということでしょう。ジョーカーの衣装が似合いそうです。

投稿: 黒木 燐 | 2006年11月 3日 (金) 13:41

>あてつけみたいに。
そうですね、そんな感じがします。スゴイ復讐のように思えるけれど、残念ながらその相手がそれを感じ取ってくれるかどうか・・・そんな賭けをするにはあまりにも代償が大きすぎる。
他人が自分を軽んじたからと、自分まで自分を軽んじることは無いのに。

性格かもしれませんが、私は死のうと思ったことはありません。
イジメられた経験はありませんが、違う理由でみんなから相手をしてもらえなかったことはあります(怖がられてたというか・・・誤解なんですけど(^。^;))。みんな、それぞれ、イジメだけの理由じゃなくても死にたいと思うほどの辛い経験は大なり小なりあると思います。

でも、私は逆に腹が立つんです(笑)。「何でこんなヤツラのせいで自分が嫌な思いしなきゃいけないんだ?」と。絶対にこいつらの方が間違ってるんだから、私がヘコム理由なんて無いって。
・・・というより、私の貴重な時間をそんなくだらないヤツの為に使うなんてもったいない(笑)。極論かもしれませんが(^。^;)

みんな、平等に時間があるわけじゃないし。くだらない人の相手をする時間があるなら、大好きな人達と過ごしたい。大好きなことをしていたい。結局、自分を生かすも殺すも他人では無く自分のような気がします。他人はあくまでも、きっかけで。

イヤなら、そこから逃げてもイイんだから(逃げてばっかはダメだけど(^。^;))。追い込まれていく人達は、優しくて、真面目な人達なのかもしれませんね。。。

投稿: wing | 2006年11月 6日 (月) 17:40

wingさん

子どもは子どもなりに、それぞれ思うことがあるんですよね。
でも、大人になって振り返ると、なんであんな些細なことがあんなに辛かったんだろうなんて思うこともありますが、逆に、「すげぇ、今思っても大変であんなに辛かったのによく頑張ったな、俺。」という人もいるでしょう。
いずれにしても生きているからこそ思えることですね。

死んで花実が咲くものか。昔の人は上手いことを言ったものです。

因みに「死にたいと思う。」と「死のうと思う。」には大きな違いがあると思います。前者には若干の甘えが、後者には本当にせっぱ詰まったものがあるような気がします。

リザードのモモヨさんがこのようなことを書いておられました。
「昔は「自殺」の前にまず「家出」があったものだ。しかし、最近はそれをすっとばして自殺をする。子どもに「逃げ場」が無くなっているのだ。」

そういうモモヨさんも500円持って家出をした(その前に想像を絶することがあった)ので、今の彼があるのです。

真面目な子には逃げたり避けたりしていいとか、どうせ死ぬならその前にしたいこととかしたらどうだとか、言ってあげれる人がいたらだいぶ違うんじゃないかと思います。

投稿: 黒木 燐 | 2006年11月 8日 (水) 13:21

>因みに「死にたいと思う。」と「死のうと思う。」には大きな違いがあると思います
そう!!さすが、燐サン!そうですよね!これが言いたかった(笑)。
ウン、「死にたい(死んだら楽になれるのかな)」とは思ったことはありますが、「死のう(死ぬことを決断・未遂等)」と思ったことが無いんです。

>死んで花実が咲くものか
すっごくそう思います。死を選択する前に、もう何もしたいことは無いだろうかと思う。憎しみでもイイから、とりあえずこの世で生きていて欲しいとエゴかもしれないけれど、周りの人は思うのではないでしょうか。死んだら何も出来ないけれど、生きていればこれから何か出来るかもしれない。・・・追い詰められた人には、それさえも苦痛と感じてしまうのかもしれないですけど。。。
でも、そんな悲しいこと思いたくないな。。。

1人でもイイから、話を聞いてもらえる人がいるいないでも全然違ってくることなんでしょうね。”自殺”の前に”家出”というのはその通りだと思います。心休まる場所があれば先延ばしだったとしても、今その時死を選択することは避けられるかもしれません。

孤独が人を死に向かわせるのかな。。。

何か、自殺とかを考えるとやっぱり人ってすごく生死に対しても贅沢過ぎるような気がしてきてしまいます。。。(‐。‐;)
自然の食物連鎖から少しずれたところに位置している感じのする”人間”は、”自殺”という手段を手にすることで自ら淘汰され、自然とのバランスを保とうとしているんでしょうか。。。

って、私何が言いたいんでしょう朝から(笑)( ̄▽ ̄;)

投稿: | 2006年11月 9日 (木) 10:23

スイマシェン、また名前欄が空白になっちゃいました( ̄▽ ̄;)

投稿: wing | 2006年11月 9日 (木) 10:32

wingさん

今月の「社会派君がゆく!」のこのページ以下
http://www.shakaihakun.com/data/vol058/main04.html
で、いじめについて言っているんだけど、なんかかなり納得する内容でした(全部じゃないですが)。

自殺を復讐の手段に使うのは最低の手段でしょう。第一、何で「文部科学省」に自殺予告なんか出すんだと。騒ぎを広げるな、騒ぎを。ほんっと最近のガキ共ときたら、自己主張だけは強いんだから。ほんとに死にたきゃさっさと死ねと。その代わり死んでも決して楽にはならないからな。まったく愉快犯の狂言だと願いたいです。

自殺ってブームありますよね。
連鎖するって言うか。
まあ、ブームで死なれちゃあ親もたまらんでしょう。

私もよく書くけど、人間って自然から外れた行動のシンク(歪み)の塊である生き物だから、仕方が無いのかもしれません。

でも、お互いがちゃんと向き合えば、自殺を減らすことが出来るんじゃないかって思います。なかなか難しいでしょうけどね。

投稿: 黒木 燐 | 2006年11月11日 (土) 17:10

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