懐かしい下関風お好み焼き
私はお好み焼きとかたこ焼きとかいう、水で溶いた小麦粉の生地を焼いてソースをつけた類のものが好きだ。しかし、それらにマヨネーズをかけて食べることは許せない。何でも同じような味にしてしまうその神経が判らない。だからといってマヨネーズが嫌いなわけではない。時折マヨネーズしょうゆで食べる温野菜とか大好きである。
余談だが、ストラングラーズのJJ・バーネルはマヨネーズべったりが好物らしい。
しかし、何故そんなにソースモノが好きになったのだろう。それは子供時代の記憶によるものだった。
お好み焼き・たこ焼きとくればイカ焼きであるが、私が子どもの頃、下関大丸は別の場所にあり屋上が小さい遊園地になっていた。たしか観覧車があったと思う。そこに喫茶軽食コーナーがあり、ソフトクリームやらなんやら売っていた。何やらと書いたのは手抜きではなく、ある一つの食べ物しか印象にないからだ。その食べ物が「イカ焼き」だった。イカ焼きと言っても縁日で売っているような、イカ本体を焼いてタレを付けたものではなく、大阪名物の方だ。ただし、検索先を見てみると、どうやらネギや卵が入っているみたいだし、以前福岡で2箇所ほどのお店で買ったものはその上キャベツなんぞも入っていたが、大丸の屋上で売っていたものは、そんなに具は入ってなかったように記憶している。まあ敗戦の後遺症が残り、まだ裕福とはいえなかったころの話なので、具も貧弱だったのかもしれない。小麦粉の生地を薄く丸く伸ばしてイカの切り身を入れ、焼いて特製ソースをかけたものを、油紙で包んで渡されるだけの単純な食べ物だったような気がする。イカ焼き機でプレスしていたような記憶もない。しかし、それがとても美味しかったのだった。このイカ焼きがお好み焼きのルーツなのか、お好み焼きから派生したのがイカ焼きなのか私にはわからないが。
家のすぐ近所も近所、歩いて数秒のところに「M」という駄菓子屋があった。近くのよしみでたまに当りくじを引かせてくれたりした。そこには狭いながらもカウンターがあり、夏になるとかき氷、季節を問わずうどんを食べることができた。そして、歩いて1・2分のところに「T」という駄菓子屋があった。そこにも小さい店ながら鉄板付のカウンターがあり、お好み焼きやら焼きうどんやらを食べることが出来た。
この故郷の駄菓子屋関連の話は次の機会にすることとして、今回のテーマである「T」のお好み焼きの話をしよう。
ここのお好み焼きと焼きうどんは大好きだった。焼きそばもあったような気がするが、焼きうどん派だった私にはその記憶がない。
下関のお好み焼きは、広島が近いせいか広島風お好み焼きに似ていた。
参考がてら「T」の作り方を書いてみよう。まず熱した鉄板に油を入れ、大根や人参のヘタ部分を再利用した油引きで伸ばす(これは「T」独特だったかも)。そして小麦粉を溶いた特製生地を流し丸く伸ばして、魚粉をパラパラとまぶす。その上にキャベツともやしを沢山載せ、しばらく焼くとその上にまた軽く生地をかけてから裏返す(卵を入れる時はこの時にいれる)。ヘラで押さえながら余分な水分を飛ばし、焼けた頃にまた裏返しソースを塗る。こぼれたソースが鉄板でジュッと焼けて、おいしそうな香りが攻撃してくる。そして半分に折ってからまたソースを塗り、その二つ折りのまま碁盤目にヘラで切れ目を入れてからお皿に載せて客に渡す。野菜だけのお好み焼きが、たしか25円だったと思う。肉なんて高級なものは入ってなかったが、これが実に美味かったのだ。それ以外に入れたい具があった場合は客が好きなものを持ってきてOKだった。ウチは時々だが卵を持参していた。卵はその店にもあったのだが、家から持っていったほうが安上がりだったからだ。それでも嫌な顔をされなかったのは時代がのどかだったからだろう。
一度、母からお好み焼きを2枚買って来てといわれ、50円玉を握りしめて行ったのだが、あの短い距離の間にいつの間にかお金を落としてしまった。気がついて探し回ったのだが、どこにもない。怒られる!と思ってなかなか家に帰れなかったのを覚えている。しかしよっぽど情けない顔をしていたのだろう、大笑いされて新たに50円もらって再度お使いに行った。たかだか50円と笑うなかれ。当時葉書用の切手が5円だった時代である。
それから数年後、「T」より少し手前に「F」という食堂が出来て、そこのメニューにもお好み焼きがあった。しかし。私はそこのはあまり好きではなかった。出来上がりがなんかじっとりとしていたからだ。店が違うとこんなに味が変わるのかとびっくりした。母は何故か「F」の方が好きだったようだが、後で何故特に「F」のお好み焼きが好きじゃない原因がわかった。具の野菜にしこたまネギが入っていたからだ。それも太ネギである。
作り方に関しては、下関の繁華街にあった、祖母の親戚のお好み焼き屋も同じようだったから、きっとあれは下関風お好み焼きだったんだろうと思う。
しかし、小6の時に父の仕事の関係で福岡に転勤になり、春休みと盆正月あたりしか帰郷しなくなってしまった。おまけに中学生になってから、そういう駄菓子屋とは疎遠となってしまった。そんなこんなで時が経ち、「M」も「T」もいつの間にか無くなってしまった。「F」もしばらくやっていたようだが今は影も形も無くなっている。下関自体がだんだんと景気から遠のき、故郷の町もこんなに小さかったのかというくらいこぢんまりしてしまった。かつて1000人の児童を抱えていた小学校は、今は新入生が10人に満たないという。その割りに宅地が増え、こぎれいな家が並んでいたりする。多分定年退職した人が他所から戻ってきて、余生を故郷で送ろうとしているのだろう。
そして、今下関にあるお好み焼き屋は、ほとんどが関西風になってしまった。関西風なら客が自分で焼きやすいからというのもあるだろう。あの下関独特のお好み焼きは絶滅してしまったのだろうか。
いつか機会があれば、下関でお好み焼きの看板を出している店をはしごして、昔風の作り方を守っているところを探してみたいと思っている。
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コメント
そう、昔は駄菓子屋でお好み焼きとかやってましたよね。
私の近くでは、小さなカップに小麦粉溶かし、その中にソースまたは醤油で味付けてあるんですよ。
それを鉄板で焼いて食べるんです。
「おべった」なんて名前でした。
家から適当に具を持ち込むのもOKでした。
話わ変わり、池袋で「広島風お好み焼き」の店に入ったんですよ。
すると店員が全員中国人だったんですね。
私が「広島風なのにやってるのが中国人て変じゃねーか」と言ったんですね。
同行していた今の妻ですが「あんたもアホだね、広島は何地方だか知ってるの」
「えーと、中国地方かな」
「そう、中国地方、だから中国人がやってて正解なんだよ」
「な~るほど」
納得しちゃいました。
投稿: TK | 2006年4月30日 (日) 12:15
機会があったら吉塚商店街の一銭洋食を食うてみて下さい
投稿: yasu | 2006年5月 1日 (月) 00:10
TKさん、
「おべった」ですか。
なんか「おたべ」のアナグラムみたいな名前ですがw、生地にソースがすでに入っているってのは、もんじゃとお好み焼きの中間みたいなものでしょうか。おいしそうですね。
中国人だらけの広島風お好み焼き屋も不思議ですが、その不思議時空で、
>「あんたもアホだね、広島は何地方だか知ってるの」
>えーと、中国地方かな」
>「そう、中国地方、だから中国人がやってて正解なんだよ」
>「な~るほど」
ってなべたべたな夫婦漫才が出来る余裕がステキです。
投稿: 黒木 燐 | 2006年5月 1日 (月) 09:36
Yasu君、
一銭洋食ですね。
吉塚まではなかなか行く機会がないですが、友人がいるので、こんど遊びに行った時にでも連れて行ってもらいましょう。
投稿: 黒木 燐 | 2006年5月 1日 (月) 10:01
こちら門司でもお好み焼きといえば、キャベツとモヤシと天カス
の入った、半分に折りたたんだやつが主流でした。
野菜焼き30円、卵入り50円、肉・卵入り80円だったと記憶して
います。ここには中学を卒業するまで食べに行ってましたが、
今はもうありません。その後、この手のお好み焼きを作るお店
は見たことがありません。
作り方が簡単なので、家で作ったりしますが、当時が懐かしく
思い出されます。
あと駄菓子屋と言えばおでんでしたね。とても安かったので、
時々夜ご飯のおかずとして買いに行かされてました。(^^)
投稿: wanwanmaru | 2006年5月 1日 (月) 22:36
wanwanmaruさん、
門司のほうもそうでしたか。やはり近いだけありますね。でもひょっとしたら、広島のお好み焼きももともとそういうものだったのかも競れませんね。
そして、やはり絶滅してしまったんですね。
以前北九州の土木事務所にお使いに行ったとき、近所にお好み焼き屋があったので、ひょっとしたらと入ってみたら、やはり大阪風だったのでがっかりしたことがあります。
おじちゃんやおばちゃんが、鉄板でじゅうじゅう焼いてソースかけて、ぽんと半分に畳んでとんとんとんと切れ目を入れたお好み焼きはなつかしいです。
私もよく自分で焼いてみますが、なかなか同じような味になりません。記憶で味が美化されているのかな(笑)。
あいにくうちの近所では、おでんは売ってなかったように思います。
おでんといったらやっぱチビ太ですね!
投稿: 黒木 燐 | 2006年5月 3日 (水) 08:55
検索サイトから偶然これを見つけました。
私も下関のお好み焼きのこと覚えていますよ。
下関風って件ですが、10年位前にTVで偶然同じようなお好み焼きを見たのですよ。
どうやら「名古屋風」らしいです。
あまり繋がりがなさそうな名古屋ですが、なぜかお好み焼きでは繋がってたんですね。
あと、焼きそば、というより、下関の場合は焼きチャンポンでしたね。
ソース味が忘れられません。
今も下関在住ですが、もうあのお好み焼きは見当たりません・・・。
探せばあるのかなあ・・。
投稿: とらの | 2008年7月 5日 (土) 13:14
とらのさん、いらっしゃいませ。
名古屋風に近縁だったんですか。思ってもないつながりですね。名古屋の人が、最初に下関にお好み焼き店を出したのかもしれませんね。
焼きそば、焼きチャンポンでしたか。焼きそばはあまり覚えてないのです。何故なら、焼きうどんの方が好きだったからです。
>今も下関在住ですが、もうあのお好み焼きは見当たりません・・・。
>探せばあるのかなあ・・。
下関在住の弟に聞いても、見当たらないと言ってました。昔風のお好み焼き屋をやってた方がみんな引退してしまったんでしょうね。残念ですが。
自分で作ってみますが、やっぱりああいう風には出来ませんね。
投稿: 黒木 燐 | 2008年7月 6日 (日) 10:17
今日偶然、うちの旦那の作る広島風お好み焼きが
晩ご飯でした。
確かに、昭和40年代前半までは結構田舎でも
お好み焼き屋さんがありましたね。
私の実家は一応関西圏の端くれなので、大阪風お好み焼きでしたが・・・
のろけではないですが、旦那が鉄工所に頼んで
重さ30kgの鉄板を作ってもらったので、それで焼いてもらうと、おいしいです。
投稿: MM21 | 2008年7月 6日 (日) 23:01
MM21さん
ゴチソウサマ(by JJ)
じゃない、厚い鉄板で焼いた広島風は格別に美味しいでしょうねえ。ウラヤマシス。
私もたまに広島風にトライします。フライパンを2つ駆使しながら四苦八苦で作りますが、出来栄えはいまいちです。
投稿: 黒木 燐 | 2008年7月 8日 (火) 00:31