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2006年8月31日 (木)

恐怖!繭に覆われた街

サイコドクターぶらり旅というブログで見つけました。

24inkletat_tradnormal_3スウェーデンのある街に蛾の幼虫が大量発生した。
凄まじい数の蟲、蟲、蟲・・・。

白い繭に覆われる街。
樹木も、街灯も、自転車も・・・。
一見美しい白いヴェールの下に蠢く数多の幼虫。
這いずり、のたうち、絡まる、動く塊。

人々はいったい何処に行ったのか。
このまま蟲共に蹂躙されたままでいいのか?

心臓の弱い方や虫嫌いの方は、けっして見ないで下さい。

そうでなくても、お食事前後にはお勧めしません。
あ、寝る前や起きてすぐもNGです。

ここまで書きましたから、見られたあと後悔しても、私には責任はありません。

と、いうことで・・・。

あ、その前にちょいと一部を見て心の準備を

繭に覆われた木
その根本
繭に覆われた自転車

もう一度言います。注意して見て下さい。
虫嫌いは見ないで下さい。

さあ、心して、どうぞ・・・。
http://user.it.uu.se/~svens/larverna/normal.html

 

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今日のIOKE(8月31日)

台風前線 

せっかくだからいウォッチすることにした。

 太平洋の彼方から、無事に日本に到達できるか??(来られても困るけどwww)

Ioke31aug_bubun 経度 東経168度20分
大きさ -
強さ 猛烈な
中心気圧  : 920hPa
最大風速  : 55m/s
進行方向  : 北西
進行速度  : 20km/h
暴風半径  : 190km
強風半径  : 440km

昨日925hPaに衰えてたのに、また育ってます。

Ioke31aug_1   

 一昨日よりそれなりに接近しています。

 

 

 

Ioke31aug_zoom  

 ハイ!カメラさん、寄って下さい。
 お目々ぱっちりですね。
 美人さんですね。

 それでは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

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2006年8月30日 (水)

日々雑感:まるで犬と猫が一緒に降ってきたようだ編

 昨日の朝、通勤時間に丁度、いわゆる「滝のような大雨」に遭遇してしまった。

 よせばいいのに、いつものように一バス停歩いたのだが、あっという間にあたりが水浸しとなり、半分くらい歩いたところで激しく後悔した。もう、路肩は小川と化し、低いところは歩道も池のようになっている。道路舗装は既に透水性になっていたはずだが、流石にこんな集中豪雨までは計算に入れてないだろう。それに、自動車の重みでだいぶ隙間も潰れている。こういう場合も考えてL型側溝+桝だけではなく、それなりの道路側溝もつけた方がいいよなと、ぶつくさ言いながら歩いていると、容赦なく車が水しぶきを上げて通りすぎる。かがんで傘で避け、なんとか頭からかぶる悲劇は避けた。バスとかは人が通ってるとスピードを落としてくれるけど、クソガキの乗用車はだめだ。何故、人をずぶぬれにさせて平気なんだろう。何故、ちょっとスピードを落とすだけでいいのにそれが出来ないんだろう。
 例の交差点も車道部どころか歩道部まで池のようになっている。靴びっしょり。ブーツを履いてくるべきだったと後悔したが、まさかこんなに降るとか思ってなかったし、天気予報だって曇りだったんだ。

 通勤時間中大雨だった。バスに乗る時皆からジロジロ見られた。そーだよ、こんな日に歩いた私が馬鹿だったよ。
 おかげで会社についても衣服がなかなか乾かず、一日中寒い思いをした。

Image20060830101000382  今日も朝からこっちは視界真っ白な大雨だった。幸い出社後に降り出したので、今日は濡れずにすんだ。今は小康状態だが、秋雨前線だって?まだ8月だよ。そろそろシャズがプチ家出して一年経つけど、去年はめちゃくちゃ暑かったなあ。ま、今年も暑いけど。昨夜と今朝は蒸し暑くてたまらんかった。さすがに今はちょっと涼しいけど、冷房が効いているせいもあるよね。

 ところでこの事件、ひでぇな。

「30万円で母殺しを依頼」と長男供述 稚内の殺人
2006年08月29日22時22分
http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY200608290267.html

 自分の手を汚さんと依頼殺人なんて、殺人だって信じられないのに、高校生が母親を殺したって理解出来ないのに・・・。それも30万円で、殺したあとに母親の通帳から払うつもりだったって、よく前金なしで殺せたな、いやそんなことじゃなくて、たかが30万で一生をフイにするなんて考えてなかったのか。しょっちゅう言うが、息子のほうも、親を殺したらその後、どうやって生きていくつもりなんだ。

 親にもよるが、罪を犯した子を親身でかばってくれる可能性が高いのは親だけだぞ。一緒に罪を償ってくれるのは親くらいだぞ。その親を殺してどうするよ。

 酔っぱらい追突幼児3人死亡事故にしても、山口の女学生殺人事件にしても、相変わらず嫌な事件ばかりだなあ。なんか、みんな根本的な何かを学んでないんだろうねえ。

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2006年8月29日 (火)

変身台風 第12号 (イオケ)

Ioke29aug_2 ミッドウェー諸島近海を西南西へ進んでいるハリケーン「イオケ」が、27日15時、北緯17度30分、東経180度00分に達して、台風第12号「イオケ」になりました。台風は1時間におよそ25キロの速さで西南西へ進んでいます。(tenki.jp 台風情報より)(右側の渦が台風12号です。デジタル台風より)

 おおお~、すごい!こういう事もあるんだねえ。

 台風(東アジア東岸)もハリケーン(北アメリカ東岸)もサイクロン(インド洋)もウイリーウイリー(オーストラリア西岸)も、熱帯低気圧の強いものを言います。ただ、それぞれ基準が違うので、日本では台風に昇格するようなレベルでもアメリカではハリケーンと呼ばれなかったりします。(台風の定義:東経180度より西の北太平洋で発生して中心付近の最大風速が17.2m/s(34kt)以上になった熱帯低気圧)

 だから、ハリケーンだったのが、西によっちゃたんで台風と呼び名が変わったんですね。でも、呼び名が「イオケ」とアジア名ではなく、ハリケーン名をそのまま使ってるんだから、ハリケーンでええやん。出身地を大切にってことで。ハリケーンイオケ、東京湾に上陸とか、すげ~。

「臨時ニュースを申しアゲマス、臨時ニュースを申しアゲマス、ハリケーンが東京方面に向かっテいます。ダイシキュウ避難してくだサイ!ダイシキュウ避難してくだサイ!」

 すみません、不謹慎でした。出典は「ブルー・オイスター・カルト」の「ゴジラ」でした。

 今のところ大型で非常に強い台風だけど、遠いから日本まで来るかどうか微妙です。でも、油断は出来ません。直接来なくても、近づくにしたがって波が高くなったり、大雨が降ったりして、水難事故や災害等のおこるおそれがあります。しばらくは台風イオケの動向に充分注意して下さい。

 

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2006年8月27日 (日)

学校の怪異(残暑に怪談はいかが?その2)

 前話「社宅の怪異」に引き続き第2弾をお楽しみください。

 小・中と特に「学校の怪談」とやらのない学校にいたが、高校になると少し違った。

 それは、その学校にデザイン科があり、写真の授業があったため、本格的な暗室があったからかも知れない。ときたま、そこに出るらしい。もちろんユウレイが。

 私はそこで見たことはない。それどころか、鼻をつままれても犯人のわからないくらいの真の闇で、手探り作業しかできないフィルム現像室で、たった一人で作業してもたいして怖くない(もちろん、いらんことは考えないようにしていたが)くらいなにも感じなかった。
 ここで少し脱線するが、簡易フィルム現像器を買って家でもフィルム現像くらいはしていた。流石にプリントする設備にまで手は回らなかったが。で、その現像器は、フィルムを装填するまでは暗いところでしなければならないかった。それで、部屋の電気を消した上で、押入れに潜り込み、念のため布団をかぶっての作業だった。もちろん怖いことは頭から排除した。フィルムを現像器に巻き付けセットすれば、あとは明るいところで作業できる。今は写真屋に持って行けばカラー写真が現像・プリントまで30分くらいで出来る。いい時代になったもんである。因みに私がやっていたのはモノクロ写真である。

 私は高校の頃は写真部に入っていた。だから、簡易フィルム現像器を持っていたのだが、そこの部長が、一人で写真を焼きつけしている時、何回か部屋の隅に人が座っていたことがあるそうだ。写真室は、人が出入りしたらすぐにわかるのだが、そういう物音もせずに人が座っていていつの間にかいなくなる。特に悪さをする様子もなかったので、知らん顔をしていたということだ。豪傑である。

 その高校は偏差値はけっして高くないが、のびのびと出来て、生徒と先生も仲がよく良い学校だったので、母が惚れこみ、妹もそこに行くことになった。妹は私以上にのびのびとした3年間を過ごしたようだ。未だに一生で一番楽しかった場所だと言っている。
 で、妹が写真の授業をしていた時も一回、暗室にいた連中が血相を変えて飛び出してきたらしい。「○○さんが、誰かに足をつかまれた!」と青い顔をして言っている。暗室といっても印画紙焼付けのほうだから、赤い安全灯がついていて、誰かがいたずらしようとしたらすぐにわかる。ただでさえ暗くて怖い暗室なので、軽い集団ヒステリーかも知れないが、やっぱり誰か「住人」がいたのかも知れない。私だったらあんな現像液くさいところには住みたくないが。

 その高校で怖かったのは写真室よりもトイレだった。当時まだぼっとんトイレで(因みに中学は水洗だった。立地的に水洗に出来ない状況だったらしい)、かなり臭い。一階であろうが3階であろうがぼっとんトイレだった。また、ぼっとんトイレ特有の陰気臭さも漂っていた。その上、何を考えてそうしたのか、ドアが真っ黒だったのだ。それも光沢のある黒なので、はっきりではないがなんとなく自分の姿や背景が映るのだ。自分以外のモノが映りそうで、あまり見ないようにしていた。また、そのせいかトイレ自体が薄暗く、雰囲気からとても怖かった。
 とはいえ、特に怪談話があったわけではない。ただ、トイレに閉じ込められた女生徒はいるらしい。鍵もかかってないのに開かなくなり大騒ぎになったそうだ。しばらくしたらドアは自然に開き、生徒は無事に出れたそうだ。

 それからこれは直接学校であった話ではなく、妹の修学旅行の宿泊先であった、妹の部屋グループの人たちが遭遇した怖い体験だ。妹はちゃっかり他の部屋に出張していて免れたのだが、自分の部屋あたりが騒がしいので見に行ったら、女子生徒が数人襖戸の出入り口に完全充填していた。完全充填とは、例えばペットボトルに入れた乾燥スパゲティを逆さにして出そうとすると、ぎしっと口に麺が詰まって出なくなる、あの状態である。どうやら集団で我先に逃げようとして詰まったらしい。担任がびっくりして駆けつけたが、その姿に唖然として言った。「おまえら、何しとうとや?」
 話を聞くと、みんなで雑談(ゲームだったかもしれない)していとき、窓の外に小さい光がふわふわと漂っていたらしい。ソレは時々窓ガラスにぶつかりながら飛んでいる。時は11月。ホタルの出る時期ではない。ソレを窓のほうを向いていた人たちが目撃した。「何あれ?」みんなでいっせいに窓のほうを見る。一人がぎゃあと叫んで部屋を飛び出そうとし、その様子に驚いた残りの生徒もいっせいに出口に駆け出した。で、例の惨状が出来上がったわけである。何とか落着かせて部屋に戻されたのだが、真っ先に逃げた生徒が言ったそうだ。

「声が聞こえたっちゃん。『入れて~、入れてよ~・・・」って。」

で、部屋を変えてもらってなんとかその場を凌いだが、妹は仲居さんの独り言を聞き逃さなかった。「あそこは、もう出ない筈なんですがねえ・・・。」

    出てたのかよ!

 大学では、これまた特に怖いウワサは聞かなかった。前も言ったように、私は二回生まで「怪奇現象研究会」なるサークルに所属していた。そこが特に学内を調査しなかったことでもわかる。ただ、学生寮であるT寮のトイレに鏡がないのは有名だった。死んだ学生の姿が映るからというのがもっぱらのウワサではあったが、ひょっとしたら、酔っ払った学生が割ってまわるせいかもしれない。

 最後に、卒業アルバムで心霊写真ではないかと話題になった写真をUPして終わろう。
 ボーリング部の卒業アルバム用集合写真である。場所は見ての通りボーリング場。
 これは、謎の女性のいる場所が不自然とはいえ、あまりにもはっきり写っている。実際そこに従業員の女性がいてたまたま写ってしまったのか、ポスターが貼ってあったのか、たまたま何かが女性の顔に見えるのか、それともホンモノなのかは、読者の皆さんの判断にお任せする。

    Sinreikamo002_2    

 写真はクリックで拡大、プライバシー保護のため顔にぼかしをいれています。 

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2006年8月24日 (木)

冥王星、惑星から格下げされる


 おいおい、

 セーラープルートの立場は・・・!?

 
【プラハ24日共同】国際天文学連合は24日の総会で、冥王星を
 太陽系の惑星から除外、8個とすることを決めた。
 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=FLASH

 水金地火木土っ天海冥って覚えたのに・・・orz...。これからは水金地火木土っ天海かよ。
 語呂悪杉。

◆2ちゃんねる該当スレにあったテキストのコピペ◆

地球の皆様、今回惑星からはずされちゃった冥王星です・・・。
姉妹の中で1番地球から離れてて
みんなの中で1番小さかったわたし・・・。
こんなわたしでも、今まで強い火星姉さんとか、頭のいい水星姉さんとかと一緒の”惑星”って言うのに地球の皆様が登録してくれてうれしかったです。
今回の話が始まった時、最初はちょっと名前が長い2003お姉さんとカロンとセレスが増える
と教えられて初めて妹ができるんだって喜んだんです。
でも、途中から少しかわっちゃったみたいで、わたしを”惑星”からはずすかはずさないかの話し合いになったそうです。

・・・最後ははずされちゃったみたいです。
最初は何でこんなことになったのと思ってわんわん泣きました。
新しい妹ができると思ってたのに、姉さんがまた増えると思ってたのに・・・。
でも悲しいのはセレスもカロンも2003姉さんも一緒でみんなで1日泣いちゃいました。
そんなわたしたちを慰めてくれたのは他の惑星のお姉ちゃんたちでした。
ただ抱きしめてくれて、背中をさすってくれてわたしたちが泣き止むまでずっと一緒にいてくれました。

わたしはこれから"惑星”じゃなくなっちゃうけど別にいなくなるわけじゃないです。
カロンやセレス、2003姉さんと一緒にもとの”星”になるだけです。
姉さんたちはわたしよりも何でもできるし、スタイルもいいです。
だから姉さんたちと楽しいときを過ごしてください 。
でもたまに夜の星を見たときはわたしとか、セレス、カロン、2003姉さんとかのことも思い出してください。
じゃあ、わたしはこれでさよならです。
地球の皆様、今までわたしを”惑星”にしてくれて・・・うっ ...

・・・ありがとうございました。

って、涙出たやんか(泣)。

★冥王星を偲ぼう★
  惑星の旅http://jvsc.jst.go.jp/universe/planet/

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2006年8月23日 (水)

社宅の怪異(残暑に怪談はいかが?その1)

※注意:今回は怪談話なので、日頃科学的であろうと勤めているところを、若干タガを外しました。多少電波な表現があっても気にしないで下さい(笑)。

 これは、私が中学一年から大学2年くらいまで住んでいた社宅の話だ。

 その場所は今はもう当時の景観とはまったく変わってしまったが、某大手会社の社宅があった。上に4軒並び、それから土手の下に2軒向かい合わせに同じような平屋が並んでいた。最初越してきた時は小6で、上の道路側に住んでいたのだが、下の人が家を建てて引越しが決まり、子どもが多いということで、私たち家族がその後に住むこととなった。

 いつ頃からそういう現象が起こり始めたのかはわからない。最初からだったのに気がつかなかったからかも知れないし、途中から何らかの理由で何か歪みが出来たのかもしれない。とにかく最初は普通に暮らしていたし、こわいなんて思わなかった。
 しかし、いつの頃からか時折妙な気配がするようになった。
 下の社宅に降りてから迷い犬を飼うようになった。彼は犬小屋ではなく外の納屋で飼っていた。しかし特にその子が怯えたり訳も無く吼えたりすることはなかったのは不思議ではある。

 その怪異とは、どこからか箒で掃くような音が聞こえたり、母が転寝(うたたね)をしていると、枕元で他人のいびきが聞こえたり、要するに他に誰かいるような感じだった。私たちは「座敷わらし」と呼んでいたが、ある日決定的な怪異がおこる。

 その日は妹と留守番をしていた。天気は曇天だったような記憶がある。夕方になっても母は帰らず、待ちくたびれていたら、玄関の開く音がして、入り口の玉暖簾がカチャカチャ鳴って、買物をした袋を置く音がした。私たちは「帰ってきた!」とすぐに迎えに出たのだが、玄関に行くと誰もいない。ただ、玉暖簾がかすかに揺れていた。私は妹と顔を見合わせると、そのままそっともといた部屋に戻った。
「確かに帰ってきたよね。」
「暖簾の音がしたよね。」
それを確認すると、私たちはそれ以上追及をやめた。結論が恐ろしいものになりそうだったからだ。件の母は日が暮れて帰ってきた。私たちは母に知らせたが、母がどう受け取ったかは覚えていない。ただ、その話をしても、記憶がないようなので子どもの勘違いだろうと思ったのだろう。
 しかし、一人で聞いたのなら勘違いや錯覚だが、妹も同じ音を聞いていて、同時に「帰ってきた!」と出迎えに行ったので、錯覚と一蹴する訳にはいかない。

 私たちの家は土手の下にあり、上の家に比べて湿気が多い。それに丁度向かいの家(同社宅)の廊下とうちの廊下は直列に並んでいる。だから、ひょっとしたら土手下の2軒の家は霊道に建っていたのかもしれない。

 妹が見たのは老婆だった。夜寝苦しさに目を覚ますと、白い老婆がベッドの手摺りにすがりつくような形で周りを伝い、しばらくベッドの足元に佇んでいたそうだ。特に何かをされたわけではないが、とても気味が悪かったそうだ。

 さて、私の体験だが、多分大学2年くらいの時だった。炬燵を出していたから冬だったと思う。
 その頃はよく炬燵で寝起きしていた。いちいち炬燵を片付けて布団を敷くのが面倒大変だったからだ。その時も炬燵で眠っていたのだが、なかなか寝付けない。時間は深夜1時をとおに過ぎているのに一向に眠くならないのだ。それで寝返りを何度もうっていたら、急に玄関の開く音が聞こえた。そのころ母は7-11にパートに勤めていて、都合で深夜になることもあったが、その日はとっくに帰っており既に白川夜船の状態だった。
 侵入者はそのまま家に上がりこむと、どすどすと歩いてまっすぐ私の部屋までやって来て、躊躇することなく襖をガラッと開けて部屋に入ってきたのだ。声がかなり低音だったので、多分男だと思う。そしていきなり私の襟首をつかむと、すごい罵声を浴びせながら、私の頭を炬燵の足に何度もぶつけたのだ。私はというと、既に金縛っており、その「誰か」の成すがままであった。
 しかし、そいつが怒鳴りながら何度も人の頭をばふばふするので、「何で私がアンタにそんなことされなイカンの?」と急に怒りがこみ上げてきた。その瞬間にカッとなってキレた私は、動かない身体の力を振絞って金縛りを解こうとした。すると、なんとなく左手が動いたので、そのまま右肩越しに、そいつの手をつかんで引き寄せた。正体を見ようと思ったからだが、まさか本当に手がつかめるとは思ってなかった。しかし、相手の手とセーターを着ているらしき袖口が見えた。袖口の白っぽいラインまで確認できた。その勢いで、すかさず立ち上がって電気をつけた。

 しかし・・・、部屋には私以外誰もいなかったのだった。

「夢よ。夢やったんよ。そうよ、そうよね。」私は無理やり自分を納得させ、そのまま無理やり眠ることにした。

 山岸涼子の「ゆうれい談」で読んだのだが、モーさま(萩尾望都)は寝ていて妙なものを見たときは無理やり眠るらしく、それにあやかろうとしてみたのだ。金縛りを解くのに体力を使ったからか、眠れなかったことがさっきの現象がおこる予兆だったのか、今度はちゃんと眠れた。

 そいつの罵声の内容は今やまったく覚えてないが、相当なことを言われたと思う。思わずキレちゃいまいしたから。

 実際、その社宅に何かがあったのか、それとも住んでた私たちの思い込みかはわからない。箒で掃くような音は、隣の家の音が反響て聞こえたのかもしれないし、玉暖簾の音は気のせいで、いびきの音も妹が見た老婆も私の体験も、夢だったといえばそれで説明がつく。私の場合眠れない状態からレム睡眠に入り、夢うつつで強烈な夢を見たのだと説明できる。

 以上の話が、勘違い・錯覚の類なのか、本当にその社宅に何かがあったのか、その判断は読者のあなたに任せることにしよう。

 「残暑に怪談はいかが?」シリーズその2、「学校の怪異」も読んでね。

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2006年8月21日 (月)

鬼畜女流作家にネットで怒り渦巻く

 坂東眞砂子の日経新聞のエッセイがネット上で物議を醸している。騒ぎは問題記事の載った18日以降から、2ちゃんねるなどの掲示板で批判の嵐が巻き起こり、週明けには、ついに「きっこの日記」に取り上げられた。内容が内容だけに、きっこさんの怒りモードも半端じゃなかった。

女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然
   2006年8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載された、直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイが、ネット上を騒然とさせている。「私は子猫を殺している」というのである。坂東さんの掲示板では、06年8月19日にエッセイのコピーが書き込まれてからコメントが突如急増し始め、坂東さんへの批判が怒号のごとく続いている。(ライブドアニュースより。下記リンク有り)

 実は、この作家、この問題のエッセイよりも少し前に、やはり日経新聞のエッセイに似たようなことを書いていたらしいのだ。8月3日に「Dear,こげんた」の皆さんが来福された時に、スタッフAさんとかおりんさんが憤然として話していた。
 Mimiさんからその記事について教えてもらったので以下転載する。

  >これが犬の記事です

日本経済新聞
7月28日金曜日夕刊

「プロムナード」
=天の邪鬼タマ 坂東眞砂子=
うちの飼い犬は3頭いる。二頭はジャーマンシェパード、雌のミツと雄のクマ。
もう一頭はミツの娘のタマだ。タマは、近所の雑種犬との混血だ。ミツとクマには犬小屋があるが、タマはいつもそのあたりを宿にして放し飼いである。
 母娘だからというでもないだろうが、どういうわけか、ミツとタマ、同時に発情期となってしまう。
当然、出産も数日違い。前回、ミツはタマの仔を自分の仔だと思って奪い、タマはそれを取り返そうとし、私はどちらの仔か分からなくなり、あたふたしているうちに、両方の仔、みんな死んでしまっ
た。今回もまた同時に出産したので、涙を呑んで、タマの子は生まれてすぐに始末した。その数日後である。朝の散歩の後、ミツとクマは自分のねぐらに入るのだが、出産後のミツは自分の仔を置いている逆さ
にしたボートの下にもぐりこんだ。するとタマが、ミツの犬小屋に入りこんで、ちょこんとおさまった。こんなことは初めてだ。それから毎日のように、この調子だ。しばらくすると出てくるのだが、タマがいないなと思うと、ミ
ツの犬小屋を占領している。
 タマはミツになりたいのだ。ミツならば、子供がいなくなることもない。立派な犬小屋だってある。犬なりにそれを悟ったのだろう。タマは単純に、ミツの小屋にいれば、ミツになれると考えたのだろう。

=後半 省略=

 作家はその話を枕に話を広げたかったらしいが、フツーそんな話をエッセイで自慢げに書くか?
 それで、Mimiさんたちはその件について日経に抗議文を送ると言ってた(出したそうだ)。おそらく彼女ら以外にも多くの人が抗議文を送っているはずだ。抗議文が届いているのにあえてまた、いやそれ以上に残酷なエッセイを載せるなんて、日経の編集部のほうもどうかしていると思う。
 ひょっとして、抗議文に対してあてつけに書いたエッセイかもしれない。何故なら、前の雑種犬についてのエッセイはそれを元に日本のあり方を批判しようとした記事だが、今回は明らかに愛護団体のみならず、普通の動物好きの神経までも逆撫でするような内容である。そもそもエッセイの始まりからして

こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、・・・

となっているのだ。つい穿った見方をしてしまうではないか。日経の編集部も大物作家に逆らうことが出来ずに載せてしまったのかもしれない。もちろんこれは想像に過ぎないが。

 しかし、敢えてこんなことを書いたら火に油を注ぐようなモノ、自分が火達磨になるなんて考えなかったのかねえ。

 ところでペットの避妊手術についてだが、私も昔抵抗があった。特にメスに関しては体の中から臓器を切り取ることになり傷も大きいので、いくら動物が人間より生命力が強いからって当然大きなリスクを伴うし、痛さもたまらないだろうと思う。
 だけど、猫も犬も野生生物ではなく人が家畜化た動物だ。野良状態で繁殖したら当然生態系にも影響が出る。オーストラリアで多くの有袋類が絶滅したのも、人が連れてきた犬が野生化したもの(ディンゴ)が、片端から捕食したためだ。日本だってノイヌやノネコ・マングースによって絶滅に瀕する種だってたくさんある。 
 それともうひとつ早めに避妊手術を勧める理由は、年を取ってから子宮に膿や水が溜まったりして危険で高い手術をすることになる可能性が上がるし、それが成功したとしても、すぐに傷口あたりから癌化してしまうことがあり、悲しい結末になってしまうからだ。私はそれで、今すごく後悔している。もちろん今は早いうちから避妊することにしている。
 特に、ぽってりとした腹を出して安心しきって眠るシャズを見ていると、やはり避妊手術をしておいてよかったと思う。

 確かにいろんな意見があるし、自説を押し付けることもないし押し付けられる義理も無い。しかし、その中には人として、いや生物としてやっちゃイカンことがある、ということはちゃんとわきまえるべきだろう。

 ってゆうか、この作家、ひょっとして子猫や子犬を殺すのが楽しいのかも・・・。

★追記

 Mimiさんが下のブログで、これはひょっとしたらホラー作家のネガティヴ・キャンペーンではないかと言及されています。たしかにそれを狙っている可能性もありますね。

★追記2(8月24日)

 明日(8月25日)この作家の新作が発売されるらしい。

   ふふン、なるほどね。(と福田氏のように鼻で笑ってみる。)
   Mimiさんの読みは当たってたかな。

*** 参 考 ***

Dear,こげんた「あぁぁぁ 大手新聞と直木賞作家・・・」
http://blog.kogenta.ciao.jp/?eid=564817

ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2349351/detail

まとめWiki (下のほうに日経に電凸(でんとつ。電話で突撃質問)した時の、日経の対応が読めます。)

きっこの日記該当記事:http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060820
追加:今日(8月22日)の日記に犬の件が書いてありました。
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060822

RUDIES的なLifeStyle より
 酷い奴。勝手な奴。
 http://rudiescute.exblog.jp/3155326

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ツクツクボウシの季節

 お盆が過ぎ、台風も通過した後、計ったようにツクツクボウシが鳴き出した。

 子どもの頃はこれが鳴き始めると、夏休みもあと少しという感じで寂しさを実感したものだ。それも、ろくすっぽ宿題も終えていなくて、内心やや焦り気味になっていたちびまるこやカツオタイプの子どもだった。それも、お盆が終わると「あと2週間だから冬休みくらいはあるな。」、一週間を切っても「ゴールデンウイークくらいはある」あと3日になると「三連休」それからとうとう「日曜日」になって2学期が始まる。大急ぎで「夏休みの友」は仕上げたが、天気がわからない。焦る。結果人のと答え合わせをすることになる。工作や絵はけっこう母に手伝ってもらったように思う。絵日記はためると思ったよりダメージが大きい。夏休みとはいえそんなに毎日印象に残ることなどしていないもんね。実質的にはそうでも、「昨日とあまり変わらなかった」と書くのは流石にプライドが許さない。だったらちゃんと書けよと、当時の自分に大いにツッコミを入れたいところだ。
 そういう性格なので、ついぞ日記をつける習慣がつかなかった。そんな私がよくこのブログは続くもんだと思う(きっとPCだと字を書くのが楽なせいもあるだろうな)。
 今は夏休みの終わりには新聞に天気の表がつくらしいけど。便利だとは思うが、そこまでガキを甘えさせていいのかなとも思う。って、工作を手伝ってもらったヤツに言えることではないけれども。
 そして、完全に終わらない宿題を抱えて、9月1日は台風でも直撃してくれないかしらと罰当たりなことも半ば本気で考える。
 子どもの頃には子どもなりの悩みがあったものだが、今考えるとなんとかわいらしい悩みであったことか。

 ところでツクツクボウシの鳴き声はどう聞こえるだろうか。私は子どもの時からからこう聞きなしていた。

「ツクツクボーシツクツクボーシツクツクボーシ・・・ツクいい帽子ツクいい帽子ツクいい帽子ツクいい帽子・・・ジーーーー(飛び立った音)」

 う~~~ん、しかし、ツクツク帽子ってどんな帽子だろう。って、まあこの場合はおそらくその帽子じゃなくて「法師」が正解だと思う。ではツクツク法師とは何ぞや。なんか妖怪のようなものを想像してしまうが。

 

 ところで、今日中に怖い話をUPしようと思ったら、夜に友人からのお誘いが来て「ついつい」ちょいとカラオケ屋に行てしまったので、UPは明日くらいになります。

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2006年8月18日 (金)

台風10号ウーコン(悟空)九州上陸

Typ200610  おかげで昨夜は蒸し暑くて眠れなかったが、今はとっても寒い。通勤途中暴風雨で腹まで濡れてしまったからだ。台風自体は小型で弱いものだが、速度が遅いので事によっては 大雨の被害が心配される。ちょうど帰る頃に最接近しそうな感じだが、あまりにも亀進行のた136410440001000020060817210000_1 め、その頃には熱帯低気圧になってるかも。今現在だってかなり近くに中心があるのに風雨に勢いが無くなっている。通勤時が一番ひどかったのかな。orz

Image200608180850002187  さて、この台風200610号は名前をウーコン(命名中国担当)という。ウーコンは悟空と書き、孫悟空のことらしい。その割りには小物だが、予想外の進路とか後続の11号(ソナムー:松。命名北朝鮮担当)を吸収したとかいうアクロバティックさは、決して名前負けしていないようだ。

 まあ、とりあえず台風通過の今夜は、多少は涼しくなって安眠出来るかな。

0610_l (8月20日:結局、丸一日九州にどっかりと居座る形に。思い切り九州を縦断するわいったん有明海に出たあとループして戻ってくるわ、強くは無いまでも、気圧が980hpa台から一向に衰えないわで、流石悟空と言った感じか。普通こういう状態の場合は温帯低気圧に衰えるものだが。しかし、実際は台風自体は進みたいのに気象条件に邪魔されて、にっちもさっちも行かなかったというのが現状らしい。帰宅後とっくに通り過ぎたと思った台風がまだ久留米にいたのにはびっくりした。しかし、進路を見たら思い切り真上を通っていったらしいが、なんだか全然わからなかったぞ。ホントに瞬間風速が17m以上あったのかな。ま、おかげで翌日の土曜日は涼しくて過ごしやすかったけどね。ココ参照)

 で、話は全く変わるが、今なんとなくローソンのミッフイー皿をもらおうと点数を貯めているんだけど、あと8点までたまったので4点欲しさに今日のお昼は奮発して、420円のとろろそばを買ったのに、さっき見たら点数のトコだけ剥がされていたことに気がついた。

 どこの誰かはしらねぇが、やることが汚ねぇぞ!

ちゃんと商品を買って集めるのがこういうもんの楽しみだろうが。まあ、気がつかなかった私も悪いけどね。こんなことなら、あつあつで食べれるカップ麺とかを買えば良かった。なんか気持ちまで寒くなったぞい。

 それにしても、自分だけ良ければいいってヤツ、どうにかならんのかね。これで犯人が主婦だったりしたら、ガキがマトモに育つわけないよなあ。

 って、結局オバハンの小言かよ(笑)。

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2006年8月17日 (木)

平和祈念展に行って来ました。

 ここで書いた平和祈念展に行ってっきました。
 会社が終わって行ったので夜8時近くなってましたが開いていました。

060808heiwakinennten20013  行ってみると、思った以上に小ぢんまりした展示で、手前のガラスケース二つに日の丸寄せ書き等の戦時の資料、壁際のパネルには原爆の写真展という感じでした。

 原爆関係はほとんど知っているものばかりで特に目新しいものは無かったですが、被爆者の描いた絵は未見のものでした。いや、広島の資料館で見たことはあるかも知れませんが、その時じっくりと見れなかったので記憶に無いだけかもしれません。
 絵を(といっても原画ではなくそれを写真に撮ったものですが)見ながら、人間はこういう極限の状態でも最後まで希望を棄てずに生きようとするんだなと、つくづく思い、胸が熱くなりました。特に自らの命を以って子を庇う母や、生徒を守ろうとした姿で仁王立ちでこと切れた先生の絵とか、確かに本能とか使命とかのなせる業かもしれませんが、残酷な現実の中に崇高な何かを感じました。

 しかし、時間が遅かったせいもあるでしょうが、見学者が私だけだったのはちょいと悲しかったです。昼間はもう少しはいるのかな。

 で、わざわざ見に行くには物足りない展示でしたが、展示は今日までです。太宰府いきいき情報センターや下のマミーズに行く予定のある方は、ついでにちょっと足を伸ばしてみてください。

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2006年8月15日 (火)

終戦記念日に思う。

 まあ、現実は終戦ではなく敗戦なんだけど。

 因果関係はともあれ事実上は、アジアに進出した日本が弾みでアメリカにまでケンカを吹っかけたら、完膚なきまでに叩きのめされ、今では立派な杉山だ、ではなくて、立派な前線基地となってしまった訳です。それでも、あの大国を直接攻撃したのは911にアルカイダがテロを仕掛けるまでは、日本だけだったんですね。まあ、本土ではなかったし、そんなことを自慢しても空しいほどに犠牲が出た挙句、未だに戦勝国に頭が上がらないわけですが。結果、アメリカ様の戦略勝ちですね。

 案の定といいますか、やっぱりコイズミ首相は15日に靖国神社参拝を決行しましたね。どうせなら最初から公約守ってきっちり15日に参ればいいのに。やはりヘタレです。首相になってから靖国参拝を欠かしてないって、それ以前はやってなかったんですか~。そんな心無いおまいりでは、私の祖父を含む祀られた霊達は喜ぶどころかがっかりするのではないでしょうか。
 そもそも祀るとかいっても、私の祖父(インパールで戦死)のように遺髪どころか遺品すら戻ってこない状態の人たちも多いわけで、まあ、祀るのにそういうのは必要ないかもしれませんが、要するに例えどんなに美化しようと戦争とはそういう厳しいものなのです。また、そこに祀られたくないから分祀を望む人たちだっているわけです。うちのじいちゃんだって死ぬ時はきっと靖国なんかより、残してきた妻と5人の子ども達や故郷の風景、そして両親を思い浮かべ、帰りたいと切に願ったことでしょう。「英霊」の帰る場所、そして安らぐ場所は靖国ではなく家族の許だと私は思う。ただし、いわゆる無縁仏を祀る場所は必要だと思いますが。

 近代以降の戦争の多くは国対国によるものです。あるときは国境間の争い、あるときはとある国の野望から、またあるときは宗教間での軋轢など理由はいろいろでしょうが、けっきょく「下々の者(一般国民)」の思惑や願いなど関係無しに勃発し、それでいて一番ひどい目に合うのがその一般国民、すなわち普通の人々です。戦いたくないのに駆り出され、あるいは愛するもののために戦いを余儀なくされます。生き残るために人を殺します。
 例えば総理大臣が好戦的な人で、国際情勢もそれに味方し日本が戦争できる国になり参戦したとして、実際に命懸けで戦い、あるいは苦しい生活を強いられ爆弾に怯えるのはその総理大臣や議員の皆さんやその家族ではなく、私たち一般国民です。今この時だって世界中の紛争地帯で私たちと同じ普通の人々が戦火に怯えながら不便な生活を余儀なくされています。

 ヒトが動物であるからこそ争わずにいることは出来ない、平たく言えば動物の縄張り争いの拡大したものが戦争です。そして、確かにそれは今まで人口爆発の抑制の役割を担っていたでしょう。しかし、近代戦争からはそういう悠長なことは言ってられなくなりました。コトがでかくなり過ぎたからです。核兵器は使い方が難しいのでそうカンタンには使用されないでしょうが、それよりもっと楽に使える兵器でも、最近は相当な威力を持つものがあります。そしてそれらは人類のみならず地球規模で悪影響を及ぼしてしまいます。しかしこの星はヒトのものではなく、私たちは間借して住んでいるに過ぎないのです。それが、我が物顔の狼藉三昧。これではいつか大家に追い出されてしまうでしょう。

 最後に映画「妖怪大戦争」での水木御大の名ゼリフで締めます。

「戦争はいけません!ハラが減るだけです。」

 ・・・そうか、腹の太る人がいるから無くならないのか。

 
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  ■Knoun Only Unto God■(ストラングラーズの反戦歌)

  くらげねこの雑記帳より
   じいさんのトラさん。(千人針などの貴重な資料)

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平和祈念展

060808heiwakinennten20015_1 太宰府市 いきいき情報センター(西鉄五条駅そば、1F:スーパー「マミーズ」)の市民ギャラリーで、平和祈念展が開催されています。被爆被害写真等、数多く展示されているようです。お近くの方は是非、終戦記念日のこの機会に訪れて、あの戦争がなんだったのか、そもそも戦争とは何なのかを考えてみてください。

 なお、開催は8月17日までです(8月9日から開催されてたのに、今日テレビで始めて知りました)。

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2006年8月14日 (月)

Go!Go!Yasukuni!

コイズミ政権が終わるから あああ~

公約守り参拝するのだろう

だけどあんた どの公約も ろくすっぽ守ってないぜ

アジアの非難の彼方から あああ~

何を呼ぶというのだろう

希望の星すべて潰して 今日もたばかるひとり

ゴーゴー!靖国! ゴーゴー!参拝!

ゴーゴーゴーゴーゴー! コイズミ~!

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2006年8月12日 (土)

「dear,こげんた」のみなさん来福

 ここに書くのが遅くなっちゃったけど、8月3日に「Dear,こげんた」のmimiさんとこげんたスタッフのうちお二人が来福されました。

Pray_4  彼らは、2002年におきた、「福岡インターネット猫虐殺事件」通称「こげんた事件」で、犯人逮捕のための活動の先鋒をとったサイトの管理人さんとそのスタッフです。みんな拠点が関東で、mimiさんに至ってはほとんど仕事でアメリカにいるので、なかなか福岡まで来る機会がなく、裁判の時も一周忌の時もこれませんでした。そして、今回ようやく来福が実現したのです。

 12辞40分頃到着の彼女らを福岡チームのぱんさんとお迎えし、昼食に彼女らが滅多にこれないからと久留米ラーメンで腹ごしらえをしました。その後こげんたの位牌を安置している霊園に行き、写真と位牌を前にお経を上げてもらいました。
 位牌は、遺体を川に遺棄されてしまったこげんたのために、せめてものという気持ちで有志で作ったものです。霊園のお坊さんも事件をご存知で、お経も少しヴァージョンを変えてくださいました。その後少しお話しましたが、ここで遺骨が無いのはこの子だけです。せめて骨のひとかけら、ひげの一本でもあれば、骨壷に入れてあげられるのに、本当にこの子は可愛そうです、と言っておられました。

Genba_no_mae_2  その後、現場まで行き、犯人の住んでいた元アパートの部屋の前まで行きました。玄関ドアのすぐ右手に虐待現場の風呂場があります。私たちは改めてこげんたの冥福を祈りました。
 The_river_3 件の部屋は未だ入居者がおらず(あんな事件があったんだから当たり前ですが)、郵便受けから沢山のキャットフードが投げ入れられていました。探偵ファイルの記事と写真から場所を割り出してきた人がけっこういるようです。かくいう私たちも、当時そこを見て現場を特定したのです。私が始めてここに来たのは、こげんたの49日の日でした(私は方向音痴なので、知らない場所でも迷わない友人Kについてきてもらいました)。

Minamo_1  mimiさんたちはなかなか現場から離れがたいようでしたが、あまり長居も出来ないのでそこを離れ、犯人が遺体を棄てたという川に行き、お花を供え三たび冥福を祈りました。
 私たちよりも先にだれか来たらしく、造花の花束に猫じゃらしのおまけをつけたものが備えてありました。猫じゃらしつきなので、間違いなくこげんたにお供えをしたものでしょう。

 事件当日とは正反対の、暑いけれど明るく晴れた日でした。

The_river_2_3 何故、犯人があんなことを仕出かしたのか、本当のところは本人にしかわかりません。ひょっとしたら本人すらよくわかっていないかも知れません。わかっているのは、犯人から猫がひどい虐待を受け殺されたこと・犯人はそれを2ちゃんねるの某板で公開したこと・それに怒った人々が行動を起こし、いろいろな人が尽力して犯人逮捕にこぎつけたこと・結果懲役6月の有罪判決は出たものの、執行猶予3年がついたこと・しかし、それがこれまででは異例の重い判決だったこと。そしてあれからすでに4年が経過し、犯人の執行猶予もとっくに過ぎて彼が世に放たれているということ。今、書いててちょっとぞっとしました。

 そして、相変わらず動物虐待事件のニュースは尽きることがありません。

 しかし、人々の意識は変わりました。そして、この事件がきっかけとなり、自民党動物愛護管理推進議員連盟が発足しました(鳩山さんをちょっと見直しました)すこしずつだけど、変化しているのです。

Pray_at_the_river_2  4年前事件を知って、憑かれたようにほぼ三日不眠不休でサイトを立ち上げたmimiさん。そして、それに賛同して集まったスタッフの方々。彼女らは事件解決後も事件によって生まれた新しい動物愛護の芽を熱心に育てています。そういう人たちががんばり、また一般の人々の意識が変わることによって、動物虐待は少しずつだけど減っていくことでしょう。そのことによって子どもなどの弱者が犠牲になる痛ましい事件も減っていくに違いないと思うのでした。

           ※写真はプライバシー保護のためぼかしを入れています。

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■こげんた事件の経緯

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2006年8月11日 (金)

今日は何の日?

 うむ、今日はなにか目出度い日だったような気がする。私にとって重要なような重要でないような、目出度くもあり目出度くもないようなそんな日・・・、でも、なんとなく思い出すのを拒否してしまうような・・・、でも貰えるものはとりあえず貰いたいような、そんな日・・・。

 ・・・・・。

 あ・そうそう♪

 今日はワタクシ黒木燐の中の人のお誕生日でした。

   チァーズ!

 いまを去ることン十ン年前の早朝、オルゴール時計から流れるチャイコさんの白鳥の湖のメロディと共に産声を上げた黒木燐の中の人は、蝶よ花よと育てられ(たのに何故か)、コイズミよりちょっとマシな程度の変人に育ちましたとさ。とっぴんぱらりのぷう。

 とまあ、ざーとらしい言い回しはこれくらいにして、成人後の年月の経過は早いモンで、あっという間に不惑の年を超えてしまい、次の大台がdangdang気になる~♪、もとい、近づいてきているのでございます。年を取るごとに貧乏になっていくという体たらくだし。う~ん、もっと馬路、いやマジに考えないと、老人ホームでマンガを描いて余生を暮らすという将来の夢が砕け散りそうである。

 しかしまあ、ナンですなぁ、この年になるまで一人でいると、妙なことで気を遣われるので非常にムカつくのである。それは何かと訊ねたら、キーワードは「結婚」。会社の女性社員が結婚する時にギリギリ、もしくは時後でしか知らせてくれないのだ。それも、他人経由だったりする。orz

 ふーーーーん、独り身でいるのはそんなに惨めだと思われているんですか、そうですか。

 これはもう10年くらい前の話なんやけどォ、いろいろお話して仕事も教えて時には庇い相談ごとにも快く答えたし向こうもこちらを慕っていると思ってサバ、いや、思ってタラ、ある日朝礼の時に彼女の結婚を社長から聞かされちゃいましたーーー。
 なんで先に言うてくれんかったん?って訊いたら、言いにくかったって言われました。いじめられるとでも思ったんかい。それとも、私だけ幸せになって申し訳ないわってか?うるせぇよ!そんなされたらなんか素直に喜べんやろうが、こなクソ・・・。言ってくれなかったことはムカついたけど、あまり態度に表すと結局そう思われちゃカナワンから、その時だけ怒ってあとは普通通りに接したさ。微妙な立場なのよね、私たちみたいなのは。

 でね、今週となりの営業のお姉ちゃんから「今日入籍してきたんですよ~。」って明るく言ってもらえたから、すっげ~~~嬉しかったのさ。

 で、お誕生日に戻るけど、中の人は長子だったので生まれた直後はすごく頭が長く変形していたらしい。それを見た若き頃の叔父が、***が生まれたって早とちりしてショックを受け、町中を泣いて歩いたんよって、しょっちゅう祖母が言ってた。おかげで自分の子供が生まれた時に驚かないですんだと感謝していたそうだ。出産ってお母さんも子供も大変なんだ。死ぬ時も苦しいけど、生まれる時だって苦しいんだ。ただ、覚えていないだけで。なんかのマンガで「誕生日は自分の生まれたのを祝う日ではなく、産んでくれた母親に感謝する日だ」って言うセリフを読んでなるほどと思った事がある。でも、それが出来るのはやっぱ幸せな人だよね。

 でも、すごい確率の中で、今の時代の日本に人間として生まれた私たちは幸せだと思う。なんだかんだと言っても、きっと日本に於いて今が一番平和で幸せな時だ。多少貧乏でも飢えることは希だし、ある程度文化的な生活は出来る。みんな平等に勉強できるし、情報だってその気になればある程度得ることが出来る。女は勉強するなとか、スカーフをかぶれとかいうヤツもいないしね(いや、イスラム教が悪いってんじゃなく、それを曲解するのが悪いってことだけどね)。幼児の死亡率も低く、生まれた子供のほとんどが成人できる。元首の悪口を言っても逮捕されたり殺されたりするようなこともない(イマノトコロ)。
 こんな時代だからこそ、スチャラカがTOPに立っても表面はうまくやって行けたのだ。(くくっ、まあ、ものすごい借金は抱えたけどな。(byリューク))
 まあ、これから先はどうなるかわからないとは思う。エネルギーや環境問題とか、中東情勢の具合とか、自国の資源の問題とか、食品添加物もこの先どう影響するかわからない。

 要するに平和ではあるけれども、潜在的にも顕在的にも内外に色々問題は抱えているのが現実だ。そして、今が踏ん張りドコロのような気がする。
 何かと目先のことばかり気になってしまうが、もっと先(老後か?www)を見据えて、今一度がんばってみようかな、と思う。幸か不幸か、私は今ドビンボーマンなので、平和ボケの度合いは普通の人よりマシだと思っている。

 さて、これからどうするか。
 ぶいっちゃんでも大塩平八郎に仕立てて一揆でも企画するかな(企画かよ)。

    思い切りウソだけど(爆)。

 中の人は、獅子座で亥年で血液型はB型だと言うと、必ず大笑いされて、その後、妙に納得されてしまいます。外側の黒木燐も含めて、変わっているとか、面白いとか、キレ者(2重の意味で)だとか、優しいとか、何故か癒し系とか、変なことを色々知っているとか、ムッツリスケベだとか、「フォート イズ」のオノ・ヨーコに似ているとか、恐いとか、パンクだとか、実はヘタレだとか、正体はニャントロ星人だとか(←それはナイナイ)、色々評価も分かれますが、統合するとやっぱり「変な人」です。でも、何で変な人に評価されるのか、さっぱりわかりません。こんなにマトモな常識人なのに。
 でもやっぱり大多数の評価がそうなので、きっと変な人なんでしょう。うんうん、右手がパラサイトでもないのに一人で会話するのはやっぱり変です。これからは右手をミギーと呼びながら話すことにします。って違うがな(´・ω・`) 。

 それはともかく、今までいろんな人の助けを借りながら、人生50年まであとX年となりました。これからもいろんなものに感謝をしながら人生100年を目指してがんばろうと思います。

 まあ、それはともかく、いくつになったかなんてェ野暮なことは訊かないようにお願いいたしやす。

って、干支まで書いたらバレてしまうがな(´・ω・`)

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2006年8月 9日 (水)

第61回原爆忌に思う(2)

 今日は、長崎の原爆忌だ。「長崎の鐘」の冒頭の「こよなく晴れた青空を、悲しと思う切なさよ」という歌詞そのものの晴天だった。そういえば一時期、永井博士の著書にハマって何冊か読んだことがある。
 投下時刻は11時2分なので、こっそりと設計部室を出て、廊下の窓際で黙祷する。遠くでサイレンの音がしたような気がした。久留米でもサイレンを鳴らすのか?

 この時の第一投下目標は小倉だったが、曇天だったため難を逃れた。日本中が曇っていたら、多分この原爆は海上投棄されていた。しかし、不幸にも原爆搭載機が長崎を飛行中に雲の切れ目が出来てしまい、結局プルトニウム型原爆「でぶっちょ(FAT MAN)」は長崎上空で炸裂した。長崎の地形上被害は半減したが、広島より強力な爆弾だった。
 原爆投下予定地には京都も入っていたらしい。原爆投下予定地は、投下の効果がわかるように、空襲を控えていたのだ。歴史的建造物があるから京都が攻撃されなかったというのはガセビアのようだ。100歩譲ってそれが本当だとしても、建物と人命を計りにかけるなんてふざけている。

 今日のNHKスペシャルは、原爆小頭症の方の記録だった(参考)。
 それによると、アメリカは原爆小頭症の記録を熱心に取っていたようである。そして記録だけとったら後は放りっぱなしだ。まさにモルモットの観察である。テレビ画面を見ながら、ちったぁ保障してやれよ!と怒鳴ってしまった。
 胎内被爆で小頭症というハンデを負って生まれた光石さんは、それでもひたすら健常者と同じように生きようとした。その生き方は、原子爆弾という化け物に必死で戦いを挑んでいるようだった。小頭症ゆえに知的障害を負っている彼の言葉は、年よりははるかに老けた感じはしたが、その障害をまったく感じさせないもので、むしろ哲学的ですらあった。平和公園の一本の苗木の話は、高尚な詩の朗読のようだった。
 彼は最後まで原爆症に苦しみながら、それでも崇高に生き、47歳の生涯を閉じた。彼の身体は本人の希望により解剖された。しかし、私にはそれが釈然としなかった。その記録はおそらくアメリカの手にも渡るだろう。アメリカに最後まで「有効利用」されたような感じがしていやだった。
 これから彼のような障害者に役立てるために?それはあるだろう。しかし、彼のような人間を「人為的に」作らないようにすることが先決だと思う。

 もし、脅しで原爆の威力をどうしても見せ付けたいだけなら、市民の頭上ではなく海上でも良かったはずだ。それでも死の灰や諸々の被害は出ただろうし海中の生物はかなりダメージを受けただろうが、あの現世地獄は出現しなかったはずだ。また、それだけで目的の終戦の短縮とソ連への牽制は充分に果たしたはずだ。やはりどうしても市街地に落として効果を見たかったのだろう。多分このチャンスを逃したら2度と無いということがわかっていたんだろう。実験感覚で2発も「新型」爆弾を落とされたことは釈然としないし腹立たしい。(こう書くと、731部隊は、とか言われそうだが、前にも書いたように、それらは別々に考えねばならない。それに731部隊の残党が裁かれずに、しかも高待遇で生き残ったのは、アメリカの腹積もりによる。)

 広島・長崎の原爆投下後、第2次世界大戦は早々に幕を閉じた。原爆は戦争の早期終結に結びついた(とされている)が、それは激しい核兵器開発の幕開けとなった。その間何度も核戦争への緊張が高まり、あわやという事態もあった。しかし、これまでの61年間は、なんとか実戦での核兵器使用は踏みとどまっている(ただし、実験でかなりの人が被害を受けている)。これからも核兵器を使うことなく、いずれは人類が核兵器を放棄する時がくることを願っている。

 人類は、そこまで馬鹿じゃない、と、思いたい。 

  第61回原爆忌に思う 
 

*****
[Photo] 世界中での米国・イスラエルへの抗議(P-navi info)
http://www.asyura2.com/0601/war83/msg/469.html

*****アーカイブ*****

「彼は生きた」
 ~小頭症被害者・47年の生涯~

<全国放送>
8月9日(水)総合 午後10:00~10:44
 原爆に冒された体で生まれ、障害に苦しみながら47年の短い人生を生き抜いた一人の被爆者がいます。
故・光石信幸さんは61年前、長崎に落とされた原爆を母の胎内で浴び、終戦の翌年に原爆小頭症を負って生まれました。知的障害と体の不自由。光石さんは自立を目指して中学卒業後に家を出、しかし、体の不調で仕事を転々とした末に、13年前、肉親に付き添われることなく孤独な生涯を閉じました。「死んだ方がましだと思ったことがある」「誰がこんな体にした」。生前に録音された光石さんの肉声は、その苦悩の歩みを物語ります。同じ被爆者として、光石さんを20年にわたって支えた被爆者団体の相談員・横山照子さん(64)は今、光石さんの人生史を書き進めています。きっかけは去年の春、被爆者の知人が語ったひと言でした。「原爆小頭症って何?」。光石さんのように人知れずひっそりと人生を終えた小頭症被爆者は少なくありません。現在存命の小頭症被爆者は、全国に20人余りとなっています。横山さんは光石さんの人生を通して、社会の片隅に追いやられた小頭症被爆者の苦しみを伝えようとしています。
番組では横山さんの取り組みを追い、薄れ行く原爆の影を描いていきます。 

         

Kakitoku長崎原爆被災者協議会事務所が保管する
光石信幸さんの肖像画

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2006年8月 8日 (火)

カッコ悪い!

  パッタ パッタ パッタ・・・
                           ペッタン ペッタン ペッタン・・・
       カッツン カッツン カッツン・・・
                             べった べった べった・・・
    カツぺた カツぺた カツぺた・・・・
                           びたん びたん びたん・・・
  ぱったペタ ぱったペタ ぱったペタ・・・
 

    「何の音~?」

              「ミュールを履いた女性の足音~♪」
 

 夏はミュールの季節。ナマ足ミニスカの女性達が競って様々なデザインのミュールを履いている。まあ、それはいい。だって夏だから。

 でもね、もっとカッコ良く歩いたらどうなのよ?猫背でヨタヨタ、階段の昇降はペタンペタンとうるさいし。ミュールってたって平たく言えばハイヒールのツッカケなわけだし(ハイヒールとは限らないけど)、ブーツだってハイヒールのは歩きにくいのに、踵に引っかかりの無いツッカケではそりゃあ歩きにくいだろう。綺麗に歩けないなら素直にサンダルを履けばいいのに。みっともないことこの上ない。体が歪んでも知らないぞ。

 因みに私はミュールとかサンダルとか、足に泥が付きそうなものは履きたくない。なんか、病原体を家につけて帰りそうだから。人間ならまあ大丈夫と思うけど、猫に変な病気を運んではかなわないと思ってしまうからだ。

 ところがある日、私の「ミュールではキレイに歩けない」という認識をぶち壊すような女性を見てしまった。その人は乗り換えの為電車を降りて階段を下りこっちのホームに向かってきた。ところが、かなりの高さがあるハイヒールのミュールを履いていながら、例のぺったんぺったんが聞こえないのだ。特に駅の階段は音が響く。それなのに足音をほとんど立てずに階段を登ってきた。そうとうバランスのよい歩き方をしているのだろう。
 彼女は茶髪でカールした長髪を髪留めでまとめ、うす茶色のジャケット風の短いブラウスと同色のミニスカートで、日焼けはしていたがナマ足も綺麗だった。まあ、自信があるからそういう格好をしているんだろうが(私がやったらソッコーで女小力の出来上がりだ)、感心した。姿勢も良く、彼女は車掌になにか訪ねてから、そのまますうっと普通電車に乗って行ってしまった。

 素直にカッコイイと思った。

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2006年8月 7日 (月)

緊急SOS

82f349d8 チンチラのミックス猫80匹を飼い主がネグレクト(飼育放棄)。
悲惨な状態になっています。

子猫成猫80匹SOS
http://blog.livedoor.jp/mixcat80/

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2006年8月 6日 (日)

第61回原爆忌に思う

 Heiwakouen006_1今日であの日から61年経つ。
 あの最低最悪の兵器が始めて人類の頭上で炸裂してから61年経過したのである。

 いつも8時15分は丁度バスに乗っている時間で、ちゃんと黙祷できないが、今年は日曜だから時間通りに黙祷が出来た。
 しかし、今日の原爆忌はなんか怖かった。8時ごろ飛行機の爆音がして、それと共に「ズンズズズズンズン」という地響きがエンドレスに鳴り始めた。なにか原爆忌のイベントがあったのか、どっかの馬鹿が大音響で何か曲をかけていたのかはわからないが、言い様のない不安に襲われた。太宰府は8時15分にはいつもサイレンが鳴るけど、今日のサイレンは何故か音が小さく、飛行機の音みたいに高い音でイイイーーーーーーンという感じだった。本当にサイレンは鳴ったのかなあ。妙な音(というか振動)と妙なサイレンのせいで、黙祷している間もとても不安で、恐怖感すらあった。その後もしばらく「ズンズズズズンズン」という音が続いていた。今はそれも止み、周囲は蝉時雨の洪水だ。今日も暑そうである(8時30分)

 私が原爆というものを身近に知ったのは、少女マンガ雑誌りぼんに連載されていたもりたじゅんの「キャー!先生!」というマンガだった。
 このマンガはしょっちゅうギャグ展開になり、当時の少女マンガにしては主役の先生も今で言う巨乳な肉感的な女性で鷹という(元)恋人(こいつがまたニヒルな二枚目で)がいて、生徒も中坊だし、大人向けみたいなマンガだった。おまけにこの先生、巨乳の上超ミニスカを穿いていて、コケたりしてしょっちゅうパンツ丸見えになる。それであだ名は「ピンクの花柄」。「キャー!先生!」というタイトルはその時の生徒たちの嬉しい悲鳴だ。
 しかし、そんな先生も実は母親を原爆症で亡くしており、彼女も被爆2世で(胎内被爆だったかもしれない)、母の死後、原爆症への恐怖の為、恋人に一方的な別れを告げ教師に専念しようとする。結局すべてを受け入れてくれた恋人鷹とゴールインするのだが、内容が内容だけに、ヒロシマの悲しさや原爆の恐ろしさを訴える話がちりばめられていた。被爆から25年後の話だ。

 その後、小学校6年の修学旅行で一泊二日で長崎へ行き、1日目に国際文化会館の原爆資料館に行かされた。そこで見たものは、今までテレビやら本やらで見たどんな資料よりも恐ろしくて、私の心に刻み付けられた。特に、無脳症の赤ん坊の写真はトラウマとなってしまった。また誰が選んだのか、卒業アルバムの修学旅行の思い出にその写真も選ばれ、おかげでしばらくそれは開けないものとなった。今はわりと平気でそういう写真は見られる。去年防災セミナーに行ったときに、何故か戦争関連の酷い写真を沢山見せられたが、酷い死体も奇形児も、全然眼を背けずに見ることが出来た。可愛くない女になったものである。
 それから中学生になったある日、隣の小学校の体育館に集められ、イキナリ映画を見せられた。「ヒロシマ・ナガサキ」という、原爆の記録映画で、目を背けるようなシーンもたくさんあって、かなりキツかった。なんで登校日の平和教育でもないのにそういうものを見せられたのかは覚えていないが、太宰府というところは平和教育が盛んな地域であったらしい。
 最近はそういう平和教育をしないところも増えているらしく、太宰府もどうなっているやら子どものいない私にはわからない。しかし、戦争の愚かさや平和の尊さ、そして人類に3度過ちを犯させないためにも平和教育は必要だし、原爆の恐ろしさは伝えるべきだと思う。直接脳にガツンとくる写真や映像は小学生には辛いと思うので、体験談や絵など伝える方法はいくらでもある。核兵器の恐ろしさを知り、それを伝えることが被爆国である日本国民の義務だと思う。

 昔は原爆忌ともなると、各テレビ局が原爆特集を組んだものだが、最近はそこまで熱くない。唯一NHKが毎年欠かさず特集番組を制作し、アーカイブとして熱心に再放送している。こういう姿勢なので、私は今もNHK全体に対してはそこまで悪い感情は持っていない。
 去年は60年目ということで民放も原爆モノに力を入れてくれた。今年はどうだろうか。

 私は原爆投下は日本だけではなく人類全体への犯罪だと思っている。
 日本が降伏する直前にバタバタと2発も、それもウラニウムとプルトニウムという違う種類の原子爆弾を落としたのは、戦略目的ではなく人体実験を含めた核実験である。それは、ABCCが被爆者の治療は行わず、彼らを観察し、資料を集めることを目的としていたことでもわかる。放射線の影響を調べるためのモルモットを治療しては意味ないからだ。自国の兵士すらモルモットにしてしまう米国の冷酷さから考えると、黄色人種の日本人なんて実験用のサル並みの扱いだったのかもしれない。
 原爆投下が終戦を決めたというのはそれを正当化する詭弁である。また、韓国では原爆のおかげで日本からの開放されたと思っている人がかなりいるようだが、彼らは犠牲者の中に多くの同胞がいたということを忘れている。また、朝鮮戦争の際3度目の原爆の使用が検討されたのだ。マッカーサーは落とす気満々だったらしい。一歩違っていたら自分達の頭上にもヒロシマ・ナガサキの災禍が襲っていた、ということを忘れてはならない。
 もうひとつ忘れてはならないのは、ヒロシマ・ナガサキが原爆についてずっと抗議しているのは、アメリカへのウラミツラミをや保障を訴えているのではない。唯一の被爆国として核兵器廃絶のために、原爆の恐ろしさ悲しさ、そして空しさを訴え続けてきているのだ。人も動植物も自然もすべて無差別に完膚なきまでに破壊する核兵器は2度と使用されてはいけない。
 日本が原爆の被害を訴えると、当然のようにかえってくるのがパールハーバーや大陸での日本軍の暴挙に対する当然の報いだという意見だ。しかし、それぞれの事例は別々に裁かれねばならない。けっして相殺してはいけない。よく例えに使うのだが、AにBが娘を虐殺されたとして、仕返しにAの娘をBが虐殺してもいいという理屈は通らない。AもBも別々に裁かれるだろう。せいぜいBが情状酌量されるくらいだ。ましてやパールハーバーは軍事施設がターゲットであり、原爆のように何万人もの民間人、それも多くは女子ども老人を虐殺したのとは訳が違う。頬を叩かれた仕返しに相手の家ごとぶっ壊すくらい違うと思う。とはいえ、私は真珠湾攻撃を正当化しているわけではない。経緯はどうあれ、あれが日米開戦の引き金になったのは事実なのだ。

 原爆を作るきっかけを作ったアインシュタインも原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーも、その恐ろしい破壊力におののき、そして子どもを含む無辜の市民を大量に虐殺したことを悔いて、戦後は核廃絶に奔走した。E=MC2(2は上付き文字)の公式が発見されたときから核兵器の製造はおそらく時間の問題で、彼らがいなくてもいつかは出来たと思う。時代の流れでたまたま製造に関わってしまい(その上アインシュタインは公式の発見者だ)、結果、核による大量虐殺を行ってしまった彼らの苦悩は想像もつかない。私なら罪の重さに耐え切れず自殺を選んだかもしれない。
 しかしながら、あの核兵器製造合戦の中、おのが過ちを悔い、罪を償おうとした彼らがいたことに少しほっとした思いがする。

 北朝鮮の核ミサイルへの脅威のために、日本も核武装しようという考えを持つ人が増えつつあるかもしれない。憲法九条の改正も現実味を帯びている。そういうことを懸念してしまうが、私は日本は核武装すべきではないし、憲法九条も若干のマイナーチェンジは必要かもしれないが、基本である戦争放棄の誓いはきっちりと変えないでおくべきだ。ただ、自衛隊のような防衛組織は現実を考えると必要だといわざるを得ない。これは家で言うとセキュリティにあたるだろう。因みに(どこかの国と違って)人工衛星が打ち上げられるということは、長距離弾道ミサイルの製作も可能だということになるらしい。弾道ミサイルなどもちろん必要ないが、牽制にはなるかもしれない。
 核武装については、現実的に出来るかどうか考察した横井設計さんのページが下にリンクしあるので、参考にして欲しい。

 冷戦が終わり、少しはマシな世界になると誰しもが思っただろう。しかし、現実はさらに複雑化し収拾の付かない状態になってしまった。中東での火種は広がり、多くの国が核を持ちたがり始めた。しかし、本当に核は必要か。核兵器を持たねば防御にはならないのか。しかし、核兵器は使ったほうが負けである。もし使用した場合、世界中の気がふれて全面核戦争にならない限りその国は全世界から非難を浴び、特に某国のような独裁国家は致命的な制裁を受けるだろう。まあ、かの国の元首はアレな人だから、絶対に無いとはいえないが、テポドンのショボさからしてとても日本を攻撃出来るとは思えない。
 アメリカを考えてみよう。あの国は銃社会で、普通の家庭にも普通に銃が置いてある。しかし、それで銃関係の事件や事故の抑制になっているかというと、否であろう。それどころか銃さえなければおきなかった事故や凶悪事件が頻発している。これで、銃によって平和が保たれているといえるだろうか?服部君だって、あの家に銃さえなければ死ななかったのだ。

 日本は2度と戦争をすべきではない。
 日本はこれまでどおり非核三原則を遵守し、ヒロシマ・ナガサキの悲劇を繰り返さないように、核拡散の抑止力となるように努力するべきだ。大地や川を埋め尽くす遺体の山を、幽鬼のような焼けた人の群れを作ってはいけない。平和になったあとも死の影に怯える人々を作ってはいけない。二度と。これは核の恐ろしさを身を以って知る日本だからこそ出来ることなのである。そして、国自体はああいうこととなってイラク戦争に加担してしまったが、国民レベルででもいい、平和を訴え続けていく姿勢を崩さないことが大事だと思う。

 改めて、ヒロシマ・ナガサキの原爆犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

 第61回原爆忌に思う(2) 

■参考資料■ 

きっこの日記:原爆の日(俳句)

だびだびだびちゃんより:忘れちゃいけない夏(イラストポエム)

原爆にまつわる怖い話20より

8月5日12:37 天候観測機3機離陸
8月6日01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食

【参考サイト】
 ビッグ・アップル(クリック注意:刺激の強い写真が出ます
 http://www.mctv.ne.jp/~bigapple/
 長崎ジャーニィー(クリック注意:刺激の強い写真があります)
 http://www.exploratorium.edu/nagasaki/mainn.html
 アニメ ピカドン(クリック注意:刺激の強い画像があります)
 http://briefcase.yahoo.co.jp/p_i_c_a_d_o_n
 広島平和祈念資料館
 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
 平和博物館
 http://www.peace-museum.org/
 youtube「はだしのゲン」他
 http://www.youtube.com/watch?v=zJUksMX8qmc

 日本は核武装できるか(横井調査設計さんのHPより)
 http://www.geo-yokoi.co.jp/Seiron_Kokunai/KakuBuso.htm

Dome001_1 

 2005年10月11日の原爆ドームと大田川。
 あの日は周囲は焼け野原となり其処此処に死体が散らばり、
 川には膨らんだ死体がびっしりと浮かんでいた。
 原爆ドームは今、美しい川と緑に囲まれている・・・。

Ootagawa001

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2006年8月 5日 (土)

ツバメの巣の災難

 妹の会社の玄関の軒下にツバメが巣を作った。毎日ヒナの成長を楽しみにしたいたら、近所の悪ガキに巣を半分落とされてしまった。

 過去何度か悪ガキに巣を落とされ、しばらく寄り付かなかったツバメがようやく去年からまた営巣を始めたところだった。来年からまた来なくなると妹は嘆いていた。昨日友人とダンボールで巣を修復してみたらし。居場所の欠けた巣の中では、2羽の子ツバメが重なり合うようにしていたという。で、ダンボールで補強したら、ようやくほっとしたように羽を伸ばしたそうだ。あとは親鳥が普段どおりにエサを運んでくれるかどうかだ。それと、ヒナが羽を痛めていないことを祈るのみ。

 網を持った犯人らしきガキを捕まえて注意したら、平気で自分じゃないと言ったらしい。証拠もないので必要以上に追求も出来ないし親にも注意できないし、相当に歯がゆい思いをしたようだ。
 しかし、犯人は間違いなく故意で巣を落とそうとしたのだ。自分の家の軒下ならこっちがどうこういう権利はないが、他所の会社の軒下である。間違いなく不法侵入になる。それも住人はヒナの成長を毎日楽しみにしていたのだ。
 ツバメは愛護動物ではなく野生動物であるので、「鳥獣保護法」だと思うのだが、ツバメの巣を落とした場合はいったいどういう違反になるのだろうか。いずれにしろたいした罪にはならないだろう。
 しかし、親はいったいどういう育て方をしているのか。人に危害を加える「害獣」ならともかく、身近な野生動物である。人に営巣や子育てを間近に見せてくれる唯一ともいうべき野生動物であり、大切な「隣人」でなのだ。その巣を面白がって落とすとは何事だ。おそらく現行犯で捕まえて親に直接抗議したとしても、馬耳東風か、悪くすると逆恨みされかねない。
 月並みなことを書くが、なぜ、生命の尊さや自然を愛する心を教えないのか。
 どんなに親鳥が一所懸命巣をつくりエサを探し子どもを育てているか、巣を壊したらどういうことになるか、もし自分がツバメだったらどう思うか、きちんと教えれば子どもはちゃんと理解するだろう。少なくともやったことに対して罪悪感はいだくだろう。また、そのことによってやっていいことと悪いことも判断できるようになるだろう。

 誰かに怒られるからとか、逮捕されるからとかではなく、こうしたら誰が(何が)困るからとか、危ないからとか迷惑をかけるとか、自然が汚れるからとか、そして結果がどうなるかとか、そういうことを子どもの時からきちんと叩き込んでおくべきだと思う。犯人の子がそういう教育を受けていたら、あのツバメの巣だって落とされることも無かっただろう。
 最近のガキ共のひどい有様を見ると、とてもマトモに躾けているとは思えないのが多い。ゴミの出し方はめちゃくちゃだし、平気で道端にゴミを棄てるし、平気で万引きするし(万引きはいい加減に泥棒とか窃盗とかに言い換えるべきだと思う。同じ盗むことなのに「万引き」はあまりにも軽い言葉となってしまった)、所構わず座り込み、大声で話し、騒ぎ、人前で平気で化粧をする。
 もちろん、きちんとされている親御さんも多いのだが、それをDQN親がはるかに凌駕しているように思える。今、少子化が懸念されているが、DQNばっかりいくら増やしても害あって利なしだと思うけど。

 ツバメに話は戻るが、確かにツバメが営巣するとどうしてもフンが落ちてきて汚らしいし、客商売なら尚更困るだろう。だからやむを得ず巣を落とすことは仕方がないと思う。しかし、心ある店は、ちゃんと巣の下にフン除けを作り、出来るだけフン害を防ぐように掃除もマメに行っている。これから何か野鳥媒介の妙な伝染病が流行らない限り、これで充分だと思うのだ。
 昔はツバメが巣を作ると縁起が良いとしてありがたがったものである。こういう気持ちが自然との共存に繋がったのだろう。ツバメもスズメも人間とつかず離れずに生息する変わった野鳥だ。スズメなどは人がいなくなるとそこから姿を消すらしい。何故人のそばを選択したのかはわからないが、天敵が近寄りにくいからだともいう。

 せっかく人を安全と思い信頼(?)して共存してくれる彼らを、もっと大事にしたいものである。

 

◆関連記事◆

老舗ホテルがツバメの巣を落とす
http://hikaru.blogzine.jp/dress_you_up/2006/07/post_28bd.html

 このホテル、HPでは自然保護を謳っていたらしい。言うこととやることが違いすぎやで。

こんな親子もいるのにねえ。
ツバメの巣立ちに付き合った(ほのぼの)

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2006年8月 3日 (木)

デスノート:こんなLは嫌だ

 やっとデスノートの最終巻を読んだ。ライトの無様な最後が悲しかった。
 LMNチームのなかでニア(くるふわりんちゃん)はL・メロに比べていまいち好きなキャラではないが、Lの後をついでよくがんばったとおもう。「二人ならLに並べる。二人ならLを越せる」というセリフにはじんときた。ああ、でもLが回想でしか出てこないのは物足りない。まあ、死んだのだから当然だけど。小説ではなく、マンガでLの番外編が見たい。

 で、「こんなLはいやだ」というテーマでネタを考えてみました。

  • 実写版デスノートのLがキモカワイイ繋がりで、アンガールズの田中。
     
  • さらに実際Lのコスプレをさせたら思った以上に似合ってしまった。
     
  • でもしゃべったら台無し
    「だからさー、ライト君、君がこういっちゃうと僕だってこんな風に言いたくなっちゃうだろう?ちょっとちょっと、チェーンがこんがらがっちゃったじゃない、ちょ・ちょっと待ってよライト君、きーーーッ」
     
  • 超甘党ではなく超辛党のL。お菓子ではなく酒の肴ばかり食べている。好物は塩辛。大酒飲みでいつも酔っ払っている。さらにニンニクくさいので捜査本部では文字通り鼻つまみ者(・・・って、そんなLは本当にイヤだし)。
     
  • 世界的な探偵3人だけではなく、世界的な犯罪者3人もLで、世界的な犯罪は全部Lの自作自演。
     
  • 甘いものの食べすぎで名前の通り身体のサイズもL。
     
  • 目の下の黒いクマは、実は毎日マジックでワタリが描いている。
     
  • 健康的な浅黒い肌に憧れて日焼けサロンに行ったが、肌が赤くなっただけでがっかりするL。
    しかも、それがやけどになって病院通い。
     
  • 実は痔主だった。
     
  • 散髪に行ってぴっちり髪を七三に分け、目のクマもファンデで消してリーマンに変装したら、チームの誰にも、ライトにすら気付いてもらえなくていじけるL。
     
  • 実は虫が怖い。
     
  • 生まれ変わったら猫になりたいと本気で思っている。
     
  • 流れ星を見たら、つい願い事を七回言ってしまわなければいけないという強迫観念にかられている。
     
  • ひそかにミサミサのファン倶楽部に入っている。しかも会員番号が1。

 Lってほんっとに可愛いですね。

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花のお江戸は八百八百長八百比丘尼

 昨日のボクシングWBA世界ライトフライ級王座決定戦、亀田・ランダエタ戦での八百長疑惑が世間を騒がせているようだ。

 私は最初ちょっとだけ見たが、新春の筋肉番付かと見まごうような恥ずかしいまでの演出過剰にあきれ果て、見る気もしなくなった。あれではギャグである。あそこまでしてホントに八百長試合だったらTBSは終わりやね。ま、もともとボクシングのような格闘技は好きじゃないので見ないけど。

 実際に八百長が行われたかは知らないが、昨今のスポーツのショー化には辟易している。これがプロレスやK1のようなもともとショー化されたものならOKだが、なんでバレーボールの試合前にジャニタレが歌って踊るのか未だに理解できない。こういうのは日本だけなのか?
 オリンピックなども年々派手になっているような気がするが、あれはお祭りだから多少はいいかなと思うけど、長野冬季オリンピック開会式の時の某元フィギュア選手はトンデモなかったな。

 ま~~~、とりあえずニッポンは平和だということはわかった。

注:タイトルの「八百八百長八百比丘尼」は「はっぴゃくやおちょうやおびくに」と読みます。八百比丘尼は、人魚の肉を食べて800年生きたという尼さんです。 

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2006年8月 2日 (水)

新・アクセス解析と近況

 土曜日に「たら福」に行った時、有線で懐かしい歌謡曲がかかっていた。知っている曲がけっこう流れたが、曲は知っているのに歌手も曲名も覚えていないのが多く、ちょっとイライラした。だいたい私は歌謡曲は好きじゃないから出来るだけ情報は入れないようにしていたのに、音楽の干渉力恐るべし、である。
 そのなかでも、歌手も題名もわかった曲で研ナオコの「あばよ」が耳について、油断すると頼んでもいないのに頭の中で研ナオコのビブラートした歌声が延々リピートしてしまう。だいたい私はこういういじけた歌が大嫌いなのであるし、某カルト宗教の熱心な信者である歌手の歌なんかまっぴら御免なのだが、イヤだと思えば思うほどリピートしてしまう。どせなら、もっと景気の良い曲にすればいいのに、人間の脳みそというものは往々にしてままならないものである。

 話は変わるが、さっきアクセス解析を見てみたら、リニューアルされていた
 急に色々機能が増えて、ぱっと見ただけでは何がなんだかわからない。ゆっくり研究してみないと。でも、ひとつわかったことは、そんなにリピーターは多くないということ。9割がとこ一見さんのようだ。ガッカリだよ。でもまあ、リピーターが少ないと言うことは私の力量が不足していると言うことだし、ブログ自体が長文なわけで、読むのも大変だろうから(多めに見て)1割のリピーターさんに感謝し、大事にしなければならない。
 そういえば、天そばさんの名前を間違うという大ポカをやって以来、彼のコメントがピタリと止まってしまった。やっぱり良い気持ちはしないだろうしなあ。反省。実のところ、時々名前が混乱してしまうことがあるので、一種の病気かもしれない。(注:コメントが途切れたのは偶然で、私の思いすごしでした。安心しました。)

 明日は遠くから友人が来るので久々に有給を取った。いや、5月の大型連休のときに取ったので久々でもないか。休まないと2年経った分は消滅するからもったいないんだけど、なかなか休めない。

 なんか暑くて変な汗が出るなあ。なんか集中しないし・・・。今日は早く寝ることにしよう。って、すでにあまり早くないな(笑)。
 今日は内容がいまいちで申し訳ないです。

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Known Only Unto God

南の空の下(もと)で 彼は永久(とわ)に眠る
誰に愛されし若者 神のみぞ知る
安らかに眠れ 名無き少年よ
嘆く母の涙 想い遺し
嗚呼、風よ海よ 此処で永久に彼らを守れよ 

異国の空の下で息絶えし少年
その愛・引き裂かれた希望 誰が其(そ)を知る?
残されし少女は待ち焦がれる
永遠に届かぬその報せを
嗚呼、風よ海よ 此処で彼らを守れよ

Known Only Unto God
Known Only Unto God
Known Only Unto God
Known Only Unto God

(原詩:ザ・ストラングラーズ 意訳詩:黒木 燐 アルバム「Coup de Grace」より)

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2006年8月 1日 (火)

電車の窓の外に見えるモノ

 諸星大二郎の初期の短編に、こういうのがあった。主人公は通勤中に狭い車内で新聞を読む人が理解できなかった。しかし、ある日電車の窓外を見ていて不思議な恐ろしいモノを見てしまい、それ以来二度と窓外は見ず、自分も通勤中は新聞を読むようになる、というものだ。

 私も、なんで満員電車内で新聞を読むのかなと思う。本はなんぼ大きくてもそれなりのサイズだが、新聞のような大判の読み物はかさばるし非常に迷惑だ。時々端が頭などにあたったりするとキレそうになる。折りたたんで読んでいても、新しい場所を読むたびにいちいち畳み直しており、やはり迷惑だ。中にはこれ見よがしにスポーツ新聞のエロ記事を表に出して見せびらかすような大阿呆もいる。まあ、そーゆー視床下部しか発達していない痴れ者は無視するとして、普通の新聞読みは車内の化粧と同じで、もう少し早起きして読むか会社に着いてから読めばいいのにと思う。

 ところで、私は本を読んでない時は退屈なのでやはり窓の外を見て楽しんでいる。まあ、いつもの通勤電車なので、特に変わり映えするものではないが、季節による景色の微妙な変化を楽しんだり、今の時期からは稲が実るまで、田んぼに飛来する沢山の種類の鳥(特にサギ類)を見るのが楽しい。今日はコサギ・ダイサギ・アオサギ・アマサギ等特に沢山のサギがいた。
 少し前には、稲を植える前の田圃を耕すトラクターのあとを、コサギとアマサギがちょこちょことついて歩いており、とても可愛かった。耕した土から出てくるごちそうのご相伴にあずかっているのだろう。

 だが、時々、マンガにあったように実際に妙なものを見る事がある。
 河川敷の藪の絶対人の入れないような場所に、何故かカラフルな謎のパラソルが差してあったり、小型のは虫類(というよりコンピーみたく小型の恐竜っぽい)のような影が畑をうろついていたり、川面に妙な生物がいたり・・・。
 もちろん動いている電車から見たものだし、遠くで確認しにくかったりするから、見間違いという事は充分あり得る。っていうか、ほぼ見間違いであろう。それとも、私たちの知らない異世界の出入り口がどこかにあり、そこからたまに「何か」がやって来ているのだろうか。アンバランスゾーンは私たちのすぐそばで口をあけているのかもしれない・・・。

 なんてね。

 今からは田圃が青々と広がる季節なので、遠くにくねくねでもいないか探してみようかと思う。

 私は自動車免許を持ってないので、ずっと電車通勤をしている。しかし、その長い期間、幸いなことに、事故に遭遇してバケツあるいは黒いビニール袋と箸を持った駅員が走る姿は見たことがない。これは一生見ないで良いと思うが。
 例によって余談だが、この前恐い話の時に書いたTさんのもとJR職員のご主人が言っておられたらしいが、切断された首は本当に「座る」という。わかりやすく書くと、横に転がらず、首の切断面を下にして鎮座ましました、いわゆる晒し首の状態である。
 現役時代に反対路線の電車が人身事故を起こしたことがあったそうだ。ところが連絡が間に合わず危ういところで線路上の遺体を2度轢きするところだったらしい。しかし、線路上に妙なものが見えるので目をこらしてよく見たら、女性の生首がちょこんとこっちを向いている。驚いてブレーキを踏んで事なきを得たらしい。まあ、遺体にとっては「事なき」どころの状態ではなかったろうが。
 ほかに怪談めいた話では、トンネル内でぼんやり窓の外を見ていたら、見知らぬ男の顔が映っていたり、ババアが走ってついてきたり(これではもはや妖怪だが)というのがよくある。いずれもご辞退申し上げたいところだ。
 ほのぼの系では、私らが幼い頃、関門トンネルを列車で通る度に母が窓の外を指さして「あ、タコが張り付いとるよ。」と、よく言ったものである。今考えたらそんなことはありえない(あった場合はトンネルに海底まで亀裂が入っているということで、一大事である)のだが、子供の頃は本気で探したものだ。

 車窓から外の景色を見るのは楽しいものだ。
 しかし、時にこの世の境目あるいはこの世ならぬものすら垣間見てしまうことがある。それは走る電車と外界とのホンの僅かな時空のズレがもたらす歪のせいかもしれない。 

  

                 ・・・なんてね。

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