羽化出来なかったアゲハチョウの話
私が朝利用するバス停のそばの植木には、カラタチの木が何本か植わっていて、そこによくアゲハチョウの幼虫がついている。
私は鱗翅目(蝶や蛾)は大嫌いだが、幼虫はなんとなく可愛いと思っている。もちろん触るなんてもってのほかだが。それで、バスを待つ間彼らを見て暇つぶしをしている。今年は剪定をしてないらしく、若葉が上のほうしかなく目の辺りには硬そうな葉しかない。しかし、それなりに幼虫はいた。最近はあまり見かけないが、まあ時期があるのだろう。
アゲハチョウの幼虫は、1齢から4齢までは黒くてまるで鳥のフンのようだ。しかし脱皮して5齢になるとおなじみの青虫になる。幼虫はサナギになるとき木を離れることが多いらしい。多分枝や葉が羽化の邪魔になるからだと思うが、そのせいか今までカラタチの近辺ではサナギを見ることがなかった。
最近久々に見つけた幼虫は、すでに青虫になっていて、相当でかくなっていた。7センチはあるだろう。果たしてアゲハチョウの幼虫はそんなにでかくなるものだろうか。うちの庭のハーブのルー君もしょっちゅう彼らのレストランになっているが、幼虫の大きさはせいぜい3~4センチ程度である。それは貧弱な草本についているせいかも知れない。寄生する植物がそれなりに大きいと幼虫も安心して大きくなれるということか。
それはともかく、そのでかい幼虫は一心不乱に葉っぱを食べていた。そしてその姿は以前読んだ「コブラの眼」という小説に出てきた脳痘ウイルスというのを連想させた。それは幼虫に取り付き、感染した幼虫は延々と食事を続け、羽化も忘れて脱皮を繰り返し、結果的に幼虫はウイルスの詰まった袋になってしまうというものだった。たしかコレは実在するウイルスだったと思う。で、その7センチ級の幼虫を見て少しぞっとしたのである。
翌週見てみると、そいつの姿は見えなくなっていた。無事にサナギになったか、鳥においしくいただかれたか、害虫として抹殺されたか。まあウイルス袋にならなかったのならいいやと思っていたら、翌日カラタチの枝にサナギを見つけた。
「良かった、サナギになれたんだ。」と思い観察するとどうも妙なのである。形が少しおかしいし、色も模様も私が知っているアゲハチョウのサナギとは微妙に違う。個体差といわれればそれまでだが、サナギのぶら下がり方も妙だ。気持ちが悪いので、それ以上観察をやめた。しかし、気になってそれからもちらちらと見る程度に観察をしていると、3日後くらいに形が変わっていた。どうやら死んでいるらしい。サナギの形は崩れ、頭部が幼虫で半身がサナギという状態だった。上半身は反り返っていた。サナギはいったんあの状態で中身をひとまずどろどろにしてから成虫の姿に再形成するらしい。しかし、途中で死んだサナギが幼虫形態に戻るとは思わなかった。多分身体を解体する前に力尽きたのだろう。
これが自然の摂理なのだと思いながら、サナギまでなれたのに羽化出来なかった幼虫が哀れだった。
死因はなんだったのだろう。病気か、やはり脳痘ウイルスか。はたまた寄生蜂の犠牲となったのか。
今日見ると、全体的に幼虫っぽくなって、乾燥してカラカラになり、くるくると空しく風に舞っていた。そのシルエットを見ながらやっぱり 気持ちが悪い。 と思う黒木であった。
仙台市立北六番丁小学校WEBページより
「アゲハチョウの観察日記」
| 固定リンク
「生物・自然・天文」カテゴリの記事
- 九死に一生を得た青虫さんの話(2023.05.14)
- クマゼミの眼(あるいは、セミの写真を撮ったらなんか怖いモノが撮れた話)(2015.08.01)
- 不思議な野草。(2014.09.28)
- 蝶々がいっぱい(オオスカシバもおるでよ)(2014.08.29)
- タイノエの生態について追記しました。(2013.05.26)
「~の話シリーズ」カテゴリの記事
- 九死に一生を得た青虫さんの話(2023.05.14)
- あわや! 大事故に巻き込まれそうになった話(2015.08.14)
- 外食にまつわるこわい話(2010.08.17)
- カイヤドリウミグモの話(2010.01.30)
- 「日本列島の背中」の話(2008.05.31)
コメント
■さや (2005/07/01 00:24:33)■
こんばんは。私は千葉県で小学校の教員を目指している学生です。私もアゲハ蝶の卵から成虫になるまで観察をしています。今まで3匹の蝶が巣立っていきました。ボランティアで行っている小学校の子供たちに羽化したばかりの蝶を見せることができました。 今新しく育てている幼虫が今日気がつくと黒い粒の塊になっていたんです。茶色い液をだして・・ネバネバしていました。匂いは臭くはなくて、とにかく目の前でさっきまで動いていた幼虫が消えてしまったことが悲しくて不思議で・・病名がわかりません。ご存知でしたら教えてください。
投稿: 旧ブログコメント | 2005年12月 3日 (土) 00:32
■黒木 燐 (2005/07/02 03:14:38)■
さやさん、こんばんは。コメント欄書きにくくてすみません。昆虫についてはあまり詳しくないので、さやさんの幼虫がなぜそういう状態になったのか皆目見当がつきません。いちおう調べてみようとは思いますが、さやさんのほうでも何か判ったら教えてください。最近の子供たちは昆虫に触れることがあまりないと聞きますが、いかがですか?がんばって良い先生になってくださいね。
投稿: 旧ブログコメント | 2005年12月 3日 (土) 00:33
■さや (2005/07/02 23:17:02)■
こんばんは。原因はウイルスの可能性が高いことがわかりました。直射日光と湿気が高い場所においておくと突然体の中でウイルスが発生し、体が溶けてしまう病気です。軟化病と症状が似ています。
最近三年生はモンシロチョウの卵から羽化までの観察をしました。子供たちはクワガタを見つけると私のところに持ってきてくれます。昆虫を怖がる様子はありませんが、私が今一番きになることは命について考える気持ちが軽薄していることです。
実は子供が育てていた蝶が虫かごの中で2匹死んでいました。月曜日私が学校にきて気がついたのですが蝶が死んだことに担任の先生と子供たちは気がついていませんでした。そして蝶がしんでいることを伝えると、子供の反応がなく、「かたくなっている。」と言ってそのままなのです。「蝶がなぜ死んだんだと思う?」「蝶が死んだらどうしたらいいの?」と聞くと、一人の子供が「お墓を作る」と言いました。そして業間休みにクラスみんなでお墓を作りに行きました。しかし、「どうして行かなくちゃ行けないの?」『ドッチボールがしたかった。」という声が少し聞こえました。自分からすすんできたわけではないからです。友達の蝶だから関係ないと・・・そういうことが問題ではなく今は自分たちが育ててきた命が死んでしまったことを感じてほしかったのです。あなたたたちもお母さんお父さんに育ててもらうのと同じ様に蝶の親はあなたたちなんだよ。と伝えたかったんです。
命、こんなに小さな体にも命があります。命を育てている以上最後まで責任を持つことの重大さを考えることがこれからの課題です。蝶を埋めているときに、どうして死んでしまったのか、これからどうしていけばいいのか。と子供たちに問いかけると子供たちは話し合い始めました。どこまで子供たち自身が感じているのかわかりませんがその日ちょうど私が持ってきたアゲハのさなぎが羽化し子供たちが生まれたてのアゲハを見ることができました。同じ日に生と死を同時にみた子供たちはどう感じたのでしょうか。残念ながら大学の授業の関係で大学に戻ることになり聞くことができませんでした。
黒木先生、命の授業はとても大切だと私は思います。しかし、指導は難しいものだと改めて思いました。
投稿: 旧ブログコメント | 2005年12月 3日 (土) 00:37
■黒木 燐 (2005/07/03 22:32:46)■
さやさん、私はただの「通りすがりのサラリーマン」です。「先生」じゃないですので(^^ゞアセアセ)。
そうですか、ウイルスですか。ところでウイルスはほとんど遺伝子とそれを包む膜しかないとはいえ、一応生物ですので体の中で突然発生するのではなく、どこかに感染源があるのではないでしょうか。
さやさんの目指されている「子供たちに命とはどういうものかを教える」ということは、とても大切なことだと思います。昨今あまりにも命を粗末にする事件が多すぎます。命は失ったら取り返しのつかないものだということが判らないとしか思えない事件です。多分それを教えるということは大変なことで、この先挫折を感じることも多いかもしれません。しかし、子供たちの中にはさやさんの想いを受け止めてくれる子も、きっと多いと思います。生命とはどういうものかを理解した子供たちは、きっとしっかりした未来を築いてくれると信じます。
って、なんか偉そうな事を書いてしまいました。必要以上に力まずマイペースで、目指す道に進んでください。
投稿: 旧ブログコメント | 2005年12月 3日 (土) 00:39
■ミル (2005/10/18 19:20:00)■
アゲハ幼虫の病気を調べていて立ち寄りました。
投稿: 旧ブログコメント | 2005年12月 3日 (土) 00:40