私は博打というものが嫌いだ。
だから競馬も麻雀もしない。パチンコも付き合いでホンの数回しかやったことがない(うち2回ほどかかったが)し、宝くじも滅多なことでは買わない。だから株もやらない。まあそんな金もないが。(因みに福引や福袋は嫌いではない。)
社会派君がゆく!で唐沢さんがしょっちゅう株も博打であると言ってるが、私も同意だ。最近はネットの普及から、一般人で株に手を出す人が増えているようだ。妹から聞いたが、親が子供(それも小学生!)に、社会勉強もかねて株をやらせていたりするらしい。ばっかじゃねぇの?と思う。ガキに博打打たせてどうするよ。今回のライブドア騒動でも株式市場が一時えらいことになっていたが、それも大量の素人株屋がパニクッたのが拍車をかけたんだと思う。素人さんが妙なもんに手ェ出しちゃぁいけねぇぜ。
今回はライブドアネタはどーでもいいのだが、上記のキーワードはちょっと関連する。
さて、なぜ私がこうも博打を避けるのか。
実は、自分の中に熱い博打打ちの血が流れていることを知っているからだ。正確にはカモの血だが。
子供の頃、それも小学校低学年だった頃の話だ。その頃はまだ私の故郷も造船景気の名残でまだまだ潤っていて、小学校も千人近い児童がおり、子供の声もあちこちで響き渡って活気があったものだ。余談だが、父から最近子どもの数が激減しているという話を聞いた。なんでも新一年生が数人しかいないというのだ。
まあそれも本題ではないから置いておくが、そんな状況だったので、本州最端の島の盆踊りでも結構な賑わいを見せており、テキ屋の店もちらほら出ていた(最近は町内会で屋台を出しているようだ)。
そんな中に「型抜き屋」があった。
「型抜き」について、ひょっとしてご存知のない方がおられるかもしれないので念のため説明しておこう。
小さい平型の長方形の砂糖菓子に浅い溝で絵が入っており、それを楊枝やピンで丁寧に彫ってその絵を上手い具合に抜き出すと、規定の金額がもらえるというもので、どう見ても博打です、本当にありがとうござ・・・ではない、縁日の屋台なんて食べ物屋以外は大半が博打みたいなもんだが、特にこれは配当が現金なだけに博打度が高かった。リンク先の実物を見てもらうとわかるが、絵には必ず細いところがあり、当然難度の高い形のものは配当金額が高かった。また、菓子は紙に包まれており、買って開くまでどんな形にあたるかわからない。でんぷんを混ぜて固めに作ってあるとはいえ、所詮砂糖菓子であり、簡単な形でも子どもがクリアするにはかなり難しい代物だ。特に私は不器用なほうで、そんなもんに手を出すとどういうことになるか自明のことだった。
案の定、早々と菓子は割れてしまったが、それが私の博打心に火をつけた。もう一枚買った。またすぐに壊れる。また買う。今度は慎重に削っていく。しかしまた割れる。ああ、隣の人が上手く型を抜いてお金をもらって行っちゃった。え~いもう一枚買っちゃえ!あちゃ~、また割れちゃったよ・・・。おいちゃんもう一枚ちょうだい。・・・あ~、せっかくいいところまで削ったのに割れちゃった!なんでココこんなに細いんよ。おいちゃん、もう一枚!
まだ十歳にも満たないそれも不器用な餓鬼に、そんなモノが上手く削れるはずがない。あっという間に祖母にもらったお小遣いを使い果たしてしまった。当時の型抜きの値段は一枚五円か十円かそこらだったので、実に10回以上削り倒したことになる。当時の子供にとって100円は大金であった。10円でロボタンアイスが、50円も出せば卵の入ったお好み焼きが食べられたのだから・・・。結果、金魚すくいも出来ず綿菓子もお面も何も買えず、手元には何も残らず・・・。
そして怒られた。
ひたすら空しかった。なぜあんなもんに熱くなったのかわからなかった。最初は欲につられたのだが、しまいには意地になってやっていた。
子供心に、これはやばいんじゃないか、と思った。これってよく焼津の半次とかがやってしまいにフクロダタキになるアレといっしょやんか。トバクとかいったなあ。そんなもんやっちゃいけんやん。すまきやん。みをほろぼすらしいやん。
私は関門海峡の遊覧船に誓った。二度とトバクみたいなことはしません。ごめんなさい。
最近縁日でまた型抜きの屋台をよく見かけるようになった。相変わらず子どもたちがしゃがみこんで必死で削っている。大きいお友達も混ざっているが彼らにも難しいだろうな。
その子どもらの背中を見ながら、ほどほどにしとけよと思い通り過ぎる。
こんど一枚だけ買って帰って家でリベンジしてみようかなと思っている。多分今でも玉砕すると思うが・・・。
余談だが、ここ数年、母がパチンコにハマッている。そこそこ稼いではいるようだが、やはり博打打の血は流れているようだ。
最近のコメント