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2006年4月22日 (土)

懐かしい郷の海岸

 私が山口出身で、郷里が関門海峡のすぐ近くだということは以前書いたと思う。今は多分全面遊泳禁止ではないかと思うが、私の子供の頃は年によって泳ぐことが出来た。どういう基準で遊泳禁止が解除されていたのかは知らないが、よくあんなところで許可がおりたと思う。

 海流は早いし、一部を除いては岩だらけだし、石油タンクが近くにあるので何となく石油臭かった。取れた魚もかすかに石油臭かった(妹の魚嫌いは多分そのせいだと思う)。だから、私にとっての磯のニオイの記憶は少し石油臭が混ざっている。
 余談だが第2次世界大戦時に米軍によって莫大な量の機雷が撒かれ、未だに全部回収されていないそうだ。昔、祖母が爆弾は風で全部海に落ちてここら辺は無事だったんよ、と話していたが、どうやらそれは機雷だったようだ。それはそうと、下関自体はかなり空襲を受けたらしい

 実家の近くには二つの浜があった。正式名称ではないと思うが、近い方の海岸を鉄道浜、かなり歩かなければいけないほうを海軍浜と呼んでいた。
 鉄道浜のほうは小さくてほとんど岩だらけだったが磯遊びには最適だった。潮が引くとあちこちに潮溜まりが出来て、小さい生き物たちの宝庫となった。時間を忘れてびちゃびちゃになるまで遊んだ。
 海軍浜のほうは、子どもの足にはけっこう距離があった。果たして今行ったらどれくらいかかるだろうか。もう数十年そこまで足を運んでない。海軍浜に行く途中は狭い山道があって(山というほどではなかったが)途中に防空壕の名残があった。時々犬の死骸やら気味の悪いものがあって、絶対そこには近寄らなかった。ソコニハイッタラコワイモノガイルンダ・・・。戦後20年余り。まだまだ戦争の痕が残っていた時代だった。
 海軍浜のほうは、鉄道浜とちがって小さいながら砂浜があった。それで、時々海岸の掃除が徹底した年だけ遊泳が許された(逆かもしれないが)。

 カナヅチの私と違って陸で走るより泳ぎの方が得意な父は、遊泳禁止の時でも泳いでいた。本当かウソかしらないが、若いころは対岸の門司まで泳いでいったことがあるそうである。まあ、距離的には日本の大きい川の下流に毛が生えたくらいの海峡幅なのでありえない話ではないと思うが、海流や船舶の通航量からして危険度は相当高いと思う。で、禁止なのに泳いで大丈夫なのかと不安で訊くと、泳いどるんやない、潜っとるんやという答えが返ってきた。さすがに子供の私もそれが詭弁だとわかったが、笑いながら、そっか~もぐっとるんやね、と答えておいた。
 実際父はもぐってウニやらサザエやら海女さん顔負けで採ってきて、ウニはその場でカチ割って海水で洗って食べさせてくれた。いつぞやと違っておなかを壊したことはなかったので、それなりに海水はきれいだったんだろう。父は海に潜らない時はたいてい釣りをしていた。
 ある日祖母にいわれて夕方父を呼びに行ったときだった。もうすぐしたら帰るからといわれ待っていると、父のうわぁという声が聞こえた。びっくりして見ると、なんと父がバカでかい魚を釣り上げていた。種類はわからないが、大物のブリくらいのサイズはあったと思われる。父の陰でよく見えなかったが青魚っぽかった。やはりブリだったのかもしれない。しかし、釣竿がその獲物のサイズと見合わなかったのと、あまりの重さにあと少しのところで父は釣り上げ逃した。網を持ってたら釣り上げに成功したかも知れない。帰って祖母にそのことを伝えたら、逃した魚は大きいから、といわれた。まったく信じてなかったようだ。

 海岸で遊ぶ時や、泳いでいる時に気をつけねばならないことがあった。それは大型の船が通った後発生する「大波」だ。多分津波と発生が似ているようなので、プチ津波だと思っていいのかもしれない。
 大型船が通った後の軌跡で出来た波が、一本の線状の白波を伴いながら海岸めがけて走ってくるのだ。ひどいときには2便3便と波が襲ってきた。泳いでいた時に一度この波に巻き込まれて、浮き輪をしていたにも関わらず海中に引きずり込まれ、溺れ死ぬかと思った。クロールのように手で波をかいて逃れようとしたが、右手でかいてもゴボゴボゴボ、左手でかいてもゴボゴボゴボとなって一向に海面に顔が出ないのだ。お花畑が見える寸前、なんとか立ち上がることができた。
 海岸で夢中で遊んでいる時は、それに気がつかないことも多々あった。父が「おい、大波が来るぞ!」と教えてくれたことも少なからずあった。それにも関わらず、頭っから波をかぶることもあった。私たちが面白がって波をかぶるかどうか微妙なところに立っていたからだ。これはなかなかスリルがあった。しかし、今思えば、よく波にさらわれなかったものである。

 海軍浜の思い出で、ひとつだけ悲しかったことがある。どういう経緯だったか忘れたが、ある日曜従姉弟一家とピクニックへ行くことになった。母がお弁当を持たせてくれた。当時はもちろんコンビニなんてなかったので、お弁当といえば手製である。
 お昼になっていざ食べようとしたら、手が滑ってお弁当を砂の上にひっくり返し台無しにしてしまった。呆然としている私に叔母が、ウチもいっぱい作ってきたけぇ、食べりぃね、と言ってくれた。まあ、その状態で私だけ飢えさせる訳にもいかなかっただろうが、もともと遠慮のない私はありがたくいただいた。
 ところが、家に帰って母に正直にそのことを言ったら、お母さんの弁当が食べたくないけんひっくりかえしたんやろ、と、ひがまれてしまった。そんなことをする筈ないやろ、と言いたかったが、こっちにも一所懸命作ってくれたものを台無しにした手前、何も言えなくなってしまった。もともと思ったことを言える性格ではなかった。書くほうなら大概のことはかけるのに、不思議なものだ。

 もうひとつ、特筆すべき話がある。妹と鉄道浜のほうへ散歩に行ったときのことだ。岸壁近くに立って二人で海を眺めていたところ、いきなり海中から船が出現した。潜水艦だった。海底が浅く危険だったので浮上してきたのだろう。唖然としている2人を尻目に、それはすぐにいなくなってしまったが、あれは一体なんだったのだろう。まさかどっかの国の工作船じゃああるまいな。二人とも見ているし、覚えているので夢だったとは考えにくい。
 これは悩むより生むが易しということで、ググってみたら思い切り該当ブログがあった。写真まで載っている。すごい!(このブログのTOP
 ただ、私らが見たのは昔だったので、これよりもかなりボロかったと思う。しかし、あんな浅い海でも潜水艦って通るんですねえ。

 こういう風に思い出を綴っていたら、海軍浜にまた行ってみたくなった。鉄道浜は最近も行ったことはあるが、それでもかなり面変わりをしている。海岸にたくさんあった石油タンクもすべて撤去されたらしく、あっちの方は相当変わっている筈だ。あの怖い防空壕もなくなっているだろう。突き当たりにある酒屋はコンビニになっているかもしれない。近いうちに行ってみたいと思う。早めに祖母のお見舞いに行ってからね。

 

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コメント

こんにちは。
先日は私のブログにお越しいただき、ありがとうございました。
関門海峡はほんとうに幅が狭いため、すぐ間近で船が見れるので
海峡散歩がお気に入りです。(^^)

航行中の潜水艦を間近で見れるのも、関門海峡ならではだと思い
ます。

私は門司側に住んでいたので、ほとんど岸壁になっていて、海で
遊んだ経験はないのですが、岸壁から船を眺めることは良くして
いました。また中学生になると釣りをし、この年になって写真を
撮ってと、なかなか海峡から卒業できないです・・。(^^)

それから・・、ストラングラーズがお好きなんでしょうか?
私も学生時代に良く聞いてました。非常にクレイジーな人たち
ですが、音楽は計算された素晴らしいものだと思っています。
特にBlack&WhiteのBlackSideの各曲は、暴力的だと表現され
ますが、私は特にこのあたりが好きで、Do You Wannaあたりに
なるともう鳥肌が立って・・。あとEnough Time の終わり方も
とても独特で面白いですよね。

ジャンルとして、パンクに分類されているようですが、私は
少し違うんじゃないかと思っています。

また、ウチにあるThe Ravenのレコードジャケットは、カラスの
写真が立体写真になっているのが自慢です。
たしかこれは初回限定だと聞いた記憶があります。

長々と書いてしまいましたが、またちょくちょく寄らせて頂き
ますので、よろしくお願いします。

投稿: wanwanmaru | 2006年4月23日 (日) 17:22

wanwanmaruさん、

コメントどうもありがとうございます。
wanwanmaruさんの記事のおかげで、子どもの頃、ひょっとして見てはいけないものを見たのでは、という不安がなくなりました(爆)。
関門海峡はほんっと狭いので、その刷り込みのせいか、旅行などで船に乗って大海に出たりすると、不安になったりします(笑)。
でも、ほんっと船を間近で見れてお得ですよね。
門司の方は下関側から見ても、ほとんど岸壁なのがわかります。
父や弟は未だに釣り三昧ですよ。私は子供のころ子供用の竿を買ってもらって父の釣りに付き合ったりしてましたが、大人になってからはさっぱりです。でもまあ、無人島に流れ着いた時とか困らなくていいかも。
実は私、ストラングラーズのインフォやってるんです。このブログの「音楽関連リンク集」にストラ関連のサイトがリンクされてますので、こちらのほうもよろしくお願いいたします。ここによくコメントを下さる「イタリアの奥さん」もストラファンですよ。

私もwanwanmaruさんのブログに遊びに行きますので、こちらこそよろしくお願いします。

投稿: 黒木 燐 | 2006年4月24日 (月) 02:43

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