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2005年4月17日 (日)

火鉢と炬燵

sakura003S   先週、中学生4人が洞窟でCO中毒死するという、痛ましい事件があった。それで思い出した話だが、事件直後では不謹慎だろうと思い自粛していたが、そろそろいいだろう。

 これは、またまた私がうら若い20代の頃の話だ。

 私は、当時親しかった大学の友人2人と、女だけのひな祭りをしようと、その中の一人の家に集まっていた。料理(といっても、ほとんどは酒の肴。因みにくどいようだが私は下戸の肴荒し)も綺麗に盛り付け、お膳に並べ、友人の部屋でくつろいだ。酒(と茶)を酌み交わしながら、雑談に花が咲いていた。料理も旨いし、実に楽しいひと時だった。
 ところが、だんだん頭が痛くなってきた。少しだけ乾杯のお酒を飲んだからそのせいかな?私はそう思っていた。よくあることだったからだ。ところが、他の二人も頭痛を訴え始めた。
一人が言った。
「下戸の黒木ちゃんだけならわかるけど、私たちまで頭痛がするって変だよ。」
 その時、三人はいっせいに目の前にある火鉢を見た。その友人は和風が大好きな奴で、暖を取るのもいまどき珍しく火鉢に炭を起こして使っていた。

 「これだ!!」

私たちは、脱兎の如く立ち上がり、窓を開けた。

 ほとんど締め切った部屋に女3人でこもっていたせいで、軽い一酸化炭素中毒になっていたらしい。気がつくのが遅かったら洒落にならんところだった。一酸化炭素中毒はひどくなると、気がついても体が言うことをきかなくなり、助けを呼ぶことも窓を開けることも出来ず、そのまま死に至ってしまう。助かっても重い中毒症状が残る。危ないところだった。もう少しで明日の朝刊の三面記事ネタになるところだった。見出しは多分こうだ。

 女子大学生3人、ひな祭りで死の酒盛り!
 火鉢で一酸化中毒死

「火鉢を使うときは充分換気を心がけなければいけない。」

 そういえば、私はまだ幼児の頃も軽い一酸化炭素中毒になったことがある。冬場の話だが、私は炬燵にもぐる事が好きだった。当時は電気炬燵などまだ珍しく、練炭炬燵を使用している家が多く、我が家も例外ではなかった。
 ある日、母は私の姿が見えないことに気がついた。呼んでも返事がないし、どこを探してもいない。母はもしやと思い炬燵布団をめくってみた。案の定私がおり、ぐったりしているのを発見した。
 母はびっくりして私を横抱きにして走り、近所の親しかった奥さんの家に飛び込んだ。それが新鮮な空気に触れることが出来てよかったのだろう。私はついた頃には意識を取り戻していたらしい。このときも大事には至らなかったが、私が少しポケッとしてるのはその名残かもしれない。

「練炭炬燵にもぐるときは時々換気・・・っていうか、もぐるな。

 しかし、それからン十年後に練炭で集団自殺が流行るなんて、誰が想像し得ただろうねぇ。

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