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2006年4月29日 (土)

懐かしい下関風お好み焼き

 私はお好み焼きとかたこ焼きとかいう、水で溶いた小麦粉の生地を焼いてソースをつけた類のものが好きだ。しかし、それらにマヨネーズをかけて食べることは許せない。何でも同じような味にしてしまうその神経が判らない。だからといってマヨネーズが嫌いなわけではない。時折マヨネーズしょうゆで食べる温野菜とか大好きである。
 余談だが、ストラングラーズのJJ・バーネルはマヨネーズべったりが好物らしい。

 しかし、何故そんなにソースモノが好きになったのだろう。それは子供時代の記憶によるものだった。

 お好み焼き・たこ焼きとくればイカ焼きであるが、私が子どもの頃、下関大丸は別の場所にあり屋上が小さい遊園地になっていた。たしか観覧車があったと思う。そこに喫茶軽食コーナーがあり、ソフトクリームやらなんやら売っていた。何やらと書いたのは手抜きではなく、ある一つの食べ物しか印象にないからだ。その食べ物が「イカ焼き」だった。イカ焼きと言っても縁日で売っているような、イカ本体を焼いてタレを付けたものではなく、大阪名物の方だ。ただし、検索先を見てみると、どうやらネギや卵が入っているみたいだし、以前福岡で2箇所ほどのお店で買ったものはその上キャベツなんぞも入っていたが、大丸の屋上で売っていたものは、そんなに具は入ってなかったように記憶している。まあ敗戦の後遺症が残り、まだ裕福とはいえなかったころの話なので、具も貧弱だったのかもしれない。小麦粉の生地を薄く丸く伸ばしてイカの切り身を入れ、焼いて特製ソースをかけたものを、油紙で包んで渡されるだけの単純な食べ物だったような気がする。イカ焼き機でプレスしていたような記憶もない。しかし、それがとても美味しかったのだった。このイカ焼きがお好み焼きのルーツなのか、お好み焼きから派生したのがイカ焼きなのか私にはわからないが。

 家のすぐ近所も近所、歩いて数秒のところに「M」という駄菓子屋があった。近くのよしみでたまに当りくじを引かせてくれたりした。そこには狭いながらもカウンターがあり、夏になるとかき氷、季節を問わずうどんを食べることができた。そして、歩いて1・2分のところに「T」という駄菓子屋があった。そこにも小さい店ながら鉄板付のカウンターがあり、お好み焼きやら焼きうどんやらを食べることが出来た。
 この故郷の駄菓子屋関連の話は次の機会にすることとして、今回のテーマである「T」のお好み焼きの話をしよう。
 ここのお好み焼きと焼きうどんは大好きだった。焼きそばもあったような気がするが、焼きうどん派だった私にはその記憶がない。

 下関のお好み焼きは、広島が近いせいか広島風お好み焼きに似ていた。
 参考がてら「T」の作り方を書いてみよう。まず熱した鉄板に油を入れ、大根や人参のヘタ部分を再利用した油引きで伸ばす(これは「T」独特だったかも)。そして小麦粉を溶いた特製生地を流し丸く伸ばして、魚粉をパラパラとまぶす。その上にキャベツともやしを沢山載せ、しばらく焼くとその上にまた軽く生地をかけてから裏返す(卵を入れる時はこの時にいれる)。ヘラで押さえながら余分な水分を飛ばし、焼けた頃にまた裏返しソースを塗る。こぼれたソースが鉄板でジュッと焼けて、おいしそうな香りが攻撃してくる。そして半分に折ってからまたソースを塗り、その二つ折りのまま碁盤目にヘラで切れ目を入れてからお皿に載せて客に渡す。野菜だけのお好み焼きが、たしか25円だったと思う。肉なんて高級なものは入ってなかったが、これが実に美味かったのだ。それ以外に入れたい具があった場合は客が好きなものを持ってきてOKだった。ウチは時々だが卵を持参していた。卵はその店にもあったのだが、家から持っていったほうが安上がりだったからだ。それでも嫌な顔をされなかったのは時代がのどかだったからだろう。
 一度、母からお好み焼きを2枚買って来てといわれ、50円玉を握りしめて行ったのだが、あの短い距離の間にいつの間にかお金を落としてしまった。気がついて探し回ったのだが、どこにもない。怒られる!と思ってなかなか家に帰れなかったのを覚えている。しかしよっぽど情けない顔をしていたのだろう、大笑いされて新たに50円もらって再度お使いに行った。たかだか50円と笑うなかれ。当時葉書用の切手が5円だった時代である。
 それから数年後、「T」より少し手前に「F」という食堂が出来て、そこのメニューにもお好み焼きがあった。しかし。私はそこのはあまり好きではなかった。出来上がりがなんかじっとりとしていたからだ。店が違うとこんなに味が変わるのかとびっくりした。母は何故か「F」の方が好きだったようだが、後で何故特に「F」のお好み焼きが好きじゃない原因がわかった。具の野菜にしこたまネギが入っていたからだ。それも太ネギである。
 作り方に関しては、下関の繁華街にあった、祖母の親戚のお好み焼き屋も同じようだったから、きっとあれは下関風お好み焼きだったんだろうと思う。

 しかし、小6の時に父の仕事の関係で福岡に転勤になり、春休みと盆正月あたりしか帰郷しなくなってしまった。おまけに中学生になってから、そういう駄菓子屋とは疎遠となってしまった。そんなこんなで時が経ち、「M」も「T」もいつの間にか無くなってしまった。「F」もしばらくやっていたようだが今は影も形も無くなっている。下関自体がだんだんと景気から遠のき、故郷の町もこんなに小さかったのかというくらいこぢんまりしてしまった。かつて1000人の児童を抱えていた小学校は、今は新入生が10人に満たないという。その割りに宅地が増え、こぎれいな家が並んでいたりする。多分定年退職した人が他所から戻ってきて、余生を故郷で送ろうとしているのだろう。
 そして、今下関にあるお好み焼き屋は、ほとんどが関西風になってしまった。関西風なら客が自分で焼きやすいからというのもあるだろう。あの下関独特のお好み焼きは絶滅してしまったのだろうか。

 いつか機会があれば、下関でお好み焼きの看板を出している店をはしごして、昔風の作り方を守っているところを探してみたいと思っている。

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2006年4月26日 (水)

チワワの災難

リンク: @nifty:NEWS@nifty:犬に何の責任もないが…チワワ値下がり中、人気に陰り(読売新聞).

Kutyan 怖れていたことがおこりそうだ。ペットブームは常にこんなことがおこるから怖い。動機はどうあれ愛情を持って最後まで面倒を見る人ばかりならいいが、そういう連中に限って動物をブランド品としか見ていなかったりするからイヤなんだ。

 チワワという種類の犬は不自然なまでに小型化されたもので、かなり弱っちくて飼いにくい犬種らしい。犬の先祖がオオカミだということを考えたら、如何に不自然な改良かわかるだろう。チワワの目があのようにでかいのも、眼球だけは小型化しにくいからだ。大型犬も小型犬も眼球の大きさにあまり違いはない。

 人気があって大量にブリーディングされた動物の人気が急落し、大量に売れ残った場合、彼等の末路は悲惨なものになる。また、ブランド感覚で飼うような飼い主はいとも簡単に動物を捨てる。チワワのような弱い動物の場合、野良で生きることは不可能に近い。なにせ体温調節すらままならないのだから。

 私は、CMにつられて高利貸しサラ金から金を借りて自滅するような輩にはあまり同情しないが、自分らのアコギな所業を目隠しをするために、見た目の可愛いさしかない脆弱な動物をCMに使い続けたアイフルには憤りを感じる。

 犬が飼いたい人はペットショップで買う場合、しっかりとしたショップで買って欲しい。動物たちがちゃんと清潔なゲージで飼われているか、健康管理はちゃんとしてあるか、照明は明るすぎないか、音楽はうるさくないか、ローンで無理矢理買わせようとしないかetc.
 だが、もし、本当に犬が好きで飼いたいなら、ペットショップではなく、是非近くの保健所から引き取って飼って欲しいとおもう。
 トリビアの種の雑種犬シリーズで、「主人が拉致された時後を追いかけてくる犬は」 というテーマで、一所懸命車を追いかけてきた数少ない犬の中の1匹は、今の飼い主に救われたという犬だった。

 動物はモノではない。飼う限りは責任を持って彼等の息絶えるその日まで、家族の一員として大事して欲しい。 

     Dear,こげんたhttp://www.tolahouse.com/sos/

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2006年4月22日 (土)

懐かしい郷の海岸

 私が山口出身で、郷里が関門海峡のすぐ近くだということは以前書いたと思う。今は多分全面遊泳禁止ではないかと思うが、私の子供の頃は年によって泳ぐことが出来た。どういう基準で遊泳禁止が解除されていたのかは知らないが、よくあんなところで許可がおりたと思う。

 海流は早いし、一部を除いては岩だらけだし、石油タンクが近くにあるので何となく石油臭かった。取れた魚もかすかに石油臭かった(妹の魚嫌いは多分そのせいだと思う)。だから、私にとっての磯のニオイの記憶は少し石油臭が混ざっている。
 余談だが第2次世界大戦時に米軍によって莫大な量の機雷が撒かれ、未だに全部回収されていないそうだ。昔、祖母が爆弾は風で全部海に落ちてここら辺は無事だったんよ、と話していたが、どうやらそれは機雷だったようだ。それはそうと、下関自体はかなり空襲を受けたらしい

 実家の近くには二つの浜があった。正式名称ではないと思うが、近い方の海岸を鉄道浜、かなり歩かなければいけないほうを海軍浜と呼んでいた。
 鉄道浜のほうは小さくてほとんど岩だらけだったが磯遊びには最適だった。潮が引くとあちこちに潮溜まりが出来て、小さい生き物たちの宝庫となった。時間を忘れてびちゃびちゃになるまで遊んだ。
 海軍浜のほうは、子どもの足にはけっこう距離があった。果たして今行ったらどれくらいかかるだろうか。もう数十年そこまで足を運んでない。海軍浜に行く途中は狭い山道があって(山というほどではなかったが)途中に防空壕の名残があった。時々犬の死骸やら気味の悪いものがあって、絶対そこには近寄らなかった。ソコニハイッタラコワイモノガイルンダ・・・。戦後20年余り。まだまだ戦争の痕が残っていた時代だった。
 海軍浜のほうは、鉄道浜とちがって小さいながら砂浜があった。それで、時々海岸の掃除が徹底した年だけ遊泳が許された(逆かもしれないが)。

 カナヅチの私と違って陸で走るより泳ぎの方が得意な父は、遊泳禁止の時でも泳いでいた。本当かウソかしらないが、若いころは対岸の門司まで泳いでいったことがあるそうである。まあ、距離的には日本の大きい川の下流に毛が生えたくらいの海峡幅なのでありえない話ではないと思うが、海流や船舶の通航量からして危険度は相当高いと思う。で、禁止なのに泳いで大丈夫なのかと不安で訊くと、泳いどるんやない、潜っとるんやという答えが返ってきた。さすがに子供の私もそれが詭弁だとわかったが、笑いながら、そっか~もぐっとるんやね、と答えておいた。
 実際父はもぐってウニやらサザエやら海女さん顔負けで採ってきて、ウニはその場でカチ割って海水で洗って食べさせてくれた。いつぞやと違っておなかを壊したことはなかったので、それなりに海水はきれいだったんだろう。父は海に潜らない時はたいてい釣りをしていた。
 ある日祖母にいわれて夕方父を呼びに行ったときだった。もうすぐしたら帰るからといわれ待っていると、父のうわぁという声が聞こえた。びっくりして見ると、なんと父がバカでかい魚を釣り上げていた。種類はわからないが、大物のブリくらいのサイズはあったと思われる。父の陰でよく見えなかったが青魚っぽかった。やはりブリだったのかもしれない。しかし、釣竿がその獲物のサイズと見合わなかったのと、あまりの重さにあと少しのところで父は釣り上げ逃した。網を持ってたら釣り上げに成功したかも知れない。帰って祖母にそのことを伝えたら、逃した魚は大きいから、といわれた。まったく信じてなかったようだ。

 海岸で遊ぶ時や、泳いでいる時に気をつけねばならないことがあった。それは大型の船が通った後発生する「大波」だ。多分津波と発生が似ているようなので、プチ津波だと思っていいのかもしれない。
 大型船が通った後の軌跡で出来た波が、一本の線状の白波を伴いながら海岸めがけて走ってくるのだ。ひどいときには2便3便と波が襲ってきた。泳いでいた時に一度この波に巻き込まれて、浮き輪をしていたにも関わらず海中に引きずり込まれ、溺れ死ぬかと思った。クロールのように手で波をかいて逃れようとしたが、右手でかいてもゴボゴボゴボ、左手でかいてもゴボゴボゴボとなって一向に海面に顔が出ないのだ。お花畑が見える寸前、なんとか立ち上がることができた。
 海岸で夢中で遊んでいる時は、それに気がつかないことも多々あった。父が「おい、大波が来るぞ!」と教えてくれたことも少なからずあった。それにも関わらず、頭っから波をかぶることもあった。私たちが面白がって波をかぶるかどうか微妙なところに立っていたからだ。これはなかなかスリルがあった。しかし、今思えば、よく波にさらわれなかったものである。

 海軍浜の思い出で、ひとつだけ悲しかったことがある。どういう経緯だったか忘れたが、ある日曜従姉弟一家とピクニックへ行くことになった。母がお弁当を持たせてくれた。当時はもちろんコンビニなんてなかったので、お弁当といえば手製である。
 お昼になっていざ食べようとしたら、手が滑ってお弁当を砂の上にひっくり返し台無しにしてしまった。呆然としている私に叔母が、ウチもいっぱい作ってきたけぇ、食べりぃね、と言ってくれた。まあ、その状態で私だけ飢えさせる訳にもいかなかっただろうが、もともと遠慮のない私はありがたくいただいた。
 ところが、家に帰って母に正直にそのことを言ったら、お母さんの弁当が食べたくないけんひっくりかえしたんやろ、と、ひがまれてしまった。そんなことをする筈ないやろ、と言いたかったが、こっちにも一所懸命作ってくれたものを台無しにした手前、何も言えなくなってしまった。もともと思ったことを言える性格ではなかった。書くほうなら大概のことはかけるのに、不思議なものだ。

 もうひとつ、特筆すべき話がある。妹と鉄道浜のほうへ散歩に行ったときのことだ。岸壁近くに立って二人で海を眺めていたところ、いきなり海中から船が出現した。潜水艦だった。海底が浅く危険だったので浮上してきたのだろう。唖然としている2人を尻目に、それはすぐにいなくなってしまったが、あれは一体なんだったのだろう。まさかどっかの国の工作船じゃああるまいな。二人とも見ているし、覚えているので夢だったとは考えにくい。
 これは悩むより生むが易しということで、ググってみたら思い切り該当ブログがあった。写真まで載っている。すごい!(このブログのTOP
 ただ、私らが見たのは昔だったので、これよりもかなりボロかったと思う。しかし、あんな浅い海でも潜水艦って通るんですねえ。

 こういう風に思い出を綴っていたら、海軍浜にまた行ってみたくなった。鉄道浜は最近も行ったことはあるが、それでもかなり面変わりをしている。海岸にたくさんあった石油タンクもすべて撤去されたらしく、あっちの方は相当変わっている筈だ。あの怖い防空壕もなくなっているだろう。突き当たりにある酒屋はコンビニになっているかもしれない。近いうちに行ってみたいと思う。早めに祖母のお見舞いに行ってからね。

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ハートに火がつくぜ!チェンジマン!

 Changemen電撃戦隊チェンジマン」が、東映特撮アニメアーカイブスから配信されるぞ。嬉しいな(ニフティ会員はココからどぞ!)。 
 これはスーパー戦隊シリーズでも大好きな作品で、唯一私がほぼ全話見たという作品だ。チェンジドラゴン疾風翔役のスーパー戦隊中イケメンNo.1河合宏君がカコイイ・・・から見ていたわけではなく、設定が子供向け特撮にしてはかなり出来が良かったのだ。多分スタッフの趣味全開で製作されたんだろう。ヒーローたちはそう変わらないと思うが、悪役組織:宇宙帝国「大星団ゴズマ」がすごい。名前もすごいが。まず戦闘兵のヒドラー兵の造形がイイ。まあ、あんなのが集団で襲ってきても気持ち悪くてウザイだけで、大して役に立ってなさそうではあったが。また星王バズーの部下たちだが、すべてバズーに侵略されてしまった星の人たちで、家族を人質にとられてやむなくとか、操られているとかいった完全悪ではないことがだんだん判ってきて、単に勧善懲悪ドラマではない内容になっている。因みに副官シーマという女性は、操られている間は男の声になっている。最初はオカマちゃんかと思った(なんせ同時期に放映されていた宇宙刑事シャイダーの悪役神官ポーは、男性俳優が女性役をやっていたもので)。最終話近くで副官ブーバとチェンジドラゴンが夕日を背景に一騎打ちをするところなんかもうカッコよすぎて・・・。さすが東映!(因みにブーバの造形はプレデターのクリーチャーのモデルになったといわれている)それから、ギルーク司令官に代わって後半から登場したネコミミ司令官、女王アハメス様はなんと黒田福美だ(実はキツネミミ)。その他お笑い担当ナビ星のゲーター(彼の妻子の名前がまた・・・)や、再生・巨大化させる専門でそれ以外は存在感しかないギョダーイとか。
 ただ、正義方のチェンジロボの造形はいただけない(「宇宙刑事シャイダー」のバビロンよりマシだが)。ダサいなんてもんじゃない。私はチェンジ福禄寿と呼んでいたくらいだ。
 なおこの作品の前作にあたる「超電子バイオマン」あたりから戦隊メンバー5人のうち2人が女性となってなんか雰囲気がよくなっている(これは後のシリーズで1人にもどったりまた2人になったりしているようだ)。
 おかげでチェンジペガサス、大空遊馬君がおミソになってしまったが(男女ペアになってしまったわけでなく、飛竜と翔・さやかと麻衣が親友状態になった)。

 興味をもたれた方は是非無料サンプルを見て、まずカッコイイ主題歌にシビれて下さい。

 話題は変わって近況報告です。
 会社の方は進展なし。このままゴリ押しされる可能性大です。なんかヤだな。
 それから、ここ数日、急にトラックバックスパムが増えている。見つけ次第即時削除しているが、どういうことでっしゃろうなぁ。確か、以前スパム対策強化のためのメンテをやってたと思うのですが、その後却って増えるなんてねえ。スパム業者もあんなもんで引っかかるヤツがいると思ってるんだろうか・・・いるんだろうねえ、やっぱ・・・。女性がタダでンなもん公開するわっきゃないだろう。ましてやお金なんかくれるわけないじゃん。共謀罪よりあーゆーのを完全に取り締まってくれる法を作って欲しい。堅気に迷惑だっつーの。

 なんかねぇ、左上腹部の鈍痛が治まらないのだ。IBS(過敏性腸症候群)のせいだと思ってたけど、違うような気がして来た。あまり治らなかったら病院に行ったほうがいいかな。でも膝の関節も痛いし、目もかすんできてるし、もちろん前述したみたいに歯科も行かねばならない。う~ん、だんだんこうしてあっちこっち悪くなっていくんだろうなあ。運動不足も著しい。プールが近所にあったらいいんだけどな~。いきいき情報センターに出来たらいいのにって、ムリムリ。

 最近商店街のあちこちにに「SAMURAI BLUE 2006」って書いた青い旗が大量に下がっているが、何かと思ったらコレだったのね。サッカーに疎いので判らなかったわ。でもなんで五条商店街が?地元出身の選手でも出るのかな。そういえば築陽学園出身のサッカー選手がいたな。

 晴れたり雨だったり暑かったり急にまた寒くなったり、もーいい加減どっちかにしろよぉ、ってな天気が続いている。「女心と秋の空」っていうけれど、やはり春の天気の方が数倍気まぐれですねぇ。

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2006年4月20日 (木)

歯科2題「歯科で拷問」「歯科医院の居抜き」

ごぞんじ「きっこの日記」に歯医者の不正請求や脱税の話が2日連続で掲載された。
 ■マスコミが報道できないニュース  
 ■同じ穴のムジナたち
長いので後でゆっくり読んでください。ますます歯医者に行きたくなくなりますが。 

 それで思い出したのだが・・・と言っても歯医者の脱税の話ではない。高校生の頃治療に行った歯科でエライ目にあってしまったことだ。

 私は歯並びがすごく良い。隙間なく綺麗に並んでいる。しかし、母方の祖母を30代で総入れ歯にした、母ゆずりの強悪なミュータンス菌のせいか、しょっちゅう虫歯になっていた。もちろん歯の磨き方も悪かったのだが、隙間の無い歯には当時の歯ブラシでは磨きに限界があった。その上私は子どもの頃からネギが大嫌いで、良く前歯でネギをこして味噌汁とかうどんとか食べていた。そのツケは後でしっかり払う羽目になるが、さらに悪いことに私は笑ったとき前歯がほとんど見えない。上唇がめくりあがらないのだ。だからうっかり笑って写真に写ると、歯抜けのように写りマヌケな顔に撮れてしまう。そのため、前歯が汚れやすい状態だった。世の中には上唇がめくれ上がって歯茎の付け根まで見える人がいるが、私にはそれが大変うらやましい。沢口ビオランテ靖子のように歯茎が見えても下品に見えない人はもっとうらやましい。
 そんなことが重なって、私の上の前歯2本と歯茎との境目に溝のようなモノが出来てしまった。最初それが虫歯とは思わなかった。そんな妙なところに虫歯が出来るとは思えなかった。もちろん原因はネギをヒゲクジラの如く前歯でこしていたためである。
 ところで、昔の歯医者は予約制ではなく、順番待ちで半日近く費やすことも希ではなかった。そのため、それでなくてもイヤな歯医者に行く足が余計に遠のいて、ますます虫歯を悪化させることも常だった。

 で、私が高校の頃、近所に予約制の歯科が出来た。前歯の虫歯がかなり悪化していた私は、やっと重い腰を上げその歯科に行くことにした。もちろん、そこで地獄の責め苦が待っていようとは思ってもいなかった。

 治療台に座ると、担当医は女医だった。もちろん偏見はないが、何故か嫌な予感がした。レントゲンを撮ったかどうかは覚えてないが、いきなり歯を削り始めた。麻酔もかけずに。
 その痛みは想像を絶した。もともと虫歯で神経が露出しかかったところにドリル攻撃である。痛みが脳天にまで響く。まるで拷問である。しかし、もしこれが拷問ならとにかくなんでも白状して楽になることも出来るが、これはあくまでも歯の治療である。何故麻酔をしないのかわからなかったが、私はそういう治療だろうと必死で痛みをこらえていた。痛くて涙がポロポロ出た。激痛の場合勝手に涙が出るのはマンガ的表現ではなく、事実だったんだと納得した。歯を食いしばって痛みに耐えるとかいうが、歯の治療中だと歯も食いしばれない。代わりに握り締めた両拳がじっとりと汗ばんでいる。早く終われと必死に祈っていると、女医は私に向かって感心して言った。

「よくガマンしますねえ。」

コラこのクソアマ、痛いの判ってんじゃねぇか!! ふざけんじゃねぇよ!! 貴様ドSか!?

もちろん、これは心の叫びである。 

もっとも医者になるヤツなんて多少はサドっ気があるものだろうが、これはひどすぎる。てめぇが麻酔もかけずに歯の神経をガリガリやってんだろうが!

 結局最後まで麻酔なしで治療を終えた。だが大変なのはそれからだった。虫歯はエナメル質を破壊し神経まで到達していた。本来なら神経を抜くところだ。しかし、神経を抜いた歯はもろくなり折れやすくなる。入れ歯道まっしぐらなわけだ。それを心配して、神経を取らずに治療をしたらしいが、削った分は埋めてあるものの、それは熱を遮断できる材質ではなかった。当然熱いものや冷たいものが沁みまくった。特に冷たいものが沁みた。それ以来冷たいものを飲むときはストローなしでは飲めなくなった。大好きなスイカもかぶりつけなくなった。アイスも器用に前歯をよけて食べないとひどい目にあった。
 とうとう業を煮やして、大学の時に学校の近くの歯科に行き、神経を取ってもらい、やっとストロー抜きの生活が帰ってきた。
 その約10年後、思わぬところで前歯が折れ、大変な恥をかいたことは、また別のお話。因みにその歯科医院、今では麻酔をかけまくりだという。

 みんな、虫歯は放っておかないで早めに治療しないとダメだぞ!

 それから時代は下って、数件の歯科を渡り歩いた末に、天神の某所でよい歯科を見つけた。DイエーSッパーズ7階のK歯科である(ここですでに某所ではなくなっているような気がするが)。受付の人の感じもよいし、時間も夜7時まで開いている。土曜日も夕方5時までやっている。最近こそそういう歯科は増えたが、私がそこに通いだした頃は珍しかったのだ。そこの歯科医院とはかなり長い付き合いとなった。顔も声もすっかり覚えられてしまった。前の会社が倒産した後もはるばる太宰府から通っていた。
 しかし、今の職場になってから、歯の治療もとりあえず終わり、しばらくそこへは行かなくなった。しかしある日、奥歯に穴が開いている感じがしたので、予約して久々にその歯科に行った。ところが受付に行くとなんか病院の雰囲気が違う。内装も妙にピンクっぽい色合いになっている。受付の人も若くてかわいい女性が並んでいる。いままで私の担当だった女医のF先生もいなくなっていた。同じ女医でもF先生はすごくよい先生だったのに。代わりになんかカルそうな若い兄ちゃんの先生が担当となった。彼は過去のカルテやレントゲン写真を診ながら、新しく撮ったレントゲン写真と比べてみた。
 そして、彼は私の虫歯を見つけられなかった。自分の舌で触ったらあんなにしっかりと穴が開いているのに。
 病院の内装や雰囲気の違いといい、診断結果といい、狐につままれたような感じだったが、とりあえずお金を払って歯科医院を出た。その時私はやっとその歯科医院の名前が今までと違うことに気がついた。

 病院替わってるじゃ~~ん!

 そういえば、知らない歯科医院から開業の葉書が来ていたなあ。てっきり誰かが独立して開業をしたのかと思ったくらいで、ほとんど内容も見ずに捨ててしまった。それってこの病院のお知らせだったんだ!
 でもカルテも写真も残っていたぞ。だから若干雰囲気とか違っていても病院が変わってるだなんて疑いもしなかったのだ。

 ひょっとして・・・・・
   歯科医院の居抜き??

 病院でもそんなことあるんだ。顧客もカルテもそのまんま引継ぎ。おいしすぎるぞ。

 しかし、K歯科に一体なにがあったのか?そしてF先生他、そこに勤めていた人たちはどこへ行ったのだ?謎を大量に残してK歯科はなくなってしまった。どなたかご存知の方がおられましたら、コメント欄に情報を書いてくださると嬉しいです。

 それ以来、そこの歯科医院には行っていない・・・。

 そういえば今週の「ブラックホスピタル」は、虫歯が原因の恐ろしい病気を紹介していた。タイムリーだ。私もそろそろ歯科を開拓して治療に行かねばならない状態なのだが、未だによい歯科は見つかっていない。早く行かないと大変なことになってしまうかもしれない。

 みんな、くれぐれも歯は大事にしようね!

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2006年4月19日 (水)

お知らせ:迷い猫、その他

■迷い猫捜索協力■

 ◆ strawberry bomb 666 ◆ (管理人さちさん)さんのところに載ってました。
 私も去年シャズがいなくなって悲しい思いをしたので他人事ではありません。それで、微力ながらここに掲載して協力することにしました。

以下コピペ

Momiji【もみじを探しています。 】
ネコをさがしています!
4月6日に、
東京から福岡に車で帰る途中の
高速のパーキングエリアでネコとはぐれてしまい、
今も心配で少しでも多くの情報を集めています。

場所は
「静岡県掛川市・東名高速・小笠PA」
そこから少し離れたところにある、
「掛川東高校」
のところまで走って行ったのを最後に見失ってしまいました。

 体長・35~40cmくらい。
 黒茶のトラ模様(黒が多い)。
 お腹と右前足は白い色をしています。
 メス、2歳。ポッチャリめ。

もしはずれていなければ黄色のチェックの首輪(スズ付)とリードをつけています。
とても人なつこい性格です。

とても心配です。
地元の人間ではないので 、
何もできないのが悔しい気持ちでいっぱいです。
掛川市付近の地域の方が見てくださいましたら、
もしそれらしいネコを見た、リードを見つけたなど、
些細なことでもいいので
何か気づいたことがあれば、 教えてください。

よろしくお願いします。 

******

 もし、掛川市付近で心当たりのある方はここ(さちさんのブログの当該記事)にコメント欄にご報告ください。

 ■その他のお知らせ。

  • ブログ関係のリンクを「おすすめブログ」リンク集にまとめました。
  • 懐かしいCMソングにエメロンシャンプー追加
  • 昨日一瞬記事が上がってすぐ消えましたが、それは書きかけを間違ってUPしてしまったためソッコーで削除したためです。お騒がせしました。

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2006年4月15日 (土)

羽化したけど飛べないアゲハチョウ

 ウチの庭にアゲハがいる。どうやら飛べないらしい。
 羽化時になんらかのトラブルがあって翅を傷めたのか、せっかく羽化したのに気温が激下がりしたせいで弱っているのか、原因はわからない。元気はまだあるようだが、翅をバタつかせるだけで飛び立つ気配は無い。せっかく羽化までこぎつけたのに、自然界は非情で残酷である。

 ●アゲハの生存率
 ぷてろんワールドよりチョウの一生(下方参照)

 繁殖はもう無理かも知れないけど、せっかくキレイに羽化したのだからその姿だけでもみんなに見てもらおうね。

Agaha001s_3 Agaha002s_3

Agaha003s_1 Agaha004s_1    

写真をクリックすると拡大します。鱗翅目(チョウ目)が苦手な人は気をつけてね。

【4月17日追記】
 昨日天気が良かったので、母が軒下の「避難所」から日向の方に出してやったら、いなくなっていた・・・、と思ったら、下の方でよろよろしていた。夜暗くて雨が降っても避難させられなかった時もあるので、そのせいで翅の鱗粉が落ちて心なしかみすぼらしくなっていた。
 どうしようかと思ったが、よくアゲハの幼虫がついているヘンルーダのところまで連れて行った。風が強いので気にはなったが、結局死ぬなら万に一のチャンスでもいいからかけてみようとおもったのだ。しかし、しばらくして様子を見に行くと、今度は本当にいなくなっていた。飛べる状態ではなかったので、風に飛ばされたか、鳥に食べられたか・・・。可哀想だったがしかたがない。これが生態系なんだから。それに家で保護しても執念深いシャズの餌食になるばかりなので、自然に任すしかなかったのだ。
 しかし、雨のおかげで命を長らえ、晴れた途端に命を絶たれるとは皮肉なことだった。

 この1週間ひょっとしたら飛び立つのではと奇跡を願ったが、残念な結果に終わってしまった。しかし、草に必死で捕まって生きようとした彼(彼女)の姿は一生忘れないだろう。

昆虫ブログさん掲載されました。
 お勧めブログですよ。

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2006年4月14日 (金)

栃木リンチ殺人事件 司法が警察の職務怠慢を認定

捜査怠慢、殺人と因果関係を認定…栃木リンチ事件(読売新聞) 4月12日

■参考■
殺された青年のご両親が立ち上げたサイト
この事件の詳細も載っている「クソガキどもを糾弾するHP

 この「女子高生コンクリ殺人事件(上記クソガキサイト参照)」にも匹敵する非道い事件の恐ろしいところは、警察が犯人達の味方をしてしまったことである。頼みの綱の警察が全く役にたたなかったどころか障害にすらなったケースでは「桶川女子大生ストーカー殺人事件」が有名だが(この時警察が流した被害者への中傷を未だに信じている人がおり、被害者の名誉は回復されていない)、この事件においては、主犯の父親が警察関係者だったこともあり、警察はこの事件に消極的に対応、結果最悪な結末を迎えてしまった。もし警察が本格的に動いていたら、正和君は2ヶ月間もの地獄を味わうこともなく保護された筈だ。亡くなった被害者やご遺族には口惜しいではすまない事件である。もちろん、犯人達が一番悪い。鬼畜の所業である。出来ることなら同じ目にあって欲しいと思う。しかし、もっとはやく被害者が保護されていたら、彼等も鬼畜に成り果てずにすんだかもしれない。もっとも主犯の男は遅かれ早かれ重大な事件を起こした可能性は高いが。

 しかし、この事件は他人事ではない。私たちもいつ自分や身内が事件に巻き込まれるかわからない。もし、その時警察が全くアテにならなかったら、ましてや敵に回ってしまったら、私たちはいったいどうしたらいいのか。いったいそういう時に警察以外何を頼ればいいのか。警官が正義の味方から単なるサラリーマンに成り下がってしまった。「頼もしいおまわりさん」は絶滅してしまったのか。
 2度とこのような悲しい結末の事件が起こらないように、警察関係者は改めて襟を正して欲しい。自分がその立場になった時、しっかりと被害者を救うことが出来るように。

 改めて正和さんのご冥福をお祈りいたします。

■関連ブログ■
  世に倦む日日 栃木リンチ殺人事件
  らんきーブログ 警察にもセカンドオピニオン(ここには書かなかった日産とのつながりにも触れています。)

■アーカイブ■
 栃木県上三川(かみのかわ)町の会社員須藤正和さん(当時19歳)が1999年12月、少年グループにリンチを受けた末に殺害された事件を巡り、遺族が県警の捜査の不手際などを問題として、国家賠償法に基づいて県などに約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、宇都宮地裁であった。
 柴田秀裁判長は「被害者の生命、身体に対する危険が切迫していることは認識できた」として、捜査の怠慢を認めた上、「警察官が警察権を行使しなかったことにより殺害行為を防止できなかった」と、殺人事件との因果関係も認め、県と元少年2人に計1億1270万円(県の賠償限度額は9633万円)の支払いを命じた。
 殺人事件を巡り、警察に不適切な対応があったとして賠償を命じた判決としては、埼玉県桶川市の女子大生殺人事件や兵庫県太子町のストーカー殺人事件の例があるが、警察の対応と殺害との因果関係を認めたのは、神戸商船大(現・神戸大)大学院生殺害事件の訴訟に次いで2件目。
 正和さんは99年9月末から約2か月、当時19歳の少年3人に連れ回され、12月2日、絞殺された。正和さんの両親は同年10月以降、石橋署(現・下野署)に、「事件に巻き込まれ、監禁されたのではないか」と再三にわたり捜査を要請したが、同署は取り合わなかった。
 両親は2001年4月、県と少年3人(1人は和解)、その親を相手取って提訴。裁判では、正和さんが殺害される可能性が客観的に存在したか、県警がその危険性を予見して回避できたか――などが主な争点となった。
 判決では、正和さんがリンチで受けたやけどは、放置されれば死に至る可能性が大きかったとして、「被害者に重大な危害が加えられる恐れが存在し続けていたことは明らか」と指摘。
 さらに99年11月1日に石橋署が、正和さんの同僚2人から事情聴取したことなどを挙げて、「石橋署は遅くとも11月1日には、被害者に対する危険が切迫していることを認識していたか、仮にしていなくても十分認識できたと認められる」と判断した。
 その上で、「11月1日に捜査を開始していれば、捜査照会を行い、(被害者の父親が)送金したお金を引き出す銀行に張り込んだり、銀行に協力を依頼したりして、被害者を確保し、生命を救い得た」として、結果回避の可能性を認定した。
 判決について、県警の込山晴康首席監察官は「大変厳しい判決だ。今後は判決内容を検討して、対応していきたい。改めて亡くなられた被害者のご冥福(めいふく)をお祈りします」と話した。

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2006年4月13日 (木)

またまた先の読めない依存男が自宅に放火

「定職就かず小言を言われ」夫婦死亡火事で逮捕の二男http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060413i402.htm

夏輝:記事、転載しなくてもこれだけで内容がわかるなあ。
美羽:うわぁ・・・。
燐:以前27歳のニートが母親からフィギュア買ってもらえなかったのを逆恨みした放火があったけど。あれは母親が留守で無事だったんだよね。
美:最初7歳かと思ったら27歳であきれたわ。ダダをこねていいのは10歳までよね~。父親に学校に行けと怒られた中2男子が家に放火して生後2ヶ月の異母妹を焼死させた痛ましい事件もあったわね。
夏:中坊とはいえ普通そんなことで放火しますかねえ、と思ってたら今度は49歳住所不定ですよ。殺された両親は78歳と77歳。
美:ほんとなら楽隠居している筈の歳よねえ。気の毒に。
夏:家を燃やして両親まで殺しちゃったら後どうなるかってこと考えなかったんですかねえ。
燐:働きたくないから小うるさい両親殺して、3食付の別荘にでも行きたかったんじゃないの?
夏:う~ん、でもあそこって朝早いし夜の消灯時間も早いし昼間はそれなりに労働しなきゃいけないし懲罰だから賃金は安いし入浴も毎日じゃない上に監視付きで分刻みだし食事もわがままいえないしネットも出来ないし、ナマケモノヒッキーにはかなりつらい環境だと思いますけど。
美:ずいぶん詳しいわね。
夏:入ったことはないですけどね(笑)。
燐:健康になれていいんじゃないの?どうせ運動不足で太ってたんだろ(←憶測)。
夏:だけど、自分の親とはいえ二人も、それも身勝手極まりない理由で焼殺してるから、死刑までいかなくても無期くらいは食らうんじゃないですか?ただでさえ放火は重罪なんだから。江戸時代ならそれだけで極刑ですよ。
燐:やはり終身刑がないのが悔やまれるな。
美:こういう人って出てからの方が大変じゃない?
燐:そうねえ、模範囚で思ったより早く出所できたとして、また事件起こして捕まるんじゃない?下関駅燃やしたじいさんみたいに。
美:ホント馬鹿よね。小言くらい聞き流しとけばこの先も楽に暮らせたのにね。こういう馬鹿に限ってプライドだけは富士山よりも高いから、根に持った挙げ句に火をつけちゃうんのよ。
燐:なんだよ、ちゃうんのよってのは(笑)。二男ってことは兄がいるんだよね。でも多分面倒は見ちゃくれないだろうね。放火だけならまだしも殺意を持って両親殺してるんだから、普通なら縁を切るね。
夏:これらの事件はさすがに極端な例だけど、今の日本人ってこらえ性がありませんよねえ。
燐:欲しいものを買うのに簡単に金を借りるしね。それも町金に。あんな高い利子払いたくねぇよ。
夏:なんで電車に乗っている数十分の間くらい、携帯電話を扱うのがガマンできないのかと(笑)。
燐:わたしゃケイタイのせいで人間が熟考しなくなったんじゃないかとすら思うけどね。なんかなし暇になったらケイタイ見てるかかけてるだろ?私は持ってないから本読んでるか、そうでない時は人間ウォッチングとか考え事とかしてるから。
美:妄想の間違いでしょ。燐ちゃん見てるとだからって考え深くなるとは思えないけど。たまに妙なアイデアは思いついてるみたいだけど。
燐:そうそう、テロを仕掛ける時はここが・・・って何を言わせる。このブログが公安からマークされたらどうするんだ。でもまあ、私もやっぱケイタイ持ったらみんなと同じような行動をとると思うんだ。パソコンじゃしょっちゅうメールチェックしてるもんね。それが嫌で携帯電話を拒否してるところもある。
夏:黒木の言うことは一理あると思いますよ。未だに公共の場で大声で電話している輩を良く見かけますからねえ。モラルハザードもいいとこだ。
美:この先も似たような放火事件が続くみたいな気がする。ニート放火の連鎖。
夏:単にそう思うだけかもしれないけど、似たような事件って続きますよね。
美:いやだね~。
夏:ほんと、いやだね~。
燐:君たちは風藤松原か?
美:結局お笑いネタオチね(笑)。

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2006年4月12日 (水)

日テレ地震シミュレーションドラマ

報道特別ドラマスペシャル
生と死を分けた理由・・・”アース・クエイク”平成18年春・東京大震災

 どうでもいいが、どこまでが煽りでどこがタイトルかよくわからないからとりあえず全部書いた。

 これは先週の月曜日夜放映されたドラマなので、放映から1週間以上経って書いていることになる。ただし私は録画していたものを日曜日に見たので、まだ見たばっかりな気がする。

 このドラマは、東京都の出した東京大地震の被害想定と、都市直下型地震であった阪神・淡路大震災や関東大震災の記録等を資料にして、出来るだけリアルにシミュレートして作られたドラマらしい。詳しくは上記の日テレのサイトを参照してもらうとして、ここでは私の感想を主に書きたいと思う。

 地震発生時のシミュレートは大迫力だった。日テレ局内の揺れはおそらく「がちょ~~~~ん」式で、それに加えて室内のものを倒しまくったという感じだった。しかし、アナウンサーの西尾由佳理が自宅で被災するシーンは本当の地震シミュレートの室内で撮影したそうで、マジで死ぬかと思ったそうだ。あと車や列車が地震で事故るシーンや、被災後(というよりゴジラの暴れた後みたいだったが)の都内の俯瞰図などはさすがにCGだった。まあテレビの2時間ドラマにしてはいい出来だったのではないだろうか。

 人間ドラマについては、そこまで重みは感じられなかったし、一部学芸会風味であったが、このドラマはあくまでシミュレーションが主体なので多くは望んでいはならないだろう。そのなかで関東大震災経験者役の長門裕之がベテランらしい飄々とした演技をしていた。しかし、このじいさん、未曾有の震災を体験している割に、地震にパニックにならなかったな。まあ、その後空襲も経験してるだろうし、さすが昔の人は強いということか。あと、何故か若槻千夏が看護婦役で出ていた。あびるが自滅していちばん特をしたのはこの子かもしれない。まあ、嫌いじゃないからいいけど。
 ついでに言うと、このドラマの主要登場人物の中では、だれも身内に死者や負傷者が出なかったのはさすがに不自然だと思った。それに対して、エレベーターに閉じ込められたケースで、トイレについて言及していたのには感心した。そう、閉じ込められた場合、いちばん困るのは排泄についてだ。妹と話したのだが、エレベーターの底とかに収納場所を作って、紙の簡易トイレを備蓄していたらどうだろう。

 しかし、偶然の多いドラマでもあった。宮城県沖震源の震度6弱の地震(これもけっこうな規模の地震だ)の後に東京大地震がおきる。たまたま関東大震災の被災者が出る番組があった。たまたま母子で風呂に入っていたから無傷で助かった。
 う~む。まあ、風呂場とかトイレとかの狭い空間は、わりと頑丈なので避難には適しているとは思う。子どもの頃に学研かなんかの地震特集で「地震がありました。広子さんは10畳の部屋へ、くさお君はトイレに逃げ込みました。さてどちらが安全でしょう。」というクイズがあった。もちろん答はくさお君だが、これも昔ながらのぼっとんトイレだと、さらに悲劇が倍増しかねない状況を招く可能性はあるので気をつけよう。あと竹やぶなんかも地下茎が張り巡らされているのでいいらしい。ただし斜面の場合は地滑りを起こす可能性があるから、やめておいたほうがいい。下手すると竹に串刺しだ。いずれにしろ、震度6以上の地震に関しては、生存条件に運がかなり左右するだろう。
 最初の宮城沖地震については、実験中の『緊急地震速報システム』とやらの紹介に必要であり、関東大震災被災者は、当時の地震と今回の地震をかぶらせるために必要であり、構成上やむなしかもしれない。しかし、震度6弱といえば、去年の福岡西方沖地震の(玄海島を除く)最大震度である(玄海島は震度7)。福岡は潰滅しなかったが、場所によってはかなりの死傷者が出るはずだ。それがスルーされてシステムの紹介だけに終わるのはいただけない。最もその1時間半後(!)に東京大地震がおきるのだが。

 それより気になったのは、地震雲(ほら来た!と笑わない)を前兆現象と受け取られかねないような構成がしてあったことだ。登場人物に「これはまだ因果関係がはっきりしていない」と言わせて逃げ道を作っているが、あれでは地震雲が地震予知のデフォルトと思われてもしかたがないと思う。私は地震雲に関しては全く否定するわけではないが、そんな見た人次第でどうとでも取れるようなものではなく、もっと宏観現象として有効な事象があるだろう。せっかく同局放映の「特命リサーチ200X」でもいろいろ検証したんだから(たいしたことはしてなかったw)。ひょっとして、近いうちに地震雲を特集した特番でも放映するのではないかと勘ぐってしまうぞ(笑)。
 あと、地震前に都市を覆う不気味な雲と空の異常発光もなんだかなあ。夫婦海獣シーモンスとシーゴラスが迫ってるんじゃあるまいし(笑)。ひょっとして雷雨でもおこるのかと思ったらそうでもない。やはり前兆現象として表現したんだろう。思うんだけど地震なんだから、光るとしたら地面のほうじゃないのかな。実際阪神大震災でも地震前に発光現象の目撃報告があるようだし。そういえば、地割れや地殻変動の表現もなかったなあ。液状化についての説明はあった。

 あと、災害用伝言ダイヤル「171」についての説明は、知らない人や名前は知ってても具体的には知らない人には役だったのではないかと思う。あと、ちょっと宣伝がましかったがワンセグについての情報もそつなく伝えていた。停電が長引いて充電出来ない場合は役に立たないけどね。
 あと、トリアージ(選別)という普段聞き慣れない用語が出てきたのでここでも説明しよう。これはテロや大災害等で負傷者が大量に出た時には重要な作業だ。これをしないで無差別に病院に送っていたら、近くの設備が充実した病院に軽傷者があふれ、一刻を争う重症患者を遠くの病院に運ばざるを得なくなり、取り返しのつかない事態を招いてしまう。
 トリアージの優先度は4段階に分かれており、それぞれに色分けされたタッグをつけて選別する。Ⅰ:優先度1(赤)は一刻を争うが治療が早ければ助かる可能性の高い重症患者、Ⅱ:優先度2(黄)は重傷だが少し時間をおいても救命出来ると判断された者(ただし容態変化のおそれがあるため監視が必要)、Ⅲ:優先度3(緑)は軽傷者、0:優先度4(黒)はすでに死んでいる者または息はあるが生存に絶望的な者である。黒タッグに選別された場合、状況によっては長い間放置されることもあり得る。トリアージする医師には緊急時とはいえ機械的で冷静あるいは非情な判断が求められる。
 参考:トリアージ訓練 トリアージタッグ(優先度に合わせて色をちぎる。Ⅲ(緑)ならそのまま使い、Ⅱ(黄)なら緑の部分を取る。)

 それにしても、事前に被災者がうっかり見てトラウマに触れないように、前もってお断りがあったのはびっくりした。局の思惑がどうあれ、そういう配慮は必要だろう。特に事故から1年も経っていないJR福知山線脱線事故の被害者には、あの脱線シーンは辛いだろう。

 いろいろ批判的なことも書いたが、見ている時は文句をたれながらわりと必死で見ていた。不必要な恐怖を煽るのは問題だが、地震雲意外はまあ及第点のレベルではないかと思う。首都が潰滅したら、日本全体が大変なことになる。地震はおきないにこしたことではないが、起きた時にいかに被害を減らすことができるかに全てがかかっている。そしてそれは決して人ごとではないのだ。
 それを考えたら、例の耐震偽装詐欺事件がこれからどう影を落とすか心配である。

 ところでこれは全くの余談だが、妹が「かもめ~がとん~だ~♪」の渡辺真知子が出ている、なんで?と騒いでいた。知るか!

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2006年4月 8日 (土)

不覚にも「デスノート」にハマってしまった。

4088736311_4 ※ネタバレがありますので、デスノート未読の方はお気をつけください。

 「おねえちゃん、デスノートって知っとる?」

 これを聞かれた時、まさかこんなことになるなんて思わなかった。

   *******

 デスノート?ああ、あのマンガの?なんか凄く人気のマンガでとうとう映画になるとかいってるアレのことか。たしかノートで人が殺せるんだよね。
「う~ん、名前だけは知ってるけど、読んだことないなあ。」
だってジャンプのマンガだし。ジャンプといえば、地道なスポ根ボクシングマンガだった「リングにかけろ!」がいつの間にか宇宙背景のギャラクティカマグナムだし、ウルトラマンパロギャグだった「キン肉マン」は超人だらけになるし(これは許す)、鳥山版西遊記「ドラゴンボール」にいつの間にかスーパーサイヤ人設定出てくるし、死んで葬式までしたキャラが平気で生き返って連載再開するし・・・。
「すっごく面白いよ。Sちゃんから今度借りてきてあげるね。」
因みに「Sちゃん」というのは、妹の勤めている会社の所長である。ただし、カナリ年下なので妹に頭が上がらない。

 それから数週間後私の仕事が一段落した頃、妹が現在既刊の「デスノート」単行本1~10巻を借りてきてくれた。
「面白いけん。死神がカワイイよ。」

 読んだ。

 そしてハマった。おまけにキャラ萌えまでしてしまった。
 ただし、死神ではなく竜崎こと「」に・・・。 '`,、('∀`) '`,、  
                                          orz....

 う~む、さすが諸星大二郎を出した雑誌だけあった。見くびってました、ジャンプ編集部さん。

Kawaii_l2 Lは最初全身を現した時、普通に不気味だと思ったが嫌悪感はなかった。そして、すぐにこの表情にまいってしまった。つか、これに一瞬で悩殺されたファンは多いらしい。その後、宇生田が殺された時の怒りをこらえ感情を抑えようとする、ライトよりはるかに人間らしいLの意外な面に惚れた。こうなると、どくろのような目も、目の下の隈も、猫背も、妙な座り方も、超甘党なところも、ポーションミルクを直にすするところも、アスペルガー症候群っぽい挙動不審さも、全部魅力的で可愛く思えるから不思議だ。
 彼は最後までライトをキラだと疑っていた。いや、ほぼ確信していた。しかし、反面友情も感じていたLは非情になりきれず、結果ライトの策にはまった形になり、命を落とした。さすがの彼も、死神が相手では勝つことが出来なかった。

 そういう意味で、私は死神レムも好きだ。彼女は、多分彼女が好意を持っていた死神ジェラスが命がけで守った少女ミサを、守り抜いて死んだ。彼女もLと同時にライトの策にはめられた訳だが、気がついたときは、どうすることも出来なかった。逆らえば大事なミサが死ぬことになるからだ。しかしながら当のミサはライト以外はどうでもいい存在で、この馬鹿女はレムの死に対して涙のひとつも見せなかった。レムは本当に報われない女である。だが、醜い死神であるはずの彼女が、何故か私にはこの作品一美しい女性に思えるのだ。

 では、主役のライト=キラ(月と書いてライトと読むが、ややこしいのでここではライトに統一する。しかし、あのお堅い家庭でこういうDQN親がつけそうな名前を良くつけたなと感心する。神のお告げでもあったのかw)と第2のキラ、ミサはどうかというと、はっきり言って嫌いなキャラだ。最初は私もLよりライトの方に感情移入をしていた。それは、L萌えしたあとも変わらなかった。しかし、だんだんライトの傲慢ぶりに嫌気がさしてきた。ミサは前記したとおりあまりにも情が無さすぎる。

 まあ、嫌いなキャラについてはどうでも良いので、今だ復帰を強く希望されているLが、あの状態で死なないためにはどういう条件があるか考えてみた。以下はネタとして読んでほしい。
 L(竜崎)死亡の真偽については諸説あるが、いずれにしろ、死神レムからデスノートに本名を書かれたからには、助かる方法は無い。しかし、ひとつだけ可能性を考えついた。
 まず、レムはワタリの本名をノートに書いてからその次にLの本名を書いた。この順番は間違いない。死神の掟として、人間の寿命を延ばすためにノートを使ってはいけないことになっている。ワタリ・Lを殺すことは結果的にミサの寿命を伸ばすことになり、レムはワタリの名を書いた40秒後に死んでしまう。だからその40秒間にLの本名を書かねばならない。
 しかし、Lの本名がじゅげむピカソのように長かったらどうだろう。果たして40秒間で書ききれただろうか。おまけに焦って書き間違えてしまった場合、Lは死なないことになる。Lが日本人で野田 江川富士一二三四五左衛門助太郎さんや古屋敷 後部屋新九郎左衛門介之亟さんみたいに長い名だったら、漢字が苦手らしいレムが40秒間に書き上げる途中間違ってしまう確率は増える。デスノートに4回書き間違えたらその人をデスノートで殺せなくなるから、Lは死ななかった上に今後安心してキラの前に顔を出すことが出来る希少な人間になる。
 Lは、ワタリの死を察知して咄嗟に死んだフリをした。Lのことだから、一時的に仮死状態になるくらい出来そうだ。そして、ライトがLの死を確信してLに見せた極悪顔で、ライトがキラである確証を得る。そして反撃のためにそのまま死んだことにして地下に潜伏するのだ。
                 Rem_s_1

 まあ、実際それじゃクソ展開で萎えるからありえないとは思う。しかし、それでもなんとか納得する形で生きていて欲しいと願ってしまう。Lはそんな男だった。

 しかし、正直思想的にはライトに共鳴するものがあるのも事実だ。私もデスノートが欲しいと思うことがよくある。きっと私が手に入れたら地道に犯罪者やDQNや悪徳政治家を消していくと思う。ついでに死神の目ももらうだろう。通りががりのDQNを殺すには、目がないといちいちターゲットに名前を聞いて書かねばならないが、そりゃ無理だ。

「くっそ~、あのDQN車のクズ連中め!世の害虫だ!ノートに書いて抹殺してやる!はっ!今日はノートも切れ端も持ってない!しまった!仕方がないから名前を普通のノートに書いて帰ってからデスノに書き込もう。」
帰宅後
「しまった!連中の顔をすっかり忘れてしまった!」
私は人の顔を覚えるのが大の苦手であった。
ちゃんちゃん♪

 では、最後にLの飼い方(フラッシュ)をどぞ! 

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2006年4月 7日 (金)

懐かしいテレビ主題歌

 懐かしいCMソングとともに、ドラマの主題歌もけっこう覚えている。ドラマの内容も役者もほとんど覚えてないのに不思議なものだ。とりあえず思いつくままに思い出して書いてみよう。ただし、記憶の中のものだから、歌詞を間違っている可能性も高いので、ご了承ください。

■おやじ太鼓
誰がつけたか 大太鼓
雷おやじの 忘れ物
ドンドンドドンコドンドドンドドン
ドンドンドドンコドンドドンドドン
ご機嫌如何か 大太鼓
そんなにわめくと疲れます
虫が起きるぞ 大太鼓
みんなぶるぶる おお寒い

(間奏)

ご機嫌如何か 大太鼓
そんなにわめくと疲れます
それそれ言わぬことじゃない
破れてしまった それごらん

 最近、こういういわゆる雷オヤジってあまり見かけませんね。すでに絶滅危惧種になってるのかもしれない。むやみに感情的に怒るのはよくないが、やはり、怒るべきところはビシッとやってくれる人が必要だと思う。

■泣いてたまるか
空が泣いたら雨が降る
山が泣いたら水が出る
空が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ水が出る

オレが泣いても何にも出ない
意地が涙を
泣いて 泣いてたまるかよと
通せんぼ
(drac-obさんより指摘がありましたので訂正しました。drac-obさん、どうもありがとうございます。)

 テレビ版「男はつらいよ」。毎回設定が変わっていた。けっこう鬱展開、バッドエンドが多かったような気がする。子供の頃これを聞いて、「泣いたら涙が出るよね」と歌の後半部分を思い切り無視したことを言って(理解できなかったんだと思う)、祖母と両親から大笑いされた記憶がある。

地獄の辰捕物控
何故におまえは俺を欲しがる
一文の値打ちもなく笑うことさえも
知らないこんな俺なのに
昨日は空しく 明日は幻
今日は只過ぎていく
こんな生き方しかないのに
いつになったら俺を手放す気か
おまえの名は 地獄

 って、子供がなんてぇ歌を覚えてたんだ。おそろしい(笑)。「こんな生き方しかないのに」のところがカッコイイんですよ。

 でね、今でも人気の高い、近衛十四郎の素浪人シリーズ。私も大好きだったんだけど、主題歌は「素浪人 月影兵庫」のほう(だと思う)しか覚えてない。

■素浪人月影兵庫
要らぬお世話だ どっちへ行こうと
天下御免の浪人ひとり
でっかい青空背中に背負って
曲り道でも待ったはかけぬ
まかり通るぞ まかり通るぞ
もうすぐに

 なんか良いよね、このころの時代劇って。「」とか「俺は用心棒」とか子供心に栗塚旭がカッコよかった記憶があります。「俺か・・・ 俺は・・・用心棒...」って同じ語尾に「・・・」がついてても、誰かさんと違って超カッコイイOPのところを何となく覚えている。でも記憶はそれだけ。さすがに幼すぎたかな。だから主題歌とかおぼろげにしか覚えていない。「三匹の侍」も好きだった。たしか中のひとりが育児や料理が得意だったんだよね。私はこれで「匹」という漢字を覚えました。

 私 「あれ?この字『四』に棒が一本ないやん。」
 祖母「それは『ひき』って読むんよ。いっぴきにひきの『匹』。」

 時代は一気に下るが、昔の有名なバラエティに「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」というのがあった。私はあまり真剣に見てなかったので敢えて説明するのも気が引けるが、「電線音頭」「しらけ鳥音頭」で一世を風靡した番組だ。ベンジャミン・伊東こと伊東四朗の他に「東大さん」とか、おかみさんがご用聞き(東大さんにひそかに憧れているというすごい設定。ピーターだったような)にいつも1円分の品物を注文して周りがズッコケたら「1円を笑うものは1円に泣くのです。」という決め台詞を言ったり、木内みどり(名前が似ているが逐電したのは木之内みどり)が出て「ウ・パ・ペ・デ・トゥ~ディロン」と宇宙人を呼んだり、なんか凄い番組だったような気がする。

■しらけ鳥音頭
ちゃんちゃらちゃららら
しらけ鳥飛んでいく東の空へ
(みじめ、みじめ)
しらけないでしらけないでしらけたけれど
(みじめみじめ~)

■電線音頭
ちゅちゅんがちゅん×2
電線に スズメが三羽止まってた
それを漁師が鉄砲で撃ってさ
似てさ、焼いてさ、食ってさ
ヨイヨイヨイヨイオットットット×2

 なんか書いていてアホらしくなってきた(笑)。
 で、この電線音頭だけど、私には思い出深いものがある。舞台の上で踊らされたんだよ!高校の時の修学旅行の罰ゲームで!それも、踊りを知らなかったから、下で友達が教えてくれたけど変な踊りで。今でもその時の状況が目に浮かぶ。おまけにココによくコメントをくれるしなさんが、卒業アルバムの実行委員だったので、しっかりその写真が卒業アルバムに載ってしまったんだ!あははは。

 気をとりなおして、少女漫画原作ドラマの主題歌を数点。

■奥様は18歳
青い空が笑ってる ララララララ~ララ
白い雲も笑ってる ララララララララ~
お日様もバルコニーも 笑っている
ル~ル~ル~レ~レ~
ル~ル~ル~レ~レ~
悪戯なエンゼルが歌っている
だけど秘密 ヒ・ミツ
誰にもナイショ
奥様は奥様は 18歳

■美人はいかが
私 きっと 美しくなる
薔薇の ような 美人はいかが?
今は硬い小さなつぼみ
誰が 先に 見つけるかしら~
生きている毎日が何もかもステキ
まだ見えぬ明日の日が待ち遠しいの
私 きっと 美しくなる
薔薇の ように 咲きたい私

 これは2作とも外国が舞台だったが、日本に置換えていた。因みに「美人はいかが」のヒロインの名は「十文字 丸(じゅうもんじまろい)」だった。字面だけ見たら漁船のような名前である。
 「奥様は18歳」の歌詞でエンジェルがエンゼルになっているが、昔はエンゼルという言い方が主流だった。ウイルスを昔はビールスと言っていたのに似ている(ちとちがうかも)。

■赤い稲妻
真っ赤に燃えた太陽を
この手で強く抱きしめたいのよ
苦しくたって悲しくたって
若い命を燃やしていきたいの
「だけど悲しくなっちゃう」
そんな時には空を見て
流れる雲に叫んじゃう
「お父さ~ん」
幸せの星を求めて
赤い赤い赤い稲妻

真っ赤に咲いた赤い薔薇
この手で強く抱きしめたいのよ
苦しくたって泣きたくたって
若い命を燃やしていきたいの
「だけど泣きたくなっちゃう」
そんな時には海を見て
白い波に叫んじゃう
「お父さ~ん」
幸せの星を求めて
赤い赤い赤い稲妻

 途中でセリフが入るのはこの頃のデフォでしょうか。文字にすると尚更こっぱずかしいなあ。これは丘けい子の仇討ち空手マンガが原作。沖縄復帰前の作品で、主人公は父の敵を求めて沖縄から密航して東京にやってくる。密入国である。悲しい時代だった。内容はやはりドラマのほうが劣化していて、敵役の腹心「九鬼」が原作では実はで影ながら主人公の妹を助けるというなかなか深い展開だったが、ドラマの方は単なる強敵で終わってしまってがっかりした覚えがある。

 ついでにこれはアニメだが、「アパッチ野球軍」にいってみよう。これはなんと「細腕繁盛記」や「どてらい男(ヤツ)」の花登筺原作で、作詞までしている、異色のスポ根野球アニメである。

■アパッチ野球軍
俺たちゃ裸がユニフォーム
たまにゃハチにも追われるけれど
ファイト!ファイト!
ファイトひとつが財産さ
しかし強いぜ負けないぜ
俺たちゃアパッチ野球軍

俺たちゃ強いが売り物さ
たまにゃ大荒れカッともするが
根性!根性!
根性ひとつが売り物さ
しかし強いぜ負けないぜ
俺たちゃアパッチ野球軍

 けっこう歌うと元気が出るぞ。余談だが、私は最近まで「たまにゃハチにも追われるけれど」の歌詞を「たまにゃサツにも追われるけれど」だと思い込んでいた。

 唐突に思い出したけど、チャコちゃんシリーズとかケンちゃんシリーズとかあったなあ。最初チャコちゃんだけで、次に弟ケンちゃんが出来て、その後チャコちゃんがいなくなって妹のトコちゃんが出来た。

■チャコちゃん(シリーズのどれか)
パパが帰ってきたときは
大きな声で「おかえんなさい!」
パパに呼ばれたときは
元気な声で「は~い!」
健やかに過ごしておくれ パパに夢見ておくれ
時には大粒の涙の雨を降らせても
すぐにケロリと笑っておくれ
空のように 「空のように~」
それがパパの願い

 最後に「どっこい大作」で締めようと思う。主役の大作は「仮面の忍者赤影」の青影役や「河童の三平」の三平役をやった金子吉延だ。って、私は大作が蒸気機関車と一緒に「どっこい!どっこい!」とやってるオープニングしか覚えてませんがな。

■どっこい大作
空に誓った 誠の峰を
やるぞ 必ず登ってみせる
一度限りの 一度限りの人生を
俺の力で 俺の力で 切り開く

 ついでに河童の三平の歌もどうぞ。

■河童の三平
ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら
ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら
ここはどこの細道じゃ
地獄川原と申します
くりからくりから骨紬
呪う悪魔の影揺れる
行きはよいよい 帰りは怖い
河童の三平 どこへ行く?

ここはどこの細道じゃ
悪魔ヶ丘と申します
ギコギコギコギコ刃砥ぎ
歌うサタンの影揺れる
行きはよいよい 帰りは怖い
河童の三平 どこへ行く?

ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら
ゆ~らりゆ~らりゆ~ららら・・・

 ずいぶんと長くなったので、そろそろ終わろうと思う。また何か思いついたら加筆いたします。
 この記事に最後まで付き合ってくれた方、どうもありがとうございます。

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2006年4月 5日 (水)

デジャ・ヴュ in 光明寺

 子供の頃、よく同じ怖い夢を見て泣いていた。ある時期からぱったりと見なくなってしまったが、今でも夢の断片を覚えており、ふっとした瞬間にそれを思い出して不思議な感覚に陥ることがある。断片を覚えているとはいえ、具体的なものではないのでここには説明できない。とにかく脅迫的に怖い夢だった。
 何故そんな夢を見ていたのかわからない。多分現実やテレビや映画がごちゃ混ぜになって夢に出てきたのだろう。子供の頃はけっこう怪獣や妖怪の出る映画やテレビ番組を見ており(そのせいで今も怪獣好き)、時折子供にはとても恐ろしい内容のものもあったからだ。また、幼い頃はけっこう家の中がもめていてストレスもかなりあったと思われる。良い子ちゃんタイプの典型だった私は、そのことを表には出せずじっと我慢していた。そういう抑圧もあって、繰り返し同じ怖い夢を見てしまったのかもしれない。

 デジャ・ヴュは、けっこう日常でも使う言葉なのでほとんどの方がご存じだろう。初めて経験することなのに以前同じことがあったような気がするという、不思議な感覚を伴ったアレである。予知とも前世の記憶とも言われることもあるが、実のところ記憶の錯覚というのが科学的な説明としてはスッキリするようだ。記憶の底にある似たような風景や体験が、今現在の光景とシンクロして同じことがあったと錯覚してしまうというものである(それには自身の体験だけではなく、写真や映画等で見たものも含まれる)。
 その説明は正しいだろう。記憶というものは子孫に伝わらないものであるからには、見聞きしたことの無いものを、あらかじめ知っていよう筈がない。ところが、実際半端じゃないデジャ・ヴュを体験してしまうと、本当にそれだけだろうかと思ってしまうものだ。私も一度だけそれを体験した。

 それは数年前、家の近くにある光明寺(正しくは光明禅寺)に行ったときの話だ。
 そこは、近場でしかも綺麗な庭で有名な禅寺なので、遠くから友人が遊びに来た時はだいたい連れて行く観光スポットだ。だからもちろん初めて行った場所ではない。
 その時も、妹の友人が来るというので下見をしに行ったのだった。だから何の心配もなく堂内に上り、一緒に行った母や妹と別行動で中をウロウロ見て回っていた。ところが、半周ほどして、納骨堂の近くまで行った時のことである。納骨堂は本堂から少しはなれており、橋のような通路で繋がっていた。私は納骨堂には用がないし気持ちも悪いので、そのまま行き過ぎた。そして、ふと堂内の小さい通路にある扉に触れた時、例の既視感にとらわれた。「あれ、私ここに住んでたことある・・・?」その時である。いきなり頭の中に、いろいろなイメージがものすごい勢いで入って来たのだ。もちろん生まれてこの方そんな体験はしたことがない。まるで「サイコメトラーEIJI」でエイジがサイコメトリーした時がこうだったのではないかと思った。
 映像はその通路から渡り廊下へ、その先にある離れの部屋、お堂の縁側に横になっているどこかのおじさん等々、わずか1・2秒の間に映像が次々と変わっていく。私はめまいをおこして通路の壁に手を付いた。しかし、その映像はこの寺であってここではない、見たことのある懐かしい光景ではあったが別の場所のようだった。ここはそんなに大きい寺ではないし、そんな離れなんてありそうもなかった。
 今まで軽いデジャ・ヴュなら何度もあるが、こういうスサマジイのは初めてだった。もちろん何かをサイコメトリーしたとか、前世の記憶が甦ったなどという世迷い言を言うつもりはない。デジャ・ヴュは神経が疲れている時におこりやすいという。多分疲れてたのだろう。デジャ・ヴュというより白昼夢に近かった。その時見た懐かしい光景は、今まで自分が行ったことのあるどこかの家や寺(高校の時合宿した戒壇院も混ざっているかもしれない)のもので、何かの拍子で爆発的に記憶が甦ったのだ。
 しかし、純粋な人がこんなモノを見たら、超常現象と信じ込んでしまうかもしれない。私だって一瞬前世の記憶かと思ったもの。
 人の脳は精密に、そして複雑に出来ている。だからこそたまに奇妙なバグが起こってしまうのだろう。デジャ・ヴュとはそういう脳の誤動作からおこる、不思議な体験なのである。

 ところで最近ふっと思うのだ。子供の頃何度も見たあの怖い夢。あれはそうではなく、夢のデジャ・ヴュだったのではないかと・・・。

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2006年4月 3日 (月)

エイプリル・フール

 ことしのエイプリル・フールは、きっこたんが多羅尾伴内的な自らの正体を暴露して、2ちゃんねるでは書き込みの日付が3月32日となっていた。思えば未だに信じ込んでいる人がいるという、「第三の選択」もエイプリルフールネタだった。

 今回、なかなか受けたのはコレ。バゲワロタ。

 しかし、誰かやると思っていたが、なかなか高いクォリティーでやってくれました。

 で、それに因んでここで懐かしCMソングを一発

皮がついてないのよォ、ウイニー
ニッポンハムのウイニー
ウイニーウイニーウイニー、ウイニー♪

 モノがウインナソーセージだけに、絶対狙ってるだろ~、この歌詞。
 しかし、ニッポンハムも21世紀になってから、こんなことになろうとは、これを命名した時には思ってもいなかったろうな。

 ※懐かしいCMソング2に「アサヒペン」追加

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