私のリバース歴
「カレーに中った話」で、物心ついてからの自分のリバース歴が十指に余ると書いたが、それを検証してみようと思ったのだ。またまた食事全中後には不向きの話で申し訳ない。
とりあえず赤ん坊や幼児の頃は食っちゃ吐きなんて日常茶飯事だから、考慮しない。覚えてもいないが。
一番記憶に古い事件は多分小学校3・4年の頃だと思う。冬場になるとよく寝る前に祖母が卵酒を作ってくれた。甘い卵酒は美味しく、それは子供の飲むお酒と思っていた。甘酒と混同していた可能性もある。しかし、それは正真正銘日本酒の入ったアルコール飲料だった。若干子供用に薄めてあったかもしれないが、酒である以上、飲み過ぎるとどうなるかは火を見るより明らかであった。祖母は下戸だったので、私に自分の分も飲ませてくれた。記憶する限り、2杯程度飲んだくらいだ。たまたまアルコール濃度が高かったからかもしれない。私は当時、ガキンチョの癖に酒に強いと思っていた。酒の肴になるようなものが大好きで、周りから「この子は酒飲みになるぞ。」なんて言われていたせいかもしれない。何のことはない、だだの「下戸の肴荒らし」だったわけだが・・・。
その後、床についてから私の心臓がドキドキし始めた。それは今までもよくあることだったが、いつもより多めにドキドキしている。なんかやばそうだなと思っていたら、今度は吐き気がしてきた。
しまった。怒られる・・・。
私は必死で我慢をした。眠ってしまえばなんとかなる。寝るんだ!!
しかし、もう耐えられない。がばっと飛び起きてトイレに走った。しかし・・・・。あえなくドアの前でOUT。廊下がえらいことになってしまった。
夜中に後かたづけをすることになった母にしこたま怒られた。
小学校4年の時に祖母と親戚と宮崎は高千穂に行ったことがある。今は知らないが、当時高千穂に行く道は道路幅も狭く、お世辞にも整備されている都とは言えなかった。
ところが、そんな狭い道路で、私達の乗ったバスがよりによって大型トラックと離合するハメになった。一歩間違えたら大惨事という状況で、その離合は何十分もかかった。その頃の私は乗り物に酔いやすく、その時既に気分が悪くなっていたが、その状態でこの緊急事態である。 窓の外を見ると、眼下に谷底が見える。生きた心地がしなかった。
ようやく離合できたあと、すぐにトイレ休憩があった。私達はすぐにトイレに駆け込んだが、気持ち悪いのに全然吐くことが出来ない。こういうときは吐いたほうがよほど楽になるのだが、どんなにがんばっても無理だった。体質かもしれない。翌日も1日中具合が悪かった。雨模様の高千穂だったがそれなりに絶景だった。しかし、高千穂と言えば乗り物酔いとバス離合事件を真っ先に思い出す。
小学校の頃はほかに自家製ドーナツの油に中って1週間ピー腹になったことはあるが、まったく嘔吐はなかった。
飛んで高校の頃。友人達と待ち合わせしていたが、電車に遅れそうになって鬼ダッシュしたら、朝食がちょっとだけ戻ってきた。切符を買うべく出していた千円札にチョトついたが、時間がなかったので悪いと思ったがそれで切符を買った。いやな千円札だな。思えば意外と人に迷惑をかけている。当時の駅員さんごめんなさい。
この場を借りて懺悔いたします。___ヒラニ> orz...
時は下って、社会人になったある日友人二人と飲みに行った時のこと。
その頃は自分が大下戸ということを自覚していたので、飲みごとの時もほとんどアルコール類は飲まなかった。しかし、友人と一緒だったので気がゆるんだのかもしれない。飲めなかったら飲んでやるからってんで、よりによってソルティードッグ(当時、丁度「パタリロ!」でネタになっていた)を飲んだ。いや、なめた。やっぱり飲めないので友人に提供したが、帰りに駅でちょっとだけ(以下略。
片づけは友人達がしてくれた。
さらに情けない話が続く・・・。 ||lil|||li ○| ̄|_
それからまた2・3年後・・・。
友人Yの店の2周年記念パーティーに出席した。ライブの出来る店を1軒貸し切りにしての大宴会だった。酒も料理も盛りだくさんでもちろんソフトドリンクも置いてあった。あと各自の前には小さい100~150mlくらいの当時ペンギン缶と呼ばれていたビールが置いてあった。私はこれくらいなら大丈夫と思い(こればっかりや)乾杯の時に飲んでしまった。しかし、1/3だか1/4だか飲んだところでドキドキが始まり、ヤバイと思ったところでまたムカムカと(マジこればっかやな)し始めた。
「あんた、違うモン飲んだろ?」友人は私に気がついて言った。
私はトイレ前の小部屋に運ばれ、後は例によってトイレの番人状態。トイレは一つしかなく、それでなくともビールをしこたま飲んだ諸氏が並んでいる。しかし、みんな親切というか、酔っぱらい慣れているというか、私が血相を変えてトイレの前に行くと、快く順番を譲ってくれた。しかし、よくもあんなに大量に出るもんだと感心した。食ったモンは全部出るわ、ライブは聴けないわで、さんざんなパーティーだった・・・。
終電近くなってやっとどうやら動けるようになって、小部屋を出た。すると、あ~~~らびっくり、店の中は酔っぱらいで屍累々。店を出ると、外も延々轟沈した酔っぱらいがまるでダイインのように延々転がっていた。
女ながら酒豪の友人はケロッとしており、若干心配しつつ私を見送ってくれた。私は転がっている酔っぱらい連中を踏まないように注意して会場を去った。
いや~~~~、みんな若かったね。
その後、もちろん宴会でもいっさい酒類は飲まないことにしている。友人に言わせれば、私はウーロン茶で充分酔っぱらっているらしいが。ひょっとして、ニオイで酔ってる???
次の4周年記念パーティーは、充分気を付けたことは言うまでもなく、料理にライブに楽しい一時を過ごした。
後は、風邪をひいて、無理に会社に出たときに、昼食に食べた梅粥が全部でちゃったくらいか(もちろんトイレで)。
今は友人の店もその会社も無くなっちまったなあ・・・。
そして、あの極めつけのカレー事件に至るのであった。
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