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2006年8月 9日 (水)

第61回原爆忌に思う(2)

 今日は、長崎の原爆忌だ。「長崎の鐘」の冒頭の「こよなく晴れた青空を、悲しと思う切なさよ」という歌詞そのものの晴天だった。そういえば一時期、永井博士の著書にハマって何冊か読んだことがある。
 投下時刻は11時2分なので、こっそりと設計部室を出て、廊下の窓際で黙祷する。遠くでサイレンの音がしたような気がした。久留米でもサイレンを鳴らすのか?

 この時の第一投下目標は小倉だったが、曇天だったため難を逃れた。日本中が曇っていたら、多分この原爆は海上投棄されていた。しかし、不幸にも原爆搭載機が長崎を飛行中に雲の切れ目が出来てしまい、結局プルトニウム型原爆「でぶっちょ(FAT MAN)」は長崎上空で炸裂した。長崎の地形上被害は半減したが、広島より強力な爆弾だった。
 原爆投下予定地には京都も入っていたらしい。原爆投下予定地は、投下の効果がわかるように、空襲を控えていたのだ。歴史的建造物があるから京都が攻撃されなかったというのはガセビアのようだ。100歩譲ってそれが本当だとしても、建物と人命を計りにかけるなんてふざけている。

 今日のNHKスペシャルは、原爆小頭症の方の記録だった(参考)。
 それによると、アメリカは原爆小頭症の記録を熱心に取っていたようである。そして記録だけとったら後は放りっぱなしだ。まさにモルモットの観察である。テレビ画面を見ながら、ちったぁ保障してやれよ!と怒鳴ってしまった。
 胎内被爆で小頭症というハンデを負って生まれた光石さんは、それでもひたすら健常者と同じように生きようとした。その生き方は、原子爆弾という化け物に必死で戦いを挑んでいるようだった。小頭症ゆえに知的障害を負っている彼の言葉は、年よりははるかに老けた感じはしたが、その障害をまったく感じさせないもので、むしろ哲学的ですらあった。平和公園の一本の苗木の話は、高尚な詩の朗読のようだった。
 彼は最後まで原爆症に苦しみながら、それでも崇高に生き、47歳の生涯を閉じた。彼の身体は本人の希望により解剖された。しかし、私にはそれが釈然としなかった。その記録はおそらくアメリカの手にも渡るだろう。アメリカに最後まで「有効利用」されたような感じがしていやだった。
 これから彼のような障害者に役立てるために?それはあるだろう。しかし、彼のような人間を「人為的に」作らないようにすることが先決だと思う。

 もし、脅しで原爆の威力をどうしても見せ付けたいだけなら、市民の頭上ではなく海上でも良かったはずだ。それでも死の灰や諸々の被害は出ただろうし海中の生物はかなりダメージを受けただろうが、あの現世地獄は出現しなかったはずだ。また、それだけで目的の終戦の短縮とソ連への牽制は充分に果たしたはずだ。やはりどうしても市街地に落として効果を見たかったのだろう。多分このチャンスを逃したら2度と無いということがわかっていたんだろう。実験感覚で2発も「新型」爆弾を落とされたことは釈然としないし腹立たしい。(こう書くと、731部隊は、とか言われそうだが、前にも書いたように、それらは別々に考えねばならない。それに731部隊の残党が裁かれずに、しかも高待遇で生き残ったのは、アメリカの腹積もりによる。)

 広島・長崎の原爆投下後、第2次世界大戦は早々に幕を閉じた。原爆は戦争の早期終結に結びついた(とされている)が、それは激しい核兵器開発の幕開けとなった。その間何度も核戦争への緊張が高まり、あわやという事態もあった。しかし、これまでの61年間は、なんとか実戦での核兵器使用は踏みとどまっている(ただし、実験でかなりの人が被害を受けている)。これからも核兵器を使うことなく、いずれは人類が核兵器を放棄する時がくることを願っている。

 人類は、そこまで馬鹿じゃない、と、思いたい。 

  第61回原爆忌に思う 
 

*****
[Photo] 世界中での米国・イスラエルへの抗議(P-navi info)
http://www.asyura2.com/0601/war83/msg/469.html

*****アーカイブ*****

「彼は生きた」
 ~小頭症被害者・47年の生涯~

<全国放送>
8月9日(水)総合 午後10:00~10:44
 原爆に冒された体で生まれ、障害に苦しみながら47年の短い人生を生き抜いた一人の被爆者がいます。
故・光石信幸さんは61年前、長崎に落とされた原爆を母の胎内で浴び、終戦の翌年に原爆小頭症を負って生まれました。知的障害と体の不自由。光石さんは自立を目指して中学卒業後に家を出、しかし、体の不調で仕事を転々とした末に、13年前、肉親に付き添われることなく孤独な生涯を閉じました。「死んだ方がましだと思ったことがある」「誰がこんな体にした」。生前に録音された光石さんの肉声は、その苦悩の歩みを物語ります。同じ被爆者として、光石さんを20年にわたって支えた被爆者団体の相談員・横山照子さん(64)は今、光石さんの人生史を書き進めています。きっかけは去年の春、被爆者の知人が語ったひと言でした。「原爆小頭症って何?」。光石さんのように人知れずひっそりと人生を終えた小頭症被爆者は少なくありません。現在存命の小頭症被爆者は、全国に20人余りとなっています。横山さんは光石さんの人生を通して、社会の片隅に追いやられた小頭症被爆者の苦しみを伝えようとしています。
番組では横山さんの取り組みを追い、薄れ行く原爆の影を描いていきます。 

         

Kakitoku長崎原爆被災者協議会事務所が保管する
光石信幸さんの肖像画

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コメント

京都は一番目の原爆投下目標で次いで広島、小倉、新潟
だったらしいですね。京都が目標から外れたのは、一人
の軍人さんが猛反対したからで、京都を破壊することに
より、日本人がアメリカに対し敵対心を強め、終戦後に
共産国側に付くことを恐れた・・、なんて記事を読んだ
ことがあります。なるほど・・。

投稿: wanwanmaru | 2006年8月11日 (金) 19:27

wanwanmaruさん

アメリカにとっての日本の戦略的価値は、アジア大陸に向けた丁度よい前線基地あるいは砦みたいなものだったのではないでしょうか。来る米ソ対立、そしてでかい中国という国がいずれは最強のライバルとなることを見越して、どうしても手に入れたい国だったんじゃないかという気がしてなりません。だから、彼らにとって歴史的建造物も日本国民もどうでもよかったんだと思います。
でなければ、戦争とはいえどうしてあのように無慈悲に焼き払うことができるでしょうか。東京大空襲なども、非戦闘員がほとんどだった都民を皆殺しにしようとしたとしか思えません。ついでに原爆実験もしちゃえとかね。
天皇制を残したことも戦略的によいと思ったからで、まあ、その読みは当たってましたが、そうでなければ昭和天皇は死刑で天皇家もお取り潰し、コイズミは今頃大統領だったわけですね。
まあ、私は今の両陛下のファンだから、天皇制が残ってよかったとは思いますが(笑)。

投稿: 黒木 燐 | 2006年8月12日 (土) 11:28

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» 長崎市長の怒り。 そして日本、米国に核軍縮・平和への努力を望む [日本がアブナイ!]
 8月9日は、長崎に原爆が投下された日である。    世界で最初に原爆が投下されたのが6日の広島だったためか、長崎のことはやや軽視され がちになってしまうところがあるように思うが<長崎出身の知人もよくそう言っていた>。 改めて、犠牲者の方々に哀悼の念を表すと共に、平和と軍縮を願いたいと思う。  本日(9日)行なわれた平和祈念式典では、伊藤一長市長は平和宣言で、「人間はいったい 何をしているのか」という出だしに始まって、核軍縮が進まない現状への怒りをあらわにし、 世界の国々や科学... [続きを読む]

受信: 2006年8月10日 (木) 10:17

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